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[1082] ショック療法 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/28(Sat) 20:09  

あそこまで行くともう理屈ではなくて、とにかくビックリして気がそがれた、みたいな世界のような印象があります。
ここら辺りは、当時の人に直接聞かないとなんとも言えない部分だと思いますね。


[1081] 逆に見れば 投稿者:ヒルネスキー 投稿日:2012/07/28(Sat) 12:45  

日本からみて、日本というシステムに最も致命的な兵器の存在が判明したから降伏した、という事なんでしょうか。


[1080] 最後の1発 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/28(Sat) 11:32  

日本側は知る手段がないわけですが、8月の段階だとあと1発完成していたはずなので、
降伏があれ以上伸びていたら…というのはあまり考えたくないですね。

アメリカの爆撃に関する妙な都市伝説は各地にあり、東京だと中央区の東側が焼けなかったのは、
米軍がキリスト教系の聖ロカ病院を避けたからだ、と地元の人は今でも信じてます。
が、当然、ルメイ指導の爆撃でそんなことはやってませんから、それは単なる偶然なわけで…。


[1079] 無条件降伏 投稿者:inomamo 投稿日:2012/07/27(Fri) 23:57  

原爆でしょうねぇ。

広島・長崎の次は京都で、その投下目標は梅小路機関区だった、
なんて具体的な話を知った時は、何度も訪れたことのある場所
だけにゾッとしました。(戦後の文化財保護だという世論誘導も)

本土決戦コースというシナリオで覚悟と準備を進めていた中で、
全く想定外の攻撃を受け、日本側としても、このタイミングで
降伏しなかった場合はどうなるか…となんとなく次を察していた
ような気がします。




[1078] 無題 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/27(Fri) 21:10  

ソ連の参戦も重要な要素ではありますが、降伏に踏み切った最大の理由は、やはり原爆でしょう。

日本の上層部がポツダム宣言の受諾を本気で最初に検討したのは、8月9日の朝から開かれた
最高戦争指導者会議ですが、これは本来、6日の広島の原爆投下を受けて開かれたものです。
この前日の8月8日には外務大臣の東郷が昭和天皇に対して、原爆について報告を行い、
その際、昭和天皇は東郷に対してポツダム宣言受諾への努力を求めています。
少なくとも、ポツダム宣言が出された7月26日の段階で、そういった動きはありませんでしたから、
事実上の無条件降伏を受け入れる、という覚悟が日本側に出てきたのは広島原爆の後ということになります。

その後のソ連参戦、長崎への2発目の原爆が最後のトドメになるわけですが、
やはり、ポツダム宣言受諾への最大の原動力になったのは広島の原爆に関する衝撃と見るべきでしょう。


[1077] Re:[1069] 問い合わせ 投稿者:ヒルネスキー 投稿日:2012/07/27(Fri) 12:29  

> なんだか連続して戦略爆撃の話に対する質問をもらいました。
> どっかで流行ってるんでしょうか?
多分ここからだと思います。
http://togetter.com/li/344972


> 具体的には最初にして最後の成功例なんですが(笑)、原爆が日本の“抗戦の意思”を破壊したわけです。
ソ連の対日宣戦・参戦によるソ連軍の侵攻で満州国が崩壊して後背地が無くなったから(なので日本の“抗戦の意思”も崩壊した)、
と思っているのですが……。
そのソ連の参戦時期を早めた(侵攻準備はほぼ済んでいた)のが原爆と。


[1076] アメリカの爆撃 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/25(Wed) 23:28  

あ、富嶽でしたっけ(笑)

おっしゃる通りで、アメリカの精密爆撃は、
やってる本人たちが思ってた以上の成果を上げてたりします。

例えば石油。
昔からアメリカ潜水艦によって外地から石油を輸送するタンカーが撃沈され、
その結果、日本の石油は枯渇した、という話をよく見ますが
少なくとも私はそういったデータを見た事がありません(笑)。

