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[1388] チョコレート 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/19(Tue) 21:04  

ヒラオさん、M&Mはラスベガスに博物館がありまして(笑)、
そこの展示で、こんなに溶けない!という具体例がいくつかあったんですが、
帰国後、試してみたら、全部キッチリ溶けました、という経験があります(笑)…

ヒルネスキーさん、おっしゃってる事の意味が少々わかりかねますが(笑)
少なくとも開けた空間の空中の水蒸気から蒸気爆発が起こるというケースは聞いたことがありませんし、
原理的にもありえないでしょう。
通常、水蒸気爆発が起こるのは、火山の内部、原子炉といった密閉された空間にある水分で、
(コップの水に溶解した鉄を落としても近い状態にはなりますが)
水蒸気の膨張が簡単に拡散してしまう空気中ではありえません。
今回の話は、隕石内に密閉されていた水分(氷)が爆発した可能性がある、という事です。


[1387] Re:[1383] 戦争の食事 投稿者:ヒルネスキー 投稿日:2013/02/19(Tue) 20:46  

> そうなると最後の衝撃波は隕石中の氷(水)による水蒸気爆発だろうか、という話

加熱した鉄球を水中に入れると……のアレなんじゃないでしょうか。
加熱した鉄球→隕石、水中→大気中で、隕石の水蒸気で膜ができていたのが
隕石にブレーキがかかって熱が減ったので水分の瞬時の蒸発が始まり爆発へ、という。


[1386] 一粒300m? 投稿者:ヒラオ 投稿日:2013/02/19(Tue) 00:01  

チョコレートですけど…

高温で溶けないチョコレート、といえばM&Mではダメなんだろうか?と思って調べたら、アレも元は兵隊さん向けとして作られたもののようですね。
シュガーコーティング、中のチョコだけ溶けてぶよぶよになったりしないんでしょうか。

それと、覚せい剤入りのヤツですが…
そういうのが入った「チョコ」があったというのは初めて聞きました。
一部で噂されているように、某有名菓子メーカーが作っていたんでしょうか。
チョコの中に混ぜていた、となると、そのウワサの信憑性がますような気が。




[1385] チョコレート 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/18(Mon) 22:20  

深いですねえ、チョコレート(笑)。
コンビーフにチョコレートは、カロリーとたんぱく質
を効率よく摂ってしまう、という点ではハンバーガーより効率よさそうですね。
…登山以外、日常生活でやったらあっという間に肥満でしょうが(笑)。


[1384] 全くの余談でありますが 投稿者:CONI 投稿日:2013/02/18(Mon) 21:49  

今を去ること20年ぐらい前に、
父が仕事で中国に行き、お土産に中国製のチョコレートをもらってきたのですが、
これがまさしくチョコ味の蝋燭というか、口の中がネチャネチャになる代物でして…
カカオバターが高価なためなのか、高温対策なのかはわかりませんが、
おそらくカカオバターの代わりに変な油脂を使っていたのではないかと。
米軍使用のチョコバーもそんな食感だったのでしょうか。

さらに余談ですが、父が若いころ富士山に登ったら、アメリカ兵が手ぶらで登ってきて、
昼食にポケットから大きなコンビーフの缶とハーシーの板チョコのデカいのを出して、
そのままモリモリ食べて、登山を続けていたそうな。
なんかいろんな意味で「負けた」と思ったそうです。


[1383] 戦争の食事 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/18(Mon) 18:39  

哲セさん、湾岸戦争の時は調理機材と人員が最後まで揃わなかった、という部分があったようですね。
メーカーによって味の差があるってのも興味深い話です。

隕石は公開された映像を見る限り、飛行中の衝撃波が確認できないので、高度1万メートルを切った後は、
よほど小さくなっていたか、音速ギリギリくらいの速度しか出ていなかったか、どちらかだと思われます。
そうなると最後の衝撃波は隕石中の氷(水)による水蒸気爆発だろうか、という話になるんですが、
そうなるとなんで地上付近まで発生しなかったのかが謎となります(大気圏突入直後の温度で十分発生する)。
衝撃波の専門家というのは、世界でも決して多くはないので、解明には結構時間がかかりそうな気がしてます。

五反田猫さん、ハーシーが造ってましたか。
つーか、このトロピカルもスピットファイアと同じ、南方戦線のトロピカルなのか…。
そういや羊羹は中国戦線の日本軍でも結構、人気だったと言う話を読んだ記憶があります。


[1382] Harshey's Tropical Bar 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/18(Mon) 06:59  

米軍仕様のチョコバーは食べた覚えがあります。
確かに、蝋燭のような雰囲気だったような...

