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[1998] 戦争 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/13(Thu) 20:29  

あの時代は、カートゥン(アニメ)なんて見てる場合か、
という雰囲気がさすがのアメリカにもあったようで、
フライシャースタジオなんかも、1942年に事実上の解散に追い込まれてます。
そういった時代に一気に長編アニメの時代が訪れたのはある意味不幸でして、
ドイツのヒゲの伍長があと5年戦争をがまんすれば、
世界のアニメーションの歴史は大きく変わっていたはずです。


[1997] ディズニーさんの苦労 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/03/13(Thu) 08:53  

戦中に、ずいぶんとプロパガンダ・アニメを作ったようですが、背に腹は代えられないという事情もあったのですね。

その昔 自宅にあったLDに、『グーフィーの船乗り教室』というプロパガンダ・アニメが入っており見入ってしまいました。 今なら、メガネをかけた帝国海軍の戦艦を、艦コレに置き換えれば、さぞ面白かろうと思います(笑)




[1996] 使節団 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/11(Tue) 21:41  

そういや万延元年遣米使節は、既にサンフランシスコ到着の段階で大歓迎を受けていますね。
福沢諭吉がアメリカ万歳主義(笑)に走るのは、
この時の歓待の印象が死ぬまで続いたから、という印象があります。
オダテられると、簡単に有頂天になる人でしたから。

アメリカ側の新聞を調べる、という手もありましたね。
新見という人は良く知りませんが小栗に関しては、
フランスからの借金問題と非戦論であれだけ対立した勝海舟が、
明治になってから、あれは度量がやや狭かったが、
知的にも人間的にも立派な人物だったと述べてます(氷川清話だが…)。
幕末期の勝は明らかに精神を病んでましたが、彼の人物を見る目は確かでしたから、
それなりの人物だったとのは間違いないようです。

ついでに、本当は木村さんもワシントンDCまで行くつもりだったんですが、
勝が明らかに精神異常状態で、怖くて帰りの船をまかせられず、
仕方ないので自分も一緒に咸臨丸で帰ったと明治になってから証言してます(笑)。

岩倉使節団の時代になると、確かにある程度西洋文明への免疫は出来てたんでしょうね。
この時、特許庁の見学もしてるのですが、蒸気機関、電気関係の特許を
ある程度キチンと理解して報告してますし。
まあ、なぜか古代ローマの電気ウナギの話が出てきたりしますが…(笑)。


[1995] 小栗さん達 投稿者:くさの 投稿日:2014/03/11(Tue) 06:32  

小栗が参加した万延元年遣米使節は「日米修好通商条約」の
批准という大目的があったので、米国側がいろいろと設定し
てくれた見学会などは、やや「ありがた迷惑」みたいな感は
あったようですね。明治の岩倉使節団に相当するものは、オ
ールコックが後押しした「文久遣欧使節」で、福沢さんはこ
ちらにも参加しています。

ただ、以前NY Timesを検索していたところ、「正使の新見正
興がワシントン海軍工廠の機械の原理を説明を受けたとこ
ろ、そえを直ちに理解した」、といった感じの記事がありま
した。そのときは新見も結構有能だったんだと思ったのです
が、ひょっとすると実は説明を受けたのは小栗だったのかも
いしませんね。出展が不明ですが、Wikiには小栗の態度が立
派だったので正使と勘違いされた云々とありますので。

岩倉使節団は1872年で、そのときには小栗が計画を進めた横
須賀造船所が完成しています。規模の差はありのでしょう
が、使節団は造船所そのものは見慣れていたのではないでし
ょうか。


[1994] 構成比 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/10(Mon) 20:46  

sskさん、なるほど女性の比率もありましたね。
そういやX-menがX-persons に名称変更になるというウワサ、
最初に聞いてから10年以上経ちましたが、どうなったんだろう…。

