[5345] 戦術 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/18(Sun) 15:21
- 上杉VS武田は資料が無いうえに天下の徳川家の名誉もかかって無いので、
江戸期の軍学家を名乗るマヌケさんたちによって好き勝手に創作されてる可能性が高いです。
よって私はあまり興味がないのです。
[5344] 車掛の陣 投稿者:うどん 投稿日:2020/10/17(Sat) 20:48
- いまロシア、シリア、ウクライナで戦車小隊をぐるぐる回して連射するタンクカルーセル戦術というのが採用されとるそうなんですが、つまりこれが上杉謙信の車掛の陣、というやつなのかも。上杉軍の逸話もほんとかなあと思うけど、戦車がグルグル回る動画もほんまかいなとしか思えんです...
[5343] 地図 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/14(Wed) 20:23
- すぅさん、情報どうもです。
国土地理院地図、しばらく見てないうちにこんなに進化していたとは…。
これはいいですね。次の桶狭間戦で使わせてもらおうと思います。
[5342] 無題 投稿者:すぅ 投稿日:2020/10/14(Wed) 12:09
- OODAループの面から長篠の戦を分析しているのはとても見事で、楽しく読ませていただきました。この分析と統合での差が最終的にとんでもない差になってしまうのがすさまじいですね…。経験則まで武田側に著しく不利に働いている(働くように仕向けてしまった)のもすごいです。。。
さて、ご参考ですが、最近ネットで見れる国土地理院地図が加工も含めてすごくやりやすくなったので、ご紹介しようと思いました。
もしご存じであれば忘れてください。
今までは見るだけだった地図に図形書き込んだり、距離の計測したり、複数画面で見比べたり、3Dで出力したり、断面図を作ったりができるようになっているのです。
地理院の利用規約的にも割と利用しやすい感じです。
今まで私は加工できるというその1点で、海上保安庁の作っていた海洋台帳改め海洋状況表示システム「海しる」を好んで利用していたのですが、新しくなった地理院地図が極めて使い勝手良かったので…。
(海しるもかなり面白いので、もしご興味があれば覗いてみてください。)
リンクも貼っておきますので、ご確認ください。
基本的に国内だけですが、例えば今回の様な記事の場合、Google Earthより使いやすいのではないかと思いまして。。。https://www.gsi.go.jp/
[5341] すみません 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/14(Wed) 11:00
- あ、いや当時の人間による信頼できる記録を探しております。
申し訳ないですが、後世に推測で書かれたものは、私は資料として採用してないのです。
[5340] 無題 投稿者:ウイリー 投稿日:2020/10/14(Wed) 09:57
- 一部だけ判明しました。コンラッドタットマン 日本はどのようにして森を作ってきたのか内、記念構造物の為の木材代採圏の変遷 (築地書館)。
CRI(長谷工総合研究所刊)
後は忘れてしまいました。
[5339] 江戸 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/13(Tue) 15:17
- 了解しました。ただ家康、意外なまでに江戸に居ない人なんですよね(笑)…
[5338] 無題 投稿者:ウイリー 投稿日:2020/10/13(Tue) 11:38
- 江戸に本腰を入れるきっかけでした。秀吉による強制については承知しております。文献資料は探してみます。
[5337] いろいろ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/12(Mon) 20:32
- 通行人の一人さん、ご指摘どうもです。でもまあ、どうでもいいですね(笑)。
人名や地名とかと違って絶対的な正解の表記が存在しない、慣例表記ですし。
ウイリーさん、家康が江戸に移ったのは秀吉に強制されたからですよ。
また、戦乱期の伐採は確かにありえますが、実際にはそのような文献を私は見たことがありませぬ。
[5336] 無題 投稿者:ウイリー 投稿日:2020/10/12(Mon) 17:02
- 土木関係の資料で見た記憶ですが、家康が江戸に移るきっかけは戦国時代の城、砦、戦乱による建築需要により大坂、京都当たりの森林が軒並みはげ山となり、治水トラブルが多発。よって天領として森林保護、植林による河川維持、耕作地の維持を行った。後年、街道整備による宿場町興隆の為、街道周辺は木賃(薪代)稼ぎではげ山となったようです。
[5335] Formula 1の省略形 投稿者:通行人の一人 投稿日:2020/10/12(Mon) 12:42
- ずっと気になってたので書かせてもらいます。
自動車レースFormula 1の省略形はハイフンも空白も入れない“F1”です。
これを“F-1”とハイフン入りで書いて論評するのは、軍用機関連で喩えればミリオタ気取りの人間がMDが開発した傑作戦闘機Eagleの型式を“F-15”でなくハイフン無しで“F15”と書いたり、その動力であるP&W開発のA/B付きターボファン・エンジンの型式を“F100”でなくハイフンを入れた“F-100”とか空白を入れた“F 100”と書くのと同じレベルの恥ずかしい間違いです。
[5334] 伐採 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/11(Sun) 23:25
- まあ、そのあたりは、明確な論拠が無いまま推測で語ってもしょうがないですね。
[5333] 長篠の戦い 投稿者:うどん 投稿日:2020/10/11(Sun) 22:43
- 浮世絵にはげ山がいっぱい描かれている一方、木を切れば治水などがめちゃくちゃになるので、現地の地形を分析すればはげ山だったかどうかわかるのかもです。キツツキ戦法が失敗してたら武田軍はワンチャン機動戦で...てのも考えにくいので、命をかけてお城を守ったスネ夫的な名前の人がヒーローだと思いました。
[5332] 桶狭間 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/11(Sun) 09:33
- そこらあたりを説明すると、とても長くなります(笑)。
桶狭間もまた典型的なOODAループの戦いであり、現地を歩いて無いので、やや微妙なところもあるのですが、
とりあず、次の記事で取り上げる事にしましょう。
そこで一通りの説明をしますので、それまで少々お待ちを。
[5331] 桶狭間の今川軍 投稿者:はしだ 投稿日:2020/10/10(Sat) 21:51
- 織田本隊が戦闘配置を整えて向かってきているのに対し、今川本隊は最後まで不期遭遇戦みたいな戦に終始してしまった、のですね。
義元の、その日の目的地は、鳴海城か大高城だったのでしょうか。
沓掛城を出発したら、どう進んでも丘陵地帯の間を抜けることになるので、通ることはやむを得ないとしても、抜け駆けの予告まであったのだから、もう少しマシな場所で戦闘配置しろよ、ということでしょうか。
(刈谷市民なので、境川の向こう側の、名古屋市緑区、豊明市、東郷町、日進市あたりが延々と続く丘陵地なのは承知しています。)
そして、その今川軍が戦闘配置をすべき時間に雹交じりの嵐になったのが、信長の只ならぬ天候運なのだ、というのがアナーキャさんの主張なのかな、と想像してみました。
[5330] 桶狭間 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/10(Sat) 19:10
- 誰も見たことが無い江戸期の人里周辺の話がどこまで信用できるのか、という問題は怪しいように私は感じます(笑)…。
実際、ベアトの写真集などを見る限り幕末期でも集落周辺の山は今と変わりませんから。
桶狭間の話は今川義元は桶狭間に入った段階でダメだろう、という事です。
現在の中京競馬場駅周辺の土地ですが、もっとも見通しが効かない谷間であり、
信長公記が述べているように当時は田んぼと湿地で大軍が身動きを取れない土地でした。
その直前に、織田家の佐々勝通、千秋四郎の奇襲を受けていながら、なぜそんな場所に、という事ですね。
[5329] リンク先訂正 投稿者:はしだ 投稿日:2020/10/10(Sat) 18:30
- こちら↓でした
http://www.wound-treatment.jp/next/dokusyo/214.htm
[5328] Re:長篠のお話(と桶狭間の話) 投稿者:はしだ 投稿日:2020/10/10(Sat) 17:59
- 月夜の話ですが、
リンク先を以前から拝見しており、それによると、江戸期には人里近い低山はススキだらけのハゲ山だったそうです。
険しさは一級品でも人里にはごく近い長篠の周辺の低山ですから、戦国期でもハゲ山だった可能性は低くなさそうです。
さて、前回の長篠のシリーズで、
>まあ、桶狭間でも、この長篠でも、敵がマヌケだった、とういう面も大きいのですが(笑)…。
と書かれていたのが気になっていました。
藤本正行著「桶狭間の戦い 信長の決断・義元の誤算」(洋泉社)での信長公記のまとめを信じると、太田牛一は今川軍をマヌケとは書いていなかったようなのですが。
(長篠の武田軍のマヌケぶりを露わにしたのも、太田牛一の記述ではなくてアナーキャさんの分析なのではありますが)
午後の妙な時間に信長本隊が出てきたのを認めながらも、大高城に下がらせた家康を呼び出さなかったところがマヌケ、だったのでしょうか?http://www.wound-treatment.jp/next/book_10.htm
[5327] 長篠のお話 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/10(Sat) 09:33
- はしださん、ご感想、ご指摘、ありがとうございます。
すみません、秋葉街道とごっちゃになってましたので修正しました。
確かにこんなところを天竜川が流れてませんね…
今回は触れなかった月齢、おっしゃる通りで、信長の着陣は満月を狙ってるように見えますから、
おそらく夜間行動は大前提だったと思います。
ただ、森林限界以下の天然林の中だと満月でも怖くて歩けなかった、
三人しかいなかったのに、しょっちゅう仲間を見失った、という個人的な登山の経験があり、
さらなる低高度の森林で果たして軍団が月明りで山中突破ができるか、という疑問を感じたのです。
この辺り、渓谷沿いにいに進んじゃえば、十分可能だと思われるのですが、
信長公記でも三河物語でも山中突破とされてます。
当時の人はもっと夜目が効いた、ある程度開けた、月明りで視界の効く程度に伐採された道があった、
等の可能性もあり、実際、月が出たから明日は晴れると判断しての決行だったと考えるのが自然ではあります。
もうちょっとこの辺りは考えて見て、もし以後、なにか気が付くことがあれば後ほど修正させてください。
[5326] 長篠の戦 投稿者:はしだ 投稿日:2020/10/10(Sat) 00:44
- ここには初めてお邪魔します。
以前の長篠の戦のまとめも見事と思っていましたが、今回の分析には、それ以上に感服しました。
ささいなところですが、今回分の2頁目の下の方に天竜川とありますが、これは豊川ですね。飯田線はもう少し先で豊川沿いから天竜川沿いに乗り換えます。
あと、以前の分で思っていたことですが、陰暦21日というのも注目していいように思います。真夜中少し前から、半月よりも大きい下弦の月が出ます。月が明るければ、夜明けまで無灯火での移動も可能だと思います(宇連山近くの棚山高原で山中野宿しての感想です)。信長側の「天」には「下弦の月」も入っていたのではないでしょうか。
[5325] 宣伝 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/04(Sun) 21:04
- いや、ホンダの場合、そこにレースがあるから参戦する、
参戦した以上は勝つ、がその生きざまだったのです。
利害関係でやってたんじゃないんですよ。
変わってしまったな、というかもうあれはホンダじゃねえ、という感じですね。
[5324] F-1 投稿者:N K 投稿日:2020/10/04(Sun) 20:17
- その昔はレースが市販車の改良にもつながり、レースでの活躍が販促にもつながりました。昔はレースでの成果を新聞の全面広告で誇示していました。しかし今では車が余りにも普及して単なる道具となり、レースと市販車はかけ離れた存在で、ビジネスとしては続けるインセンティブがないのでしょうね。
[5323] F-1 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/02(Fri) 22:55
- 関係者の発言から、まあそうだろうな、と思ってましたが、
社長の一度でも優勝できたから目標達成の言葉を聞いて、
そりゃこれ以上、参戦を続けても無駄だろうな、と思いました。
戦う前からトップが負け犬根性ではではどうしようもなく、
金輪際、ホンダの車は買わねえ、という思いがしております。
まあ、社長が変わったら再検討はしますが(笑)。
[5322] ホンダF1撤退 投稿者:まさふと 投稿日:2020/10/02(Fri) 22:39
- 悲しいお知らせが・・・
ホンダ「フォーミュラ・ワン世界選手権への参戦終了について」https://www.honda.co.jp/news/2020/c201002a.html
[5321] 理由 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/02(Fri) 22:14
- そこらあたりをキチンと調べたことが無いので断言は避けますが、おそらく逆でしょう。
新兵器であるスパローを使いたくて仕方ない、海軍と空軍を抑え、
万が一の事故が起きて世論の反発が起きるのを抑えたいジョンソンかマクナマラが、
この交戦規定をねじ込んだ、と考えるのが自然だと思います。
[5320] 無題 投稿者:あまぐも 投稿日:2020/10/02(Fri) 15:32
- 返答ありがとうございます。
マクナマラ等が最初にこの交戦規定へ介入してなかったとしても目視外戦闘は禁止されてた可能性が高いって事ですね。
この目視外戦闘禁止の切っ掛けとなった誤射事件でもあったんですかね…。
[5319] 宣伝もかねて 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/10/02(Fri) 12:35
- せっかくなので便乗宣伝しますと、問題の史上最悪の交戦規定、
Rules of Engagement (JCS 7947)は
今回の増刊にも主要部の全訳と解説を載せてありますので興味のある方はどうぞ(笑)
JCS 7947の発効が1964年8月、すなわちアメリカの直接介入直後ですから、これが「目視のみ」の最初の規定です。
そして交戦規定はすべてのルールの上に立ちますから、これがある以上、スパローは目視距離の外からレーダー誘導で撃てない、という事です。
といっても、この時代に目視距離の外から撃てる兵器はスパローくらいですから、
事実上、この交戦規定はスパロー対策であり、それは上層部が同士討ちを恐れた結果だ、という事になります。extra@majo44.sakura.ne.jp
[5318] ベトナム戦争時のスパローミサイルと交戦規定 投稿者:あまぐも 投稿日:2020/10/02(Fri) 10:09
- スミソニアンの旅行記を見ていたら、F-4ファントムとスパローミサイルの紹介のところで「当初、同士討ちを恐れて相手を目視で確認するまで使用禁止とされてた」とありました。
2017年に増刊号されたベトナム戦争とベトナム戦争におけるアメリカ空軍の基礎知識では、その時の交戦規定にはジョンソンやマクナマラが深く関わっていて政治的な配慮があったと書かれています(なぜそこまで深く介入してきたかの理由は忘れてしまいました…)。
当初のスパローミサイルの目視外使用禁止は交戦規定とは別に決められていて、交戦規定が無かったとしても目視外での使用は禁止されてたと言うことですかね?
それとも初めは交戦規定のせいでミサイルの目視外使用が禁止。同士討ち云々は後付けの理由でしょうか?。
[5317] 追いかけたら息切れする横浜 投稿者:アナーキャ 投稿日:2020/09/30(Wed) 22:49
- 横浜の住宅街、確かにすごいですね。
親戚が港北ニュータウンがニュータウンになる前からあの丘陵部の一帯に住んでます。
よって今ではちょっとした地主なんですが(笑)、子供のころ遊びに行って
こんなタヌキとキツネしか居なさそうな場所にニュータウンとか絶対嘘だと思ってました。
それがわずか10年ほどでニュータウンはできる、商業施設は巨大なのが来る、
地下鉄は通る、とほんとに化かされてるような発展をして驚いたものです。
今でも当時でも、ここでは自転車には乗りたくないな、という一帯ですが。
新横浜とか、今では高層ビルまで建ってますが、昔は駅構内で誰にも発見されなかった
白骨死体が出てくるような街だったんですけどね
[5316] 横浜 投稿者:すぅ 投稿日:2020/09/30(Wed) 12:42
- 横浜は黄金町から京浜東北線以西の大岡川の三角州は一番ディープなところで面白いですよね。
ただ個人的な横浜な景色というと、横浜周辺とその衛星都市にまたがった急峻な丘陵地帯に永遠と広がる新興住宅地のイメージが強いです。街道沿いから枝道を出してその上に碁盤の目を地形を無視して作っているので、私は歩くと迷うし気持ち悪くなるのですが、それが横浜というイメージが強いんです…。。。そしてその手の丘陵地に開墾された住宅地というと日本でも最大規模だと思っています。埼玉とかだともっと平坦ですしね。