製造元のHP記載によれば、砂漠仕様は90年に出来て91年に製造中止になっていますので、よほど評判が悪かったのかもしれません。
http://www.hersheyarchives.org/essay/details.aspx?EssayId=39

日本では非常食用に、メリーチョコが出しているものがありますが、これは美味しいですね。
虎屋の小型ようかんも、非常食に良いです。
どちらも保存期間は1−2年程度なのが、少し残念ですが。




[1381] 食いしん坊万歳 投稿者:哲セ 投稿日:2013/02/17(Sun) 23:22  

本来なら、前線でも食事はちゃんと調理されたものが支給され、MREは作戦
行動中の非常食に近い扱いで、保存と携行性、摂取カロリーを優先コンセプト
としているようですから味については二の次でもいいでしょうけど、第2次湾岸
戦争のイラン侵攻時には、長期間MREのみを連食した部隊もあるようですから、
そりゃあいやにもなるでしょうねえ…。
また、同じメニューであっても、生産メーカによって味がだいぶ変わるようで、
民間に流れてくる場合でも、メーカによって値段が変わることもあるそうです。

戦時中の融けないチョコは確か、燕麦粉などの混ぜ物追加とカカオバターを融点の
高い脂肪分に置き替えたり、砂糖を結晶化させたもんだそうで、チョコレートの
旨さである口どけの滑らかさの全くない、チョコ味のするロウソクと揶揄される
ものだったそうですが、現在流通しているのは製法が全く異なっていて、かなり
おいしいそうですが。

あと、ロシアの隕石は途中で爆発分解したため数回の衝撃波が発生したんじゃな
いかと憶測が出ていますね。


[1380] MRE 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/17(Sun) 20:26  

量の問題は1日の消費カロリーからこれ以上はダメ、となったようですが、
味の問題は最後までもめたようで、MRE(meals ready to eat/調理済食料)の事を
Meals Refused by Ethiopians/飢餓に苦しむエチオピア人にすら受け取り拒否された食料、と呼んでいたそうで…。

高温で溶けないチョコっていわゆるストーンチョコがそうだと聞いた事があるんですが、どうなんでしょう。
覚醒剤入りチョコは…カフェインとの相乗効果ですごい事になりそうですね(笑)。

余談。
ロシアに落っこちた隕石、あれの衝撃波はスペースシャトルと同じく、
飛行時の前後衝撃波だと思ってたんですが(ゆえに2回)、YOUTUBEの映像を見る限り、全く別物でした。
なんで最後の最後にあれだけ広範囲の衝撃波が複数回起きたのか、
レポートが出てくるのは1年くらいかかるでしょうかね。


[1379] レーション 投稿者:CONI 投稿日:2013/02/17(Sun) 11:13  

「ミリメシ」関連の書籍を読むと、
アメリカのレーションは他国に比べて不味い
という評価が一般的ではあるものの、
それなりに研究を続けてだいぶ改善されてるとか。
やっぱり量の方に不満が出るのでしょうか。
個人的には湾岸戦争の時に開発された、
高温でも融けないチョコレートって、一度食べてみたいです。
余談ですが私の母が子供の頃(戦時中か終戦直後かわかりませんが)、
親戚のヤミ屋のオジサンから日本軍の軍用チョコをもらって、
家族みんなで分けて食べたら、
実はパイロット用の覚せい剤入りチョコで、
家族全員一晩中眠れなくなったとか。