へまむし入道さん、プロデューサーによるとスタートレックは当時大ヒットしていた
TV西部劇Wagon trainのアイデアを頂いて、さらにスウィフトのガリバー旅行記の要素を取り入れ、
その上で宇宙を舞台にしたSFにしよう、というアイデアだったそうで、
よくまあそれがあのような内容になったなと思いますね(笑)。
ベトナム戦争&公民権闘争真っ只中の作品ですから、そういった時代背景もあったのでしょうが。

alphabetteさん、それを私に聞かれてもわかりませぬ…。
直接、博物館に問い合わせてくださいませ(笑)。


[1993] ターゲットはどういう人たちなんでしょうか? 投稿者:alphabette 投稿日:2014/03/10(Mon) 12:12  

不定期に休んでいつ休みかはTELしてくれってことは一般の観光客はターゲットじゃないんでしょうね。


[1992] アメリカ特撮 投稿者:へまむし入道 投稿日:2014/03/10(Mon) 00:13  

パワーレンジャーは最初のジュウレンジャーを元にしたのが我が地方局でやってたので観たことありますが、アメリカの子供たちってよくあんな内容で熱中したなぁ・・・っていうのが第一印象でした。

スタートレックは元々、アメリカ社会の社会風刺をやるための手段という部分がありますからね。人種差別がまだ大っぴらにやってた頃に白(カーク)人と黒人(ウラ)のキスシーンやって地方局から放映拒否されたりしてます。


[1991] 無題 投稿者:ssk 投稿日:2014/03/09(Sun) 22:52  

映像作品内の人種構成については、日本の戦隊シリーズの特撮パートだけ使用してドラマパートは米国の俳優で撮り直した
パワーレンジャーシリーズの例が有名です。
5人編成なら男3:女2、白人3:有色人種2となるように配慮されています。
日本版の昔の物は紅一点だったので、米国版では一人性別変更して対応していました。
近年の戦隊は初めから海外版を意識して男3女2になっています。



[1990] アメリカ本祭り 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/09(Sun) 17:15  

五反田猫さん、映画の人種構成までは気にしたことがなかったです。
スターとレックの艦橋内の人種構成はバランスいいなあ(含むスポック)、
と思ったことありますが(笑)。

エリート意識の巣窟であり総本山である(笑)東部のIVYリーグ学校には、
19世紀イギリス式の社交クラブがあるのが多いです。
それに入るには成績優秀、あるいはスポーツクラブのレギュラー選手などの条件があるのですが、
ここに含まれる黒人およびユダヤ人の数が、学内の人種比率より多い、と聞いたことがあります。
これは「紳士による公正な倶楽部なのだ」というアピールのため、
毎年一定の人種的な配慮をしているからだ、と教えられて、
なるほど、そういうものなのかと思った事が。

Asaさん、ギリギリ文字が読める大きさで掲載したつもりでしたが(笑)…。
あれは毛峰東、あるいは車と書かれています。
毛峰は中国のお茶のブランドで知られてますが、人名にもあります。
ついでに車なら完全に別人ですし、東なら簡体字でありませんから、
香港かマカオ、あるいは台湾の人間で、毛沢東の名を上げる事は考えにくいです。
さらに中国国内で入手できる毛沢東の本で、彼のフルネームが使われる事はまずありません。
少なくとも毛主席となり、毛沢東と呼び捨てにすることはないでしょう。


[1989] 毛沢東では? 投稿者:Asa 投稿日:2014/03/09(Sun) 12:38  

いつも楽しく拝見しています。
さてWhat book do you think shaped the world?というボードにある中国人の名前は、毛沢東ではないでしょうか?
とすると、書き込んだ人自身の名前ではなく(質問の意味が分かったうえで)、毛沢東の著作が世界を変えたという意味ではないでしょうか。。。

http://majo44.sakura.ne.jp/trip/DC2013/921/16.html


[1988] 人種の話 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/03/09(Sun) 06:38  