実際、戦後に日本の資料を基に米軍がまとめたグラフを見ると、
1943年から1945年2月位までその生産量は10%前後の低下に収まっており、
潜水艦による通商破壊の影響は小さなものしかありません。
が、製油工場への爆撃が本格化した1945年春以降から、
今度は数十%という勢いで生産が低下してゆきます。

1945年春は例のルメイ閣下が対日戦略爆撃の主導権を握り、
無差別爆撃に舵を切った時期ですが、実は一部の精密爆撃派がその仕事を続けており、
ここから石油精製施設への爆撃、関門海峡の機雷封鎖と
日本全体を本格的に締め上げてゆくわけです。

ところが意外にも、戦後のアメリカ側の調査だと、
日本中の石油工場を面積で見た場合、その消失率は10%を切っています。
それであれだけの減産が起きた、という事はよほどピンポイントで
正確に重要な施設を破壊していた事になります。

日本の場合、海から入ってくる石油の精製工場を
内陸部に疎開させるなんてできませんから、
これで日本の石油精製は息の根をほぼ止められることになるわけです。


[1075] Re:[1074] いろいろ 投稿者:inomamo 投稿日:2012/07/25(Wed) 22:35  

アナーキャさん

改めて『戦略空軍への道』の辺りを読み返してみました。
なるほどです。

私の地元には戦時中、プロペラ工場・製油所・航空無線機工場・
乾パン工場・飛行場など、いかにも爆撃目標になりがちな施設が
複数ありましたが、詳しく調べていくと精密爆撃で壊滅的に破壊
された工場と、そうでない施設のコントラストは見事なものでした。

無線機工場はつい最近まで戦前からの建屋で携帯電話を開発
してました。森永の乾パン工場も大正時代の建屋でマリービ
スケットを製造中。伊丹飛行場の損害はP51の機銃掃射程度。

その反面、プロペラ工場と製油所は更地に近い状態まで追い
込まれています。

昔ながらの爆撃理論なら、第一目標はまず飛行場、でしょうねぇ。

http://富岳ではなく富嶽でした…。


[1074] いろいろ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/24(Tue) 22:48  

婆裟羅大将さん、一応カタリナのつもりで書いてますが、
演出上、後部の天蓋の位置がえらく前になってます(笑)。

私、二式大艇の写真、まともに撮ってないのです(涙)。
居なくなる、と聞いた時期が当時の仕事のラッシュ時で、撮影に行けませんでした。
船の科学館、現在は補修費用がなくて閉鎖中ですから、
当時すでに経営はかなり厳しかったのでしょうね…。

そういや、プレーンズ オブ フェイムのゼロ戦がまた日本に来る、
ってな話を聞きましたが、飛ぶんでしょうかね。


inomamoさん、楽しんでいただけてるなら、何よりです。

日本陸軍がドゥーエの主張するところの戦略爆撃を行ったのは事実だと思います。
が、ここからが重要でして(笑)、ドゥーエ式の戦略爆撃で終わった
日本、ドイツ、イギリスと、そこから先に行ってしまったアメリカとの差があります。

その差が何か、というと、これがハロルド・ジョージが打ち立てた戦略爆撃理論なのです。
これが無かった日本とドイツは戦略爆撃では戦争を有利に運ぶことができず、
イギリスは何やってるんだか本人もわからないまま迷走して行きます。

ここではジョージが産み出した、国家中枢の破壊と、
その中枢部を見出す方法、が問題となるわけです。
この結果、とにかく爆撃してしまえ、というレベルから抜け出せ無かった国たちと、
抜け出してしまったアメリカの差が生まれてきます。