[1378] 食事 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/16(Sat) 22:51  

くさのさん、そう考えると南北戦争は近代戦の入り口として、意外に重要なポジションにある気がしますね。
食の執念、といえば、湾岸戦争で現地の兵員から最初に出た苦情がレーションがまずくて量も少ない、
だったらしいですから、確かにそうかもしれません(笑)。

五反田猫さん、アメリカ人の食事量に関する執念は確かにある気がします。
特にポテトはフライだろうがマッシュドだろうが、スゴイですよね、あれ…。
食品の消費税に関してはイギリスも安いのですが、
あまり肥満の人は見なかった印象があるので、文化的な差なんでしょうね。


[1377] アメリカの食 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/16(Sat) 22:29  

>アメリカ人は食(質ではなく量)に対する執念が異常に強いのかも

これは、仰るとおりだと思います。
欧州や日本では、レストランでは食べ物は適量が出てきます。
アメリカでは、一番 食べる人の量に合わせて出さないと、まともな店として見られないそうです。ですから、何でも量が多いですよね。 また貧富の差はありますが、食料品は税率を下げ、非常に安いのです。 量だけで考えれば$5のビュッフェは、ざらにあります(笑)



[1376] 経験はある 投稿者:くさの 投稿日:2013/02/15(Fri) 23:32  

南北戦争のときは、ノースカロライナには十分食料があるのに、バージニアの前線ま
では輸送できず、南軍兵士が飢えてた、とか海上封鎖によって最後は物資事自体が
不足した、という事態は生じています。

合衆国陸軍がこれを研究したかは知りませんけど。

あと、アメリカ人は食(質ではなく量)に対する執念が異常に強いのかも。


[1375] 兵站なくては外にも行けない 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/15(Fri) 21:00  

アメリカ軍は世界標準、という印象があるので、
つい基準としてしまうのですが、あれは極めて特殊な軍隊なんですよね(笑)。

アメリカ軍が兵站、というか物流網を重視した最大の原因は、
そうしないと戦争ができないからだと思っております。
なにせ、アメリカ大陸から出て行かないと戦場がないわけで(笑)、
アメリカから出てゆくには船やら飛行機で物流網を作りあげて、
兵隊から砲弾、食料まで全部送り出す必要があります。
これができないと開戦もできないわけです。

ただ、これをあそこまで上手くやってしまったのが文化的な背景なのか、
経験地の差なのかがよくわからない所なのです。


[1374] 素人だから 投稿者:くさの 投稿日:2013/02/15(Fri) 01:34  

米軍がロジ重視というのは素人軍隊だからではないでしょうか。

WWII前の米陸軍の常備兵力は小さく、戦時動員によって一気に拡大する方法を
とっています(近隣に敵らしい敵がいないという恵まれた環境にあったためです
が)。したがって兵の訓練は十分ではなく、浸透戦術など採用できません。TVド
ラマや映画では軍曹レベルの軍人が活躍しますが、WWIIの米軍歩兵は敵の前線
を突破することはあまり期待されておらず、敵の火点をみつけ砲兵に報告すること
が主任務でした。で砲撃によって火点をつぶす。

当然、戦術的な「効率」は落ちるわけですので、それを補償できるだけの後方支
援システムが必要になってくる。日本や欧州諸国と違って、工場そのものに対す
る攻撃はまずないですし、原料も多くが自前で調達できますので、生産計画は立
てやすいですしね。あとは輸送システムをつくってやればOK。

独軍や日本軍は森があれば「すり抜ける」ことを考えますが、米軍は「森に道を
作る」訳ですからね。戦術的には効率は悪い(コストが高い)です。

逆に戦術コストを考えたベトナムやイラク戦争では、必ずしも上手くいっていないような気がします。

ちなみに南北戦争は鉄道が使われた最初の戦いではないですが、専用の軍事鉄
道が敷設された最初の戦争でした。


[1373] 補給 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/14(Thu) 23:13  

CONIさん、なるほど、やっぱりそういう面があるんでしょうね。

五反田猫さん、仕事量(馬力&W)で考えてもトラック圧勝ですから、確かに強力だと思われます。
ベトナムの枯葉剤やナパームは、ベトコン側の輸送ラインの破壊が目的ですが、
それ以外にも、ベトコン輸送対策では妙な作戦が多いですね、アメリカ軍(笑)。