鋭い指摘ですね。
見える人は短期滞在でも判るし、見えない人は長期駐在しても気づかない点かもしれません。

アメリカの映画やドラマを見ていて、不思議に思ったのは、人種構成なのです。実際の現場と異なります。 
刑務所の中、法廷の法曹関係者、学会などが典型です。

不思議に思って米国の知人に聞くと、法律等で人口における人種構成に近づけて作ることが求められているからだと聞きました。ですから、それに近いのがハリウッドの俳優の構成なのだと、笑いながら教えてくれました。 これがジョークなのか真実なのかは浅学にして知りません。



[1987] スラム 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/08(Sat) 21:09  

不勉強にしてバンコクのスラムは知りませんでした…。
そういや南のほうへはほとんど行った事がないですね。
できればバンコク再戦もそろそろやりたいのですが、
あの国、いつまで荒れてるのやら。


[1986] 南東の水辺 投稿者:CONI 投稿日:2014/03/08(Sat) 08:15  

そういえばバンコクの有名な「クロントイ スラム」も、南東の水辺ですね。


[1985] たらい回し 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/07(Fri) 22:54  

某氏さんも同じ目に会われてましたか(笑)。

ひょっとしてここの門番のみなさん、コイツ面白い顔だから、
となりの連中にも見せてやろうとか考えてるんじゃなかろうか、
と現地で疑っていたのですが、他の人も同じだったと聞いて一安心です(笑)。

未だに未訪の街、ニューヨークの工廠はそういやブルックリンでしたね。
そこから東に40km 前後行くとかつてのグラマン工場で、現在は例の
現存アポロの月着陸船の3つ目がある航空宇宙博物館になっています。
イントレピッドとあわせて、いつか見ておきたい博物館の一つなんですけども…。

実はオチを先に書いてしまうと、フィラデルフィアの海軍工廠も最初は行って見る予定でした。
あそこには退役した通常動力空母が2隻保管されてるので、遠くからでも見れるかな、
と思ったからですが、結局時間不足であきらめる事に…。
ちなみにグーグルマップでフィラデルフィアの南の川岸を見ると、
ここは川の中流なのに、2隻の巨大空母が保管されてるのが確認できます。

なのでフィラデルフィアは空母2隻、戦艦2隻、潜水艦1隻と言う、
ある意味、世界最強クラスの予備海軍力を持つ街なんですよね(笑)。


[1984] てごわいぞ海軍工廠 投稿者:某氏 投稿日:2014/03/07(Fri) 01:25  

ワシントンDCの海軍工廠、私も挑戦しつつ長旅の疲れが出てたのと、
あの門番の兵隊さんたちのたらい回しアタックを食らって、たどり着けませんでした(笑)。
あの野球場の近くのホテルだったので懐かしいですね。

ニューヨーク、というかブルックリンの海軍工廠は、
いまは民間の工業団地などになっているようです。
これもブルックリンに拠点を据えて(今にして思えばわりといい感じにスラム街…)遊んでいた時に行ってみましたが、
雨の中人気のない工場地帯をとぼとぼ歩いて帰ってくるという悲しい結果に……

ただ、アメリカの珍妙コスプレお姉さんことレディー・ガガの撮影に使われたこともあるようなので、
もっとよく調べればドックの跡地くらいは残っていそうです。

まあ、それだけしか残ってないから難易度高いとも言いますが……(笑)


[1983] F-35 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/06(Thu) 20:54  

tadaさん、情報どうもです。
ハリボテっぽいF-35だとすると、2002〜2004年ぐらいに、
全米のエアショーで展示されていた
F-35の原寸大モックアップがあったので、それかもしれません。
あの博物館はユーロファイター タイフーンも当初はモックアップだった前科があるので(笑)。

F35は戦闘機としてはほぼ確実にダメだと思いますが、
攻撃機として見るとそれなりの性能です。
が、値段を考えるとあまりに割りに合わない買い物で、
私だったら同じお金でF-16を100機そろえますね(笑)。