なので富岳が完成していたとしても、これを有効運用する戦略思想を
当時の日本陸軍は持っていなかったように思うのです。


[1073] 日本の戦略爆撃思想について 投稿者:inomamo 投稿日:2012/07/24(Tue) 22:18  

ソウル旅行記、楽しく拝見しています。

普通なら見過ごしがちな現地の普通の風景の面白さを丹念に拾っていて、毎度感心です。

ところで、話題に乗って、陸軍には戦略爆撃の思想があった、かも?というネタを投下してみます。

これは数年前に神戸の空襲に関するシンポジウムで聞いた話なのですが、本来国際法で禁止されている都市への無差別攻撃を正当化する理屈として『これは敵国首都への無差別爆撃に対する報復である』という論理があった、いわく、重慶爆撃であり、ロンドン空爆である。

これは蒋介石がアメリカで行ったロビー活動の成果として生まれた世論のようですが、事実だとすれば、日中戦争の頃の陸軍には戦略爆撃の思想があったということになります。(結果として上手くいきませんでしたが)

となると、米太平洋艦隊に痛手を与え講和に持ち込む、というのは海軍の考えで、陸軍の対米戦略としては、中島飛行機の富岳プロジェクトに乗って対米戦略爆撃を…という所に繋がるのではないでしょうか。

現実的な面では、どうにも陸軍が明確な対米戦略を持っていたようには見えませんが、一見荒唐無稽に思える風船爆弾を使った攻撃も、戦略爆撃思想の延長線上にあるように思いました。

しかしながら、今ひとつ、思想と実際の乖離が辛いところ。厭戦気分を煽る心理戦が戦略爆撃の範疇に入るのか、というのは良くわからずにいます。


[1072] PBY_カタリナですか? 投稿者:婆裟羅大将 投稿日:2012/07/24(Tue) 21:55  

夏向きの表紙絵になりましたね。

へたくそで暑苦しい飛行艇の写真貼っていきます。
写ってる女性も 水着でなくてすいません。

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/200803080000/

今月はCRJに乗れたんですが残念なことに雨で景色はさっぱりでした。

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/


[1071] ジョブス 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/24(Tue) 19:57  

ささきさん、大筋でその通りでしょうね。

ジョブスという人は、中途半端な技術者でありながら、
その知識を経営者として最大限に使った人のような印象があります。
ただし、アップル復帰前と復帰後では別人と考えた方がいい感じですが(笑)。

朝令暮改についてはジョブスさんも得意技としてました(笑)

この点は、例の盛田さんのMADE IN JAPAN に意見が変わらないのは停滞に等しい、
といった指摘があり、その影響があったのかもしれません。

もう一つ、彼がスゴイな、と思うのはアメリカ人経営者の中では、例外的に、
報酬に無頓着だったことかもしれません。

すでに大金持ちだったからかも知れませんが、それでもガメついアメリカのCEOは
会社が赤字でレイオフやってる最中に高額報酬を受け取って平然としてる連中が居ますから、
ジョブスさんはやはり特殊な気がします。

追悼メッセージで、この点を見習いたい、とした経営者が一人も居なかったのも印象的でした(笑)


[1070] エデンの園の林檎 投稿者:ささき 投稿日:2012/07/24(Tue) 17:12  

先進性で知られるApple社の製品群がそのイメージとは裏腹に、純技術的には
既存テクノロジーの寄せ集めであることは技術屋にはよく知られている話です。

しかし、それは必ずしも悪いことではありません。むしろ「何かを発明する」こと
よりも、「それがいかに便利なものかを人に知らしめる」ことのほうが難しい
ことも多いです。まして、その「便利さ」に対してお客さんが対価を払うように
仕向けることでビジネスとして成立させるのは非常に難しいことです。

英語では「インベンション(発明)」と「イノベーション(革新)」の違いだとよく
言われますね。自動車を発明したのはカール・ベンツでも、世間一般の人々が
自動車の恩恵に預かるようになったのはフォードT型が登場した後だし、
飛行機を発明したのはライト兄弟だけど、「便利な乗り物」として飛行機の
価値が世間一般の人々に受け入れられるようになったのはダグラス DC-3 が
登場したあとだ…みたいな話。