Alphabetteさん、確かにシステム全般で見る必要はあるでしょうね。
アメリカが第二次大戦開始のときにまずやったのはリバティーシップの建造と、
世界規模の空輸ネットワークの建設ですが、これはハード面もさることながら、
それを支える組織の運用が極めて優秀だった、という面がありました。
つーか、ルーズベルトって変なとこで妙な才能があるんですよね、あの人。


[1372] アメリカを基準にするのは(汗 投稿者:Alphabette 投稿日:2013/02/14(Thu) 16:52  

輸送手段よりも兵站のシステムのほうが問題かと。いくらトラックあっても兵站駅の能力が低けりゃそれ以上の補給はできませんし


[1371] アメリカの物流 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/14(Thu) 09:03  

アメリカ軍の強さは、物流の強さでもあると思います。
FeDexも、DHLも米国系ですが、あの時代に佐川やクロネコの輸送力があれば、日本軍も善戦できたのでしょう。

皆さんがお書きになっているように、二次大戦からトラック輸送が普通です。トラックの凄さは長距離輸送でも積み替えが不要な点です。馬匹の場合は、夜は荷卸しで馬手入れば必要で毎朝 再度馬載の必要があります。
燃料の補給は、馬匹でも6頭辺りに飼料用駄馬が2頭必要な事を考えると、大元の燃料が確保されていれば大きなデメリットとは思えません。
但し、道路が必要な点は明白で、だからころフィリピンでもブルを入れて、ジャングルに道を作り、その上で進軍してくるのですね。 

フィリピンの場合は、日本が「決戦」だと考えていたので、ジャングルを切り開き、所定の場所で決戦すれば終わりました。
ベトナムでは決戦がありませんので、ジャングルを全て切り開かない限り、今までの戦いが出来ません。
仕方なく、枯葉剤をまいたり、ナパームで焼き払おうとしてけれど、自然を相手には限度があります。供給元への攻撃は政治的に不可能になので、今までのやり方は通じなかったのですね。 砂漠の場合は、そのようなストレスが無かったので、ヒャッホーな気持ちだったと想像します。


[1370] 無題 投稿者:CONI 投稿日:2013/02/13(Wed) 22:14  

最近の話題で思い出したのですが、
私の父方の伯父(故人)は大戦中は輜重兵で、
日本軍の輜重兵に対するの評価の低さに、
常々不満を漏らしていたそうです。


[1369] 兵站戦 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/12(Tue) 22:50  

そう考えると、アメリカ軍の強さってのは感じますね。
第二次大戦の時も、朝鮮戦争の時も、さらには湾岸戦争でも、
兵站輸送に関しては、見事に組織化して物資を送り届けてますね。
ただし、ベトナムは調べてないんで、ようわかりませんが(笑)。

広大な大陸で物流網を築いた経験があった、という地理的な背景の差なのか、
何らかの文化的な違いなのか、調べて見ると奥が深そうですが、
大変そうなので、私は手を出さないでおきます(笑)。


[1368] フィリピンの輸送 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/12(Tue) 11:58  

くさのさま
仰る通りで問題は輸送ですね。
フィリピン決戦時も、机上では必要な師団(輜重含む)は揃っています。
但し、問題なのは輸送船が沈められ船腹が足りなくなった19年以降です。一畳辺り6名の三段蚕棚で兵員輸送(中隊で6坪)、これはドイツのユダヤ人収容所懲罰房よりも劣悪な環境で、門司港から迂回航路で7日間かかりました。
こんな環境ですから、馬はバタバタ死に、後は馬も積まず「輸送は現地で何とかせい」になりました。
決輜重部隊や砲兵がそんな状態で、机上の計算では必要な師団を送ろうが、現地に着くのは潜水艦の攻撃を逃れた一部部隊や、海没で設備無き輜重部隊です。