ステルスといっても、電波を反射しないだけで、電波を透過させる事はできません。
だったら、3万mくらいの上空から地上に向けてメートル単位の低周波(雲に吸収されない波長)を撃ち、
その反射を丹念に拾ってゆけば、電波が反射して帰って来なかった場所には何かいるとわかるわけです。
後は巨大なレーダーシステムをどうやって高度3万m以上まで上げるか、の問題が残りますが(笑)。

ケンブリッジからならダックスフォードは目の前ですね。
今年の夏までなら、ロンドンの帝国博物館の展示品の多くが疎開中のはずなので、ちょっとお得です(笑)。
戦車とかの展示も充実してますから(ただしティーガーは映画プライベートライアンの時のレプリカ)
それなりに面白いと思います。



[1982] F-35は 投稿者:tada 投稿日:2014/03/06(Thu) 00:46  

その通り。F-35です。
1/1に近いと思われるハリボテでした。
近いと思われるとしたのは、
それなりに大きかったのですが、
周りのプロペラ機とほとんど変わらん印象だったので。
人が多かったのとハリボテで興味をなくしたため
写真も撮っておらず真偽の確認ができません…。

F-35といえば空自が導入を決めたようですが
F-22への道を読んだ自分としては、
F-2の調達を増やしてお茶を濁しつつ
ステルス機を検知できるレーダー開発に金をつぎ込むほうが
国防的にはいいのかなと思っております。

RAF博物館ですが、戻ってきて2011年の旅行記を読み返してみたところ
大きな変化はないようです。

おそらくまたケンブリッジに行くと思うので
ダックスフォードあたりに行ってみようかなと考えております。

http://minkara.carview.co.jp/userid/1845785/blog/


[1981] いろいろ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/05(Wed) 20:16  

tadaさん、初めまして。
RAF博物館のロンドンの方に行かれましたか。何かの参考になったなら幸いです。

ここ1年ほどでイギリスの博物館は帝国戦争博物館(ロンドン&ダックスフォード)も
RAF博物館も(ロンドン&コスフォード)も大改修が行なわれたため、
ウチの旅行記の内容も少々古くなってしまってますのが、申し訳ないところです。

一番キレイなマイルストーン展示室の展示機体が
大幅に変わったと聞いてるのですが、拝見したブログ中のハリアーの車輪の写真で
奥に見えてる双尾翼の機体、F-35にも見えるんですが、何でしょう?
これ、私が行ったときは見た記憶がないものです。
その上のテンペストは相変わらずのようですが。

ちなみに私は子供にばかり話しかけられたので、どうも珍獣扱いだった気がします(笑)。
一度だけお姉さんに声を掛けられたときは、荷物が重いから手伝って、でしたし…。

くさのさん、情報どうもです。
南軍の場合、とにかく余計な事に戦力を避けない、という面があったのでしょうね。
北軍の敵首都襲撃計画があったとは知りませんでした。
リンカーン、思った以上に作戦に口出してるんですね。

1840年代のメキシコ戦争(Mexican&American War)でアメリカは
直接、メキシコの首都制覇をやってのけてますが、この上陸作戦には
リー、ジャクソン、グラントと後の南北戦争の英雄がこぞって参加してました。
なので南軍のリーとジャクソンは敵国の首都を直接占領する、という作戦を経験してるんですが、
この時はメキシコシティを占領した後も半年近く戦争が続いたため、
どうも意味がないぜ、とここから学習したんでしょうかね。
その前の1812年にはナポレオンもモスクワでさらに最悪の体験をしてますし。

五反田猫さん、武田五一という方は私は知らなかったのですが、
国会議事堂とワシントン フリーメイソン神殿の妙な類似は、
最終日に少し詳しくやる予定です。
両者の建築時期といい、このデザインは無関係ではないよな、というのが正直なところです。

mameさん、ささきさんの回答の通り、それはないでしょうね。
さらにリンク先の記事ではグラマンの戦闘機の操縦席装甲板が25mmと出てますが、
海軍戦闘機の装甲板は謎が多く、この数字がどこから出てきたのかも怪しいです。
資料が揃ってる陸軍機の場合、P-51で頭部11mm(7/16inch)、背もたれで7.9mm(5/16)となっており、
もしかしたら、この背もたれ装甲板の厚さ(5/16inch)からの勘違いかもしれません。
とりあえず、市長さんは自分の主張に沿う事実を集めたかっただけのようですから、
細かい部分は無視して、彼の言いたい事を汲み取ってあげればいいと思いますよ。