インベンションは技術の創造であり、イノベーションは価値の創造であるとも
言われます。そしてインベンションはイノベーションの一部ではあるけれど
決して同じものではないし、インベンションがイノベーションより偉いわけ
でもない。技術的に優れた製品がより平凡な製品に負けた例はコンコルド vs
ジャンボジェットだとか、βビデオ vs VHS だとか類挙に暇がありません。

ジョブス氏が居なかった 90 年代の Apple 社はまさに両者を混同し、やるべき
事を間違えたどん底にありました。「PC より Macintosh のほうが優れている」
と、PowerPC プロセッサの高性能を高らかに歌い上げ Pentium 相手にクロック
競争のチキンレースを仕掛けて敗北。「マルチメディアに最適」と DSP を積んだ
AV Mac を出したと思ったらすぐ引っ込め、「PC より簡単に使える」を売り文句に
Performa を出したと思ったら数世代で打ち止め、音声認識や手書き認識を
華々しく打ち出しては使い物にならなくてすぐ引っ込め、オブジェクト指向の
新 OS Corpland構想をぶち上げた挙句に開発失敗…。

今から考えれば時代を遥かに先行した、そして先行しすぎた独自技術の
「インベンション」に膨大な開発費を投じ、まだ使い物にならないうちに
性急に市場投入しては悪評散々な結果で引っ込めてしまい、せっかくの芽を
自ら摘み取るという愚行の繰り返しでした (-_-;)

私は別に古くからの Apple ユーザーでもなければ Apple シンパでもないつもり
ですが、朝令暮改を繰り返しては自ら墓穴を掘ってゆく Apple 社の自滅ぶりを
「あーあ…」と思いながら冷ややかに眺めておりました。
三顧の礼を尽くしてジョブス氏が戻ってきた後、大鉈を振るってダメ製品を
バッサバッサと切り捨て、iMac で経営を立てなおしたあと iPod で起死回生の
大ヒット(そして、従来の「パソコン商売」とは全く違った利益構造の確立)に
成功するわけですが…ジョブス氏が確立した iPhone/iTunes の成功体験に
浸りきってしまうと、「OODAループの落とし穴」に引っかかってしまうん
でしょうね。かつて 90年代 の Apple が「PC より優れたパソコンとしての
Macintosh」にこだわって迷走したように…。



[1069] 問い合わせ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/24(Tue) 15:24  

なんだか連続して戦略爆撃の話に対する質問をもらいました。
どっかで流行ってるんでしょうか?

で、それら全般に対しての基本的な誤解として、戦略爆撃は戦術ではありません。
戦略です。
なので、敵軍にどうやって勝つか、なんて事は全く考えてなく、
相手の国家中枢(基幹工業と交通網)を直撃して国家基盤そのものを破壊し、
敵の抗戦意思をくじいて国家を直接降伏に追い込むことを目的とします。

具体的には最初にして最後の成功例なんですが(笑)、原爆が日本の“抗戦の意思”を破壊したわけです。
経済破綻や軍事力を衰弱させるのは、その前段階でしかなく、
最終的に相手の抗戦意思をくじかないと総力戦には勝てません。
最も、その前段階をやるにしても、戦略爆撃は非常に有効ではあったわけですが。

この点において、アメリカの太平洋艦隊に痛手を与えれば、講和にもちこめるんじゃない?
と考えていた日本という国家の上層部の皆さんは、あまりに子供だったわけです。
第一次世界大戦を体験しなかったゆえの悲劇かもしれません。

そもそも、その日本自身、あれほどヨレヨレになった1945年8月に至っても陸軍の抗戦派の方が圧倒的に優勢でしたから、
原爆ショックが無ければあと半年以上は戦争が続いてたでしょう。
抗戦意思を砕く、というのは思った以上に困難な目的だったりします。

この点、ドイツに関してはベルリン陥落まで抗戦意思をくだけなかったので、
ある意味、中途半端に終わるのですが、戦後の戦略爆撃レポートで示されるように、
これによってドイツ軍の抵抗力が大幅に落ちることで、結果的に戦争終結を早めています。
これも戦略爆撃の効果ではある、とは言えるでしょう。

とりあえず対ドイツ戦では準備不足もあって、最終目標の一歩手前まで、敵の国家基盤を衰退させるまでで終わり、
日本において、原爆を含め初めてその完成形にまで至った、という感じでしょうか。

戦略爆撃のキモは敵の抗戦意思の破壊であり、これはクラウゼビッツが発見して以来、
総力戦の最大のポイントとなっているわけです。
それ以前では、敵の軍隊を破れば勝ちだったわけですが、
総力戦になると、相手の抗戦意思をくじかない事にはどうしようもないわけです。

ちなみに、戦後、マクナマラ殿下がルメイ憎しのあまり、あちこちで吹聴して歩いた
戦略爆撃無用論は、この命題をすり替えて、経済効率、コスト
といういかにもマクナマラらしい論点で戦略爆撃を論じています。
未だに、この話を鵜呑みにしてる人は多いです。
が、結局、彼の戦略方針は核ミサイルによるソ連中枢部の破壊ですから、
なんの事は無い、自分も同じ事をやっていたわけですね。
ついでにマクナマラが批判したのは対戦後期のルメイ&アーノルドの無差別爆撃であり、
ジョージたちが立案した精密爆撃ではないのにも注意が要ります。

ただ、より低コストで、より多くの人を殺せるよ、というだけの問題で、
その本質は、ルメイもマクナマラもそう変わりません。
逆に言えば、マクナマラですら、相手の国家中枢を直接破壊する、というアイデアは否定してないのです。

実際、誤解されやすい戦略ではあるので、ただハロルド・ジョージのみが、その本質を理解していた、とも言えます。


[1068] 慣れ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/22(Sun) 01:12  

慣れてしまうと、意外に簡単にできちゃうのです(笑)。
かなり手を抜いてますから、10分前後でほぼできます。

色に関しては誉めていただくとなんだか照れますが、
とにかく原色を避ける(印刷物だと狙ってやる事がありますがRGBのモニタなどでは絶対に避けた方がいいです)
といった基本的なルールを守るだけで、意外にそれっぽいものはできてしまいます。




[1067] Re:[1066] 造り方 投稿者:まめ 投稿日:2012/07/21(Sat) 18:15  

詳細にご説明いただきありがとうございます
フォトショップで悪戦苦闘の末さきほどなんとかそれらしい
ものが完成し、要領はつかめた感じです。
しかしアナーキャさんは、さりげなくあの地図を貼っている
感じがして意外に簡単にできるのかもと考えていたのですが
こんな手間のかかるものだったのですね(笑)
それと、アナーキャさんの色彩感覚と微妙な造形の才能
ほんとうに感心させられます。特に色使いの妙が。


[1066] 造り方 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/20(Fri) 21:22  

地図の作図に関しては、そんなに難しいことは何もしてないのですが、
最低限、フォトショップ系統の画像加工ソフトの知識が要ります。
ここは大丈夫、としてそこから先の説明だけしますね(笑)。

私の場合、Photoimpactという台湾製のソフトであらゆる画像を作ってるのですが、
これはちょっとマイナーなので、以下はフォトショップ系の操作で説明します。

1.地図を用意します。私は以前、仕事で使っていた白地図データ集から持ってくる事が多いですが、
 Googleマップを画面キャプチャーして使うこともできます。

2.選択ツールのマジックワンドで陸地の部分を選択します。
 Googleマップからのキャプチャーの場合、陸地は文字や線だらけで、マジックワンドの自動選択では
 拾いきれないので、周囲の海をマジックワンドで選択、そこから選択範囲を反転して陸地部分だけを選びます。
 その場合、Googleマップからのキャプチャーだと地図中の文字が海にはみ出してる事がありますから、
 これを囲い込みの選択ツールで全て外します。海の中に文字がある場合も同様です。

3.その選択した陸地部分を、塗りつぶしツールで好きな色にしてから、レイヤーに変換します。
 後はレイヤーのメニューからシャドー(影)を選んで、好きな大きさで影をつけるだけです。
 文字は普通にテキストツールで打ち込みますし、線もツールで引っ張るだけです。
 
4.色に関してちょっとだけ触れておくと、自主発光媒体、つまりモニタなどで使える色はRGBの光の3原色で、
 赤、緑、青の3つの色を256階調で合成して再現しています。
 例えばR:255(0からなので255で256段階) G:0 B:0 なら赤(実際はかなり派手な赤みの色。magentaではなくred)
 だけの色になりますし、R:100 G:0 B:100なら紫(これもかなりキツイ色)、
 R:255 G:255 B:255の全色全開で白となります。
 ちなみに全色0だと黒ですが、これは本来、発光体では再現できない色で、
 単にその部分の発光部を消して、周囲より暗くすることで表現します。
 ついでながら、印刷の3原色では逆に白が表現できず、これは紙の白い部分で表現してます。
 なので白くない紙ではキチンとした色再現は不可能なのです。

 で、基本的に色を使う場合、彩度、明度という点を考える必要があり、要するにドギツクならないようにします。
 ここら辺りは、ある程度まで経験と勘なんですが、色を作る場合、
 必ず三色の混合にする、数値が50以下の濃い色は可能な限り避ける、
 といった辺りで、基本的にはなんとかなると思います。

 といったところがわかれば、あの位の地図なら、誰でも作れるはずです。




[1065] 地図作成ソフト 投稿者:まめ 投稿日:2012/07/20(Fri) 06:31  

アナーキャさんの作画テクニックにはいつも感心させられて
ますが中でも地図の作画が素晴らしい。具体的には、
http://majo44.sakura.ne.jp/trip/12seoul/05.html
の薄青の韓国の地図なんかです。色と陰影が絶妙です
これはいったいどういうテクニックを使って作成されてるの
でしょうか?私も作って知人を驚かせたい(笑)
ヒミツでなかったらぜひご教示ください


[1064] すごい 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/15(Sun) 12:55  

3連休前から15%以上アクセス数が減って、海外からのアクセスが通常の3倍になりました(笑)。
皆さん夏休みを満喫されてるようですね。
私は上野公園夏祭りで、炭坑節のライブを聞いたりして過ごしております…


[1063] 観光 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/13(Fri) 20:42  

コビッキーさん、やはりアメリカはいろいろありますね(笑)。

悪魔たちの塔は昨年の映画、宇宙人ポールでもイギリスのオタクコンビが目指す最終目標で登場してました。
ICBMのサイロが数箇所で公開されてるのは知ってましたが、これ国立公園扱いなんですね。
ICBMの話をやる前に、一度くらいは訪れてみたいとこですが…。

出前が遅れたら無料ってのはアメリカでもあるというのを、初めて知りましたが、
30分以内に着弾しなかったら、ソ連から確実に反撃が飛んできますから、次は無いような気がします(笑)。


[1062] ミニットマン 投稿者:コビッキー 投稿日:2012/07/13(Fri) 12:10  

先週、人並みに観光地にも行ってみようと、Mt. Rushmore(大統領
の顔が彫られた岩山)とDevils Tower(未知との遭遇)を目的に、
サウスダコタに行ってきました。
ところが空港の観光案内で「Minuteman Missile NationalHistoric
Sight」というパンフレットを見つけてしまい、日程の半分はそっち
に使うはめに(笑)。
地下9mの発射室の厚さ80cmのドアのブラックジョーク「World-wide
delivery in 30 minites or less. Or your next one is free」には、
さすがに呆れました。
この施設を昔、管理していたEllesworoth AFBの見学ツアーにも参加
したところ、訓練用ミサイルサイロの中にも入れて、予想もしていな
い充実した旅行となってしまいました。

http://www.nps.gov/mimi/index.htm


[1061] なんと 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/12(Thu) 22:22  

coniさん、情報どうもです。
そういや王宮周辺には一度も行ってませんでした…

バンコク辺りに入った、とすると戦国末期あたりからだと思いますが、
あるところにはありそうですね。
バンコク三度目の訪問ができそうなら、ちょっと見に行きたいと思います。


[1060] バンコクにいっぱい 投稿者:coni 投稿日:2012/07/12(Thu) 22:00  

バンコクにある王宮の博物館の武器コーナーに、日本刀が大量かつ無造作に置いてありました。
私はタイ語はおろか英語もおぼつかないので、
いつ頃のモノかよくわからなかったのですが(そもそも詳しい説明書きもなかったような)、
拵えは質素な感じで、一般の兵士が普通に使っていたのではないかと思いました。
それとは別で王様の持ち物の中に、華美な拵えの日本刀とサーベルのセットがありました。
おそろいのラメ入りの鞘で、印象深かったので覚えてます。



[1059] 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/11(Wed) 22:48  

やはり、普通に考えればそうなりますかね。

ただ、鋼(玉鋼)は別に輸出されており、なんでわざわざ刀にして?というのが疑問だったりします。
バラストにするにも、ただのカタマリの方が都合がいいでしょうし。

明の時代、福建省沿岸に居たいわゆるチャイナ倭寇、なんちゃって倭寇の皆さんが、
俺ら倭寇だから、日本刀使わないとな、それもそうだな、的に使ってたんじゃないか、
と個人的には思ってるのですが、現地の博物館のホームぺージとかを見ても、そういった遺物は残ってないようで…


[1058] 日本刀 投稿者:ヒルネスキー 投稿日:2012/07/11(Wed) 21:29  

鉄製の道具の原材料として輸出されていたそうです。
硫黄の鉱石は脚荷(“あしに”と読むんですねこの二文字)を兼ねて売られていたとは本で読みました(中国が宋だった時代?)。
中国は中国で陶器を紅茶を運ぶ際の脚荷にしていたとか。
となると日本刀も脚荷を兼ねていた?とも思いましたが情報は無しです……。


[1057] しまった 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/10(Tue) 22:03  

今回の記事をアップしてから気づきましたが、南大門への突っ込みは次回になります…

追伸 
ロスで戦艦アイオワの一般公開が始まりましたが、これ西海岸の上に、電車でいけるという、
日本人にとって非常にありがたい施設のような感じです。
うーむ、そう来たか…


[1056] Re:[1055] それは 投稿者:まめ 投稿日:2012/07/10(Tue) 20:40  

むう、やはりそうですか
私もなんか違うんじゃないかという気はしてました(笑)


[1055] それは 投稿者:アナーキャ 投稿日:2012/07/10(Tue) 20:28  

相手がループを回す前にこちらの行動段階に入ってしまう、
という不意討ち先制攻撃の典型ですね。
これもOODAループで説明できる話ですが、ループの高速化という考え方を必要としないため
それほど関係が深いというものではないように思います。


[1054] oodaループの理解 投稿者:まめ 投稿日:2012/07/10(Tue) 17:33  

いまひとつよく解っていないのですが、昔読んだ坂井三郎氏の著作「ゼロ戦の真実」(だったかな?)の中に、「空戦の極意は素早く敵を発見し気が付かれないうちに背後に回り
陶物切りで墜とす。巴戦などやるのは愚の骨頂だ」という
記述があるのですが、ひよっとしてこれはoodaループの考えに通ずるものがあるのかな?なんて思ってますがどうなんでしょ?


[1053] 生めん 投稿者:coni 投稿日:2012/07/07(Sat) 05:33  

婆娑羅大将さん
ありがとうございます、
韓国では生めんの方が珍しいのですね。
何か歴史的な経緯があるのでしょうか?


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