大方針はルソン決戦とレイテ決戦の間を揺れて、それに伴う部隊、糧秣、弾薬の再配置は、ほとんど進まず、現地では港近くに砲弾、食糧が余っているのに、部隊には届かない状態が発生しました。 これが、現場の「ボロトラックでもあれば」という悲痛な叫びになります。

そんな現地の状態を無視して「員数だけ」考えれば、大本営は決戦に必要な師団は送った、フィリピンの備えは鉄壁になります。これは官僚によるお役所仕事の典型と思います。

一方 現地では、方針変更による部隊、糧秣、砲弾の移動は、人力では進まず、港付近には砲弾や糧秣もあるが、決戦地域の舞台には届かず、まともに戦わないままに餓死の危機との戦いになります。


[1367] 問題は輸送 投稿者:くさの 投稿日:2013/02/12(Tue) 09:49  

日本軍の場合でも、一応必要量は計算されて、準備されている
と思うんですよね。ところが必要とされる場所への輸送ができ
ない。もっともこれは日本に限ったことではなく、ドイツの東
方作戦においても同じようなことが発生しています。

『Gパン主計ルソン戦記―戦場を駆けた一青年士官の青春』と
いう本を読むと、資材の偏在がひどく、かたや餓死寸前、別の
地区では食料がありあまっている様子が伺えます。

戦国時代の豊臣秀吉の軍でも、拠点までの輸送は秀吉の責任で
行なっており十分な量は確保されているのですが、そこから戦
場までの輸送は各大名の担当となっており、戦線が拡大すると
問題が生じています。朝鮮の役などはその典型例で、釜山に大
量にある食料などを、ソウルまで運ぶことすら困難でした。


[1366] 馬の戦争 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/10(Sun) 20:32  

五反田猫さん、日本軍の兵站も調べると気が滅入りそうで、
あまり近づかないようにしたい気がしてます(笑)。

作家である石川達三さんが昭和13年、武漢攻略戦に従軍した時の
従軍記として、武漢作戦という本があるのですが、確か補給部隊がメインの話だったはず、
と引っ張り出して久しぶりに読んでみました。
これによると時速10kmも出ないながら、かなりの数のトラックが動員されていたり、
後部補給基地には、軍馬専門の獣医将校がいて、さらに負傷した馬のリハビリ牧場のようなものまである、
とされていますから、このころまでは、ある程度の組織的な兵站が存在したのかもしれません。

婆裟羅大将さん、ご指摘どうもです。
おっしゃる通りですね。以後、気をつけます。

私などが力の大きさにKgfを使うのは、日常の10kgとかの大きさにより
その量が直感的に理解しやすいから、という部分があります。
その分、計算がややこしい事になりますし、全体の単位が面倒になってしまいますが、
それと引き換えにしても、普段の感覚で理解できる単位を取ってしまう、という部分がある気がしてます。
学術的にやるなら絶対SI系の単位だと思いますが、東大の内燃機関の大家の人で、
徹底的にSI系を嫌ってた人が確か一人いたような(笑)…。

軍馬の飼育は、意外に情報がない分、もし聞けたなら貴重なお話だったかも、という気がします。
先にふれた武漢作戦によると、危険な戦場に出ない分、軍馬の担当はうらやましがられた、
ただし、本人たちは非常に不本意に感じていた、といったような事が書かれてましたが。


[1365] チカラの単位、馬の事など 投稿者:婆裟羅大将 投稿日:2013/02/10(Sun) 18:57  

アナーキャさん
>600kgの遠心力と、10kgの質量に懸かる100m/ssの力はどっちが大きいの、という質問なら後者ですが。

前者は約6000N、後者は1000N ですから前者の方が6倍大きいかと。些細なことですいません。

ところで私は1956年生まれですが義務教育、その後の教育でもチカラの単位として ニュートンを基本として習っています。kgfも知識としては習いましたけどね。
まあ機械系の大学行った人と、会社勤めで加速度単位系から重量単位系に矯正された人もいますが、今は会社も機械学会も加速度単位系と言うか、SIが標準になっています。
機械学会、応物学会論文もチカラをニュートンと書いてなければ受理されまへん。
ダインもステーヌもkgfもポンドもダメなのよ。
自分より若い人がどうして義務教育で習わない単位系を使うのか不思議に感じます。
(あ、婆裟羅は物理系と言うか計算機系の大学なのね)