ささきさん、私の場合、手を抜くことばかり考えてますので(笑)、
自然と色数は少なくなってゆくようです。
以前、あなたの絵の背景は緑と青ばかりだと指摘されて、そういやそうだと思いました…。

アメリカのクリスマス商戦、ウワサには聞きますが、そういえば、まだ見たことないんですよね。
これと大統領選挙は死ぬまでに一度は見ておきたいと思ってるんですが…


[1980] Re:[1979] 唐突にトップ絵の感想 投稿者:mame 投稿日:2014/03/05(Wed) 13:46  

ささきさんはじめまして
さっそくご回答いただきましてありがとうございます。
佐々木さんの書き込みは視点が独特でかつ精密なのでいつも大変参考になります
>7mm もあったら重くて飛べませんよ
よく考えたらまさしくそうですよね(笑)現職の岡崎市長さん
それでマロニー航空博物館まで見学にいかれるような人だから
相当気合の入った航空マニアなのでしょうがそれでも勘違いは
あるということなのでしょうね



[1979] 唐突にトップ絵の感想 投稿者:ささき 投稿日:2014/03/05(Wed) 12:26  

>アナーキャさん
少ない色数で巧みに描かれた欧州?の大地、
雲や飛行船の落とす影を俯瞰した雄大な構図に
「むむぅ、また腕を上げたな」と思ってしまいました。
私は相変わらずの白紙恐怖症&背景恐怖症…(^^;)

9月にハロウィンは確かに気が早いですが、アメリカでは
年末の4ヶ月が小売業の稼ぎ時で、9月はじめの始業式
(Back to to school)、10月末のハロウィン、11月末の
サンクスギビング(感謝祭)、12月末のクリスマスにかけて
1ヶ月ごとに販売キャンペーンを広げるんです。

>mameさんはじめまして
主翼前縁の一部だとか特殊な部位ならばともかく、機体全面で
外板厚 7mm もあったら重くて飛べませんよ(^^;)
グラマン主任テストパイロット「コーキー」メイヤー氏の自伝
「Corky Meyer's Flight Journal」によると、XF6F-3 試作機は急降下
テストで水平尾翼が損傷し、水平尾翼前縁の板厚が 0.04 インチ
(1mm)に増厚され、後に F6F-5 では水平尾翼基部前縁の板厚が 0.081 インチ
(2mm)に強化されたとあります。



[1977] グラマンの外板の厚さ 投稿者:mame 投稿日:2014/03/05(Wed) 10:56  

こんにちは
ネットで気になる記事を見つけてしまいました
http://uchidayasuhiro.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-a477.html
これによるとゼロ戦の外装の厚さは0.5ミリ、それに対して
グラマンのそれの厚さは14倍の7ミリとか。
これは事実でしょうか?
検索してもグラマンのジュラルミンの厚さはなかなかヒット
しないんですよね。 まあゼロ戦の0.5ミリはそんなものでしょうけど
どなたかぜひ真偽のほど教えてください


[1976] 国会議事堂 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/03/05(Wed) 08:18  

いつも本旨と関係無い話題に食いついて済みません。

国会議事堂の設計は、公募案から大きく変わっているのですが、そのまとめをしたのは、武田五一だと思います。
原案からの大きな違いは、中央部の塔が、ハルカルナッソスの霊廟みたいなものに変わっている点です。
とある人が、武田五一になぜあんな墓たいなデザインにしたのかと聞いたら、政治家は命を懸けて活動し、ここを死に場所だと思ってほしいからだと答えたそうです。
当時は、浜口首相暗殺、226など、軍事テロが盛んな時代で、設計者として政治家に覚悟をもとめたのでしょうね。

