掲 示 板
[トップに戻る] [留意事項] [ワード検索] [管理用]
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照先
投稿キー (投稿時 投稿キー を入力してください)
パスワード (記事メンテ用)

[1976] 国会議事堂 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/03/05(Wed) 08:18  

いつも本旨と関係無い話題に食いついて済みません。

国会議事堂の設計は、公募案から大きく変わっているのですが、そのまとめをしたのは、武田五一だと思います。
原案からの大きな違いは、中央部の塔が、ハルカルナッソスの霊廟みたいなものに変わっている点です。
とある人が、武田五一になぜあんな墓たいなデザインにしたのかと聞いたら、政治家は命を懸けて活動し、ここを死に場所だと思ってほしいからだと答えたそうです。
当時は、浜口首相暗殺、226など、軍事テロが盛んな時代で、設計者として政治家に覚悟をもとめたのでしょうね。

ちなみに、NHK朝ドラ『ごちそうさん』に登場した京大の建築学教授は、武田五一がモデルのようです。
建築はかくあるべしというこだわりの描写は、特徴的です。


[1975] ワシントン市街戦 投稿者:くさの 投稿日:2014/03/05(Wed) 06:01  

小規模な戦いであれば、実はワシントン郊外でも戦闘は発生しています。1864年のスティーブンス砦の戦いですが、調べてみたら中心から北に10km程度ですね。なにせ1864年ですから、南軍はDC攻略のための十分な兵力を有しておらず、他の戦域の北軍を惹きつけるための囮のようなものでした。

リーはDC攻略の意図はもっていなかったようですが、北軍は当初よりリッチモンド攻略をオプションとして考えています。マクレラン将軍は開戦初期にオハイオから川を下ってのリッチモンド攻略を提案しています。これは技術的問題で却下されましたが、自身がポトマック軍司令官に就任してからは、水陸共同作戦でリッチモンド近郊に大軍(ポトマック軍全軍)を上陸させる計画を提案しました。しかしリンカーンはDCに対する脅威となる敵野戦軍撃破を望んでおり、あーだこーだしている間に南軍がその意図に気づいてしまいます。結局リンカーンも作戦には同意するのですが、DC防衛のために一部を残すことになり、さらに南軍が防衛戦を敷いてしまったので、リッチモンド直前ではなくバージニア半島の先端への上陸となってしまいました。結果としては北軍は敗退してしまいます。

まあ、リンカーンがマクレランの提案を受け入れていれば南北戦争は1年で終わったのかもしれませんが、逆にいえば文民統制が効いていた訳ですね。


[1974] RAF Museum行ってきました 投稿者:tada 投稿日:2014/03/04(Tue) 23:09  

はじめまして。

最近、こちらのページを発見しまして
とても興味深く読ませていただいております。

こないだUK出張ありまして、
時間があったのでRAF博物館に行ってきました。
こちらのロンドン旅行記を大いに参考いたしまして、
お礼をいいに書き込みした次第です。ありがとうございます。

私も一人で行動していたのですが、
ほとんど話しかけられることがなかったので、
アナーキャさんがよく話かけられるのは
人徳がにじみ出ているのではないかと思われます。

私のつたないブログを参照先にいれておきます。
また、記事中にこちらのリンクを入れさせていただいたので
合わせて連絡いたします。

http://minkara.carview.co.jp/userid/1845785/blog/


[1973] アメリカン 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/04(Tue) 22:52  

くさのさん、情報どうもです。
開戦直後のほとんど無血占領みたいなものでしたか。
あの辺りで最大の河川港湾でもありますから、重要拠点だったんでしょうね。

敵の首都を目ざさず、敵戦力の殲滅を優先したのなら、リー将軍、
当時最先端のクラウゼビッツを読んでいたんでしょうかね。

五反田猫さん、なんか私が行ってから公共機関停止するわ、
大雪で麻痺するわ、あの街には申し訳ない気がしております…(笑)。
大陸側のヨーロッパにも似たような店がありますか。
となると、アジア以外では意外に普遍的な店舗なんですかね、ドラッグストア。

ささきさん、昔Crazy for を少し下品にするとNutsになる、
と聞いたことがあるので、ニュアンスとしてはそんな感じでしょうか。
あ、あれハロウィンのグッズでしたか。
9月だったので油断しておりました。なるほど、ならば不思議はないですね。


[1972] ナッツ! 投稿者:ささき 投稿日:2014/03/04(Tue) 14:24  

ロックコンサートなどで観客が熱狂することを「Go Nuts」と表現することはありますね。
そこから派生して、いわゆる追いかけのような熱狂的なファンを「Nuts」と呼ぶことも
あるようです。
…まぁ、英会話で我を忘れるほど熱狂はしないでしょうけどね。

あと、CVSのショーウィンドウに置かれた死神はハロウィングッズです。


[1971] 日本でも 投稿者:Alphabette 投稿日:2014/03/04(Tue) 13:54  

実際案内するときは何通りを東に向かって信号何個めかのコンビニがある角を曲がってとかいいますな。住所じゃわからないから地図使って説明することになりますし。飛び地になってる住所とかそうじゃないと絶対わからんですし


[1970] DCは大雪 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/03/04(Tue) 11:40  

ワシントンDCは、大雪みたいですね。

未明に米国東海岸との電話会議の予定があったのですが、会社に出られないから中止という連絡がありました。
公共交通も止まって、政府系機関もクローズしているみたいですね。

http://www.washingtonpost.com/local/heavy-snowfall-expected-to-hit-dc-region/2014/03/03/3ca81aa4-a2bb-11e3-8466-d34c451760b9_story.html