ところで 義父が軍隊では馬の世話してました。みなさんのお話聞くと苦労したのか、暇になってしまったのか(笑)、聞いてみたかったな。
もう故人なので無理ですが。

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/


[1364] トラックがあれば 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/10(Sun) 07:15  

そうなんです。 フィリピン決戦の体験者の記録を読むと、オンボロトラック3台(ガソリン付)があれば、大隊総出で死ぬ思いの肱力搬送1週間が、半日もあれば終わるのにと悲痛な思いが綴られています。 ルソン島ー>レイテ決戦ー>結局 レイテが主戦場と、様々な計画変更に、現地部隊は毎日必死の右往左往した挙句に、疲れ果て、必要な場所には弾薬も食糧も無い状態で戦わず衰弱死しています。

始戦の快進撃では、十分な準備をして、馬にトラック、装甲車までついた捜索連隊に自転車まであったから、困らなかったのですね。 加えて相手が、本国から輸送が途絶えた植民地部隊でした。 

主題のOODAループの回転速度は、機動(輸送)能力に、大いに比例するのだと思います。 なぜか日本軍は、始戦の勝利で、それを無敵皇軍スロ−ガンに置き換えて、気づけないまま大敗北したように思えてしまいます。


[1363] 輸送システム 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/09(Sat) 22:26  

五反田猫さん、情報どうもです。
日本軍の物資運搬システムは本格的に調べたことがないのですが、
こうして見ると、馬に頼りきってますね。

馬の重量と体積から各種船舶に搭載できる数は当然限られます。
そこからさらに死病数を引いた頭数、つまり現地に生きて届く数の総数が
軍が投入できる単純に輸送機関としての仕事量(=馬力)の総量ですから、
これは内燃機関積んだトラックとかに比べると、絶望的に効率が悪そうです。
重量あたりでも4倍から5倍、体積で言ったら10倍以上、効率が悪いんじゃないでしょうか。

そもそも、馬がかわいそうですね、これじゃ。


[1362] 砲兵馬 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/09(Sat) 17:43  

帝国陸軍の軍馬の話で、自分なりのまとめです。
昭和13年に出た陸軍の軍馬生産計画では毎年の生産目標を
下記のようにしました。
乗馬    一万二千頭
砲兵輓馬  二万四千頭
戦列駄馬  三万六千頭

乗馬は、言わずと知れた将校用、馬が3頭居れば飼料輸送に駄馬が1頭必要なので、単純計算でも乗馬+砲馬3万6千頭の飼料を運ぶのに1万二千頭の駄馬が必要で、他の輸送に使えるのが2万4千頭なのです。 この計画で、最後まで足りなかったのが砲兵輓馬で、これは重馬種の馬が必要で日本では従来いなかった種類です。 六頭立て砲車では、後馬に重馬を用い、これがハンドルとブレーキの役割を果たします。 重馬が居なければ、スムーズな砲車の移動が出来ません。
それ以外の馬も、西洋種の調達は進まず、満州事変で戦闘が始まると軍馬はバタバタと戦死し、一般農耕馬を無理やり徴用します。 これには問題があり、例えば上海派遣軍の機関銃小隊独山一輜重隊300頭のうち、廃斃馬21、重病馬217頭が出ています。結局、人間以上に娑婆の馬は戦場に適応できません。 結局、歩兵・砲兵とも、馬が欠なら、肱力搬送です。 
南方は更に酷くて、輸送船の中で衰弱、ほとんど使い物にならないので、19年以降は馬なし。このため、現地では糧秣すらまともに輸送できず、大量の餓死者を出すのですね。


[1361] 追加 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/09(Sat) 16:21  

遠心力の話で追加質問をもらったのでちょっとだけ。
ここら辺りはいつかやる予定(涙)のICBMの話で詳しく説明するので、今回は簡単に。

質問は、航空機に懸かるGは遠心力と違うのか、という点でした。
答えはもちろん、違います(笑)。これは二つの点から別物です。
なのでボイドの説明は、本来“正しくない”のです。

一つは、遠心力はその名の通り力であり、単位はkgです。
対してGはGであり、単位もGです(笑)。そもそも別物なのですね。
ただGは重力加速度を基準値としない場合は、単なる加速度となります
それでも単位はm/ss(メートル/秒の2乗)ですから、やはり別物です。
例えば600kgの遠心力と100m/ssの加速度はどっちが大きいの?と聞かれても答えようがありません。
600kgの遠心力と、10kgの質量に懸かる100m/ssの力はどっちが大きいの、という質問なら後者ですが。

ただし、遠心力の計算式、質量×角速度×角速度×半径から
質量を抜いてしまえば、実は加速度になります。
なんで?というとえらく長い話なので省きますが(ICBMの時やります)、
これは円運動を慣性系座標から見た場合の円の内側に向う加速度の計算式の変形だからです。
実は、連載記事中に出てきたGの計算式の上部分、真対気速度×角速度の計算式も、
その変形に過ぎませんから、両者はGの加速度部分の計算式と同じになります。

じゃあ、加速度で見たら、同じなのか、というと、これも違いまして(笑)、
加速度のかかる方向、ベクトルが逆向きなのです。
つまり、旋回中の飛行機なら、内側に向う力、すなわち傾けられた主翼から生じる揚力がGの加速度であり、
対して回転系座標で存在する遠心力は外向きの加速度となります。
航空機には、エンジン推力、主翼と尾翼の揚力以外に加速を与える要素はないので、
この外向きの加速度なんてものは、実在しません。
それは回転系から見た、慣性の力、見せ掛けの力なのです。

よって、遠心力の計算から、Gの加速度と同じ数字を得る事もできますが、根本的に別物です。
ご注意あれ。


[1360] 馬と戦争 投稿者:アナーキャ 投稿日:2013/02/08(Fri) 22:18  

くさのさん、確かに騎兵が先なら要らないかもしれません。
旧約聖書時代のエジプト、ペルシャ、バビロンは戦車天国ですが、本格的な騎兵が登場すると
その運動量についてゆけず、どんどん衰退して行ったような印象があります。
中国の場合ははっきりしませんが、北方の騎馬民族にやられちゃったんじゃないかなあと思ってます。

余談ですが、湾岸戦争の時のアメリカ軍人さんの発言は、やけに南北戦争にちなんだものが多く、
日本人にはわかりにくい部分が結構あります。
教養あるなあ、と思ってたら、当時のテレビドラマで大ヒットしてたのが南北戦争ものだったのだとか(笑)。
これも歴史の一面でしょうか。

五反田猫さん、車軸受けの部分は、そういやアッシリアだかヒッタイトだかが、
初めて鉄製にして、これがあの辺りの敵を一掃してしまうほどの新兵器になった、
という解説を英国(大英)博物館で読みました。
そんなものかな、と思ったんですが、なるほど、意外に重要なんですね。


[1359] チャリオット 投稿者:五反田猫 投稿日:2013/02/08(Fri) 07:12  

日本の場合は、くさのさんが仰るように馬と挂甲が一緒に入りました。(出土例から明白)挂甲は大鎧に発達しますが、これは騎射に特化した鎧です。 鎌倉期から大鎧が消え胴丸になるのは、歩兵による集団戦に移るからです。

一方で戦車の出土はありませんね。 車、そのものが日本では発展せず、平安期になり牛車が出てきたくらいです。 この問題点は軸受け部分の「轂」の強度が上げられなかった。あれだけ車輪径を大きくして回転数を落として、低速で動いても、この部分が破損して動けなくなる話が良く出てきます。 戦闘用となれば、馬の速度ですから無理ですよね。 結局、高速で動ける車は、江戸末まで出てきませんから、日本には馬車牽引はないといえます。 一方でヨーロッパでは、三十年戦争からナポレオン戦線まで、砲と弾薬を戦場に早くもって行くのが勝利の方程式になり、重馬が開発され 複数馬で牽引する砲騎兵が完成していました。


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