ちなみに、NHK朝ドラ『ごちそうさん』に登場した京大の建築学教授は、武田五一がモデルのようです。
建築はかくあるべしというこだわりの描写は、特徴的です。


[1975] ワシントン市街戦 投稿者:くさの 投稿日:2014/03/05(Wed) 06:01  

小規模な戦いであれば、実はワシントン郊外でも戦闘は発生しています。1864年のスティーブンス砦の戦いですが、調べてみたら中心から北に10km程度ですね。なにせ1864年ですから、南軍はDC攻略のための十分な兵力を有しておらず、他の戦域の北軍を惹きつけるための囮のようなものでした。

リーはDC攻略の意図はもっていなかったようですが、北軍は当初よりリッチモンド攻略をオプションとして考えています。マクレラン将軍は開戦初期にオハイオから川を下ってのリッチモンド攻略を提案しています。これは技術的問題で却下されましたが、自身がポトマック軍司令官に就任してからは、水陸共同作戦でリッチモンド近郊に大軍(ポトマック軍全軍)を上陸させる計画を提案しました。しかしリンカーンはDCに対する脅威となる敵野戦軍撃破を望んでおり、あーだこーだしている間に南軍がその意図に気づいてしまいます。結局リンカーンも作戦には同意するのですが、DC防衛のために一部を残すことになり、さらに南軍が防衛戦を敷いてしまったので、リッチモンド直前ではなくバージニア半島の先端への上陸となってしまいました。結果としては北軍は敗退してしまいます。

まあ、リンカーンがマクレランの提案を受け入れていれば南北戦争は1年で終わったのかもしれませんが、逆にいえば文民統制が効いていた訳ですね。


[1974] RAF Museum行ってきました 投稿者:tada 投稿日:2014/03/04(Tue) 23:09  

はじめまして。

最近、こちらのページを発見しまして
とても興味深く読ませていただいております。

こないだUK出張ありまして、
時間があったのでRAF博物館に行ってきました。
こちらのロンドン旅行記を大いに参考いたしまして、
お礼をいいに書き込みした次第です。ありがとうございます。

私も一人で行動していたのですが、
ほとんど話しかけられることがなかったので、
アナーキャさんがよく話かけられるのは
人徳がにじみ出ているのではないかと思われます。

私のつたないブログを参照先にいれておきます。
また、記事中にこちらのリンクを入れさせていただいたので
合わせて連絡いたします。

http://minkara.carview.co.jp/userid/1845785/blog/


[1973] アメリカン 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/04(Tue) 22:52  

くさのさん、情報どうもです。
開戦直後のほとんど無血占領みたいなものでしたか。
あの辺りで最大の河川港湾でもありますから、重要拠点だったんでしょうね。

敵の首都を目ざさず、敵戦力の殲滅を優先したのなら、リー将軍、
当時最先端のクラウゼビッツを読んでいたんでしょうかね。

五反田猫さん、なんか私が行ってから公共機関停止するわ、
大雪で麻痺するわ、あの街には申し訳ない気がしております…(笑)。
大陸側のヨーロッパにも似たような店がありますか。
となると、アジア以外では意外に普遍的な店舗なんですかね、ドラッグストア。

ささきさん、昔Crazy for を少し下品にするとNutsになる、
と聞いたことがあるので、ニュアンスとしてはそんな感じでしょうか。
あ、あれハロウィンのグッズでしたか。
9月だったので油断しておりました。なるほど、ならば不思議はないですね。


[1972] ナッツ! 投稿者:ささき 投稿日:2014/03/04(Tue) 14:24  

ロックコンサートなどで観客が熱狂することを「Go Nuts」と表現することはありますね。
そこから派生して、いわゆる追いかけのような熱狂的なファンを「Nuts」と呼ぶことも
あるようです。
…まぁ、英会話で我を忘れるほど熱狂はしないでしょうけどね。