>ドラツグストア
ヨーロッパですとAPOTHEKEが似ていますかね。
化粧品、日用品などもおいています。
ドイツ:APOTHEKE
スエーデン:APOTEK

厳密にいうと、ドイツでは市販薬のみはDrogerieと言い、処方薬対応がApothekeらしいのですが(笑)
ヨーロッパは、コンビニ、スーパーの類が少ないので、薬屋が日用品を扱うのが多いようです。


[1969] アレクサンドリアは北軍に占領されていました 投稿者:くさの 投稿日:2014/03/04(Tue) 07:11  

アレクサンドリアは確かにバージニア州にあり、またオレン
ジ・アンド・アレクサンドリア鉄道の終点でもあります。こ
の重要性から南北戦争勃発直後に北軍が占領してしまいまし
た。DCの一番近くで行われた戦闘は、アレクサンドリアから
西に40km程度離れたマナサスの戦い(北軍呼称はブルランの
戦い)と思います。1861年と翌1862年の2回の戦いがあり、い
ずれも南軍が勝利しました。

1861年の戦いに勝利した南軍ですが、追撃には失敗し付近を
占領することで満足しました。しかし、北軍がバージニア半
島に上陸してきたため、それに対応するためにマナサスは一
旦放棄されます。その後1862年に南軍が奪い返すのですが、
そこからDCには向かわず北のメリーランドに軍を進めまし
た。そしてアンティータムで両軍が激突するのですが、ここ
では北軍が勝利、リンカーンは奴隷解放宣言を行います。こ
れにより、英仏から国家承認を得るという南部の戦略は崩壊
し、実質的に南部の敗北が運命づけられたとも言えます(戦
争自体はそれからも3年間続きますが)。




[1968] そもそも 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/04(Tue) 00:45  

ドラッグストアが日本語としてどこまで普及してるか、
それは日本全国で同じような店舗か、という問題がまずありますね(笑)。
それがマツモトキヨシ系の店を指してるなら、アメリカのpharmacyとはかなり違うものになってます。

厳密に言うと、本来より薬局専業に近いのがpharmacyで、
簡易薬局とでも言う店にタバコ屋が合体し、ジュースや雑誌などを置いた店がDrug storreです。
(昔はアメコミもこの手の店で買えました)
ところが、近年のアメリカではコンビにの様な店に薬品売り場を併設した店が、
pharmacy を名乗ってしまうため、両者の区別が極めて分かりにくく、
なおかつ、やはり日本では近い雰囲気の店はないでしょう。
厳密な意味でのpharmacyは、日本でも病院の側にある薬局みたいな店なんですが、
ここ10年くらいで増えてきたpharmacyはちょっと説明が難しいです。
さらに日本の雑貨屋や乾物屋なみに、古くからのDrug storeはここ10年くらい見かけない店になってしまい、
ここら辺りの混乱ぶりに輪をかけてるような印象があります。
(アメリカでも中南部とかは行った事無いのでわかりませんが)

ここら辺りは無いものは、無いとしか説明しようがない部分なのです(笑)。


[1967] 上手くまとまらないのですが 投稿者:ヒラオ 投稿日:2014/03/04(Tue) 00:02  

そういえば近所にある地場大手の大賀薬局というドラッグストアは、看板に「Ohga pharmacy」と書いてあったなぁ…と思って調べてみたのですが。

ファーマシー=(日本でいう)ドラッグストアでよさそうですね。

まず前提として、記事中に出てくるCVS/pharmacyってのは大手チェーンの名称らしく。
本来はCVSが正式名称で、薬局を併設してたらpharmacyがつけられるんだとか。

日本でいうドラッグストアも、もちろん薬局が中にありつつも、食品や日用品、化粧品等が売り場の大部分を占めてますから。営業時間も長いし。

「pharmacy」という単語が、本来どのような店舗をさしている言葉なのかはよくわかりませんけど。まあ、時代とともに変わるもんでもありますし。

五反田猫さん、なるほど、日本でも似たような事(価格の差)はありますね。
日本マクドナルドのサイトを見たら、値段が書いてない…という事は今はもう日本でも地域で価格が違うってことなんでしょうけど…差は小さいでしょうね。


[1966] 変圧器 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/02(Sun) 19:44  

Alphabetteさん、私が知る限り、アメリカにおけるガンダムの知名度はほとんどゼロなので、
勘違い以前の次元で留まってると思いますよ。

sskさん、情報どうもです。
ここまで来ると私にはついて行けない細かい世界ですが(笑)
日本では100万個以上売れたんですか。
海外版の生産期間はかなり短そうですから、ある意味、貴重な展示だったのかもしれませんね。



[1965] 無題 投稿者:ssk 投稿日:2014/03/02(Sun) 01:15  

当時の経緯を調べ直して見た所、バンダイのサイトに関連記事を見つけました。

第3回 オリジン・オブ・バルキリーのオリジンを探して(前編)
http://archive.tamashii.jp/t_kokkaku/t_kokkaku.php?eid=00003

第4回 オリジン・オブ・バルキリーのオリジンを探して(後編)
http://archive.tamashii.jp/t_kokkaku/t_kokkaku.php?eid=00004

玩具関連の個人サイトの情報によると、タカトクの倒産により国内の販売チャンネルを失った
製造元のマツシロが海外に販路を見出そうとした結果、トランスフォーマーとして売り出だすことになったようです。

そしてアメリカで玩具の発売にこぎつけたものの、その後ロボテックとしてマクロスが放送されることになってしまい、
そのままのデザインではアニメに登場させられなくなり、改めてデザインしなおされて
ジェットファイアーが誕生したそうです。

バルキリーに似てはいけない、でも先行して発売された玩具の面影がなくてはいけないという
ジレンマはこのような経緯で生まれたようです


[1964] ごちゃごちゃだと 投稿者:Alphabette 投稿日:2014/03/01(Sat) 