あと、CVSのショーウィンドウに置かれた死神はハロウィングッズです。


[1971] 日本でも 投稿者:Alphabette 投稿日:2014/03/04(Tue) 13:54  

実際案内するときは何通りを東に向かって信号何個めかのコンビニがある角を曲がってとかいいますな。住所じゃわからないから地図使って説明することになりますし。飛び地になってる住所とかそうじゃないと絶対わからんですし


[1970] DCは大雪 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/03/04(Tue) 11:40  

ワシントンDCは、大雪みたいですね。

未明に米国東海岸との電話会議の予定があったのですが、会社に出られないから中止という連絡がありました。
公共交通も止まって、政府系機関もクローズしているみたいですね。

http://www.washingtonpost.com/local/heavy-snowfall-expected-to-hit-dc-region/2014/03/03/3ca81aa4-a2bb-11e3-8466-d34c451760b9_story.html

>ドラツグストア
ヨーロッパですとAPOTHEKEが似ていますかね。
化粧品、日用品などもおいています。
ドイツ:APOTHEKE
スエーデン:APOTEK

厳密にいうと、ドイツでは市販薬のみはDrogerieと言い、処方薬対応がApothekeらしいのですが(笑)
ヨーロッパは、コンビニ、スーパーの類が少ないので、薬屋が日用品を扱うのが多いようです。


[1969] アレクサンドリアは北軍に占領されていました 投稿者:くさの 投稿日:2014/03/04(Tue) 07:11  

アレクサンドリアは確かにバージニア州にあり、またオレン
ジ・アンド・アレクサンドリア鉄道の終点でもあります。こ
の重要性から南北戦争勃発直後に北軍が占領してしまいまし
た。DCの一番近くで行われた戦闘は、アレクサンドリアから
西に40km程度離れたマナサスの戦い(北軍呼称はブルランの
戦い)と思います。1861年と翌1862年の2回の戦いがあり、い
ずれも南軍が勝利しました。

1861年の戦いに勝利した南軍ですが、追撃には失敗し付近を
占領することで満足しました。しかし、北軍がバージニア半
島に上陸してきたため、それに対応するためにマナサスは一
旦放棄されます。その後1862年に南軍が奪い返すのですが、
そこからDCには向かわず北のメリーランドに軍を進めまし
た。そしてアンティータムで両軍が激突するのですが、ここ
では北軍が勝利、リンカーンは奴隷解放宣言を行います。こ
れにより、英仏から国家承認を得るという南部の戦略は崩壊
し、実質的に南部の敗北が運命づけられたとも言えます(戦
争自体はそれからも3年間続きますが)。




[1968] そもそも 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/04(Tue) 00:45  

ドラッグストアが日本語としてどこまで普及してるか、
それは日本全国で同じような店舗か、という問題がまずありますね(笑)。
それがマツモトキヨシ系の店を指してるなら、アメリカのpharmacyとはかなり違うものになってます。

厳密に言うと、本来より薬局専業に近いのがpharmacyで、
簡易薬局とでも言う店にタバコ屋が合体し、ジュースや雑誌などを置いた店がDrug storreです。
(昔はアメコミもこの手の店で買えました)
ところが、近年のアメリカではコンビにの様な店に薬品売り場を併設した店が、
pharmacy を名乗ってしまうため、両者の区別が極めて分かりにくく、
なおかつ、やはり日本では近い雰囲気の店はないでしょう。
厳密な意味でのpharmacyは、日本でも病院の側にある薬局みたいな店なんですが、
ここ10年くらいで増えてきたpharmacyはちょっと説明が難しいです。
さらに日本の雑貨屋や乾物屋なみに、古くからのDrug storeはここ10年くらい見かけない店になってしまい、
ここら辺りの混乱ぶりに輪をかけてるような印象があります。
(アメリカでも中南部とかは行った事無いのでわかりませんが)

ここら辺りは無いものは、無いとしか説明しようがない部分なのです(笑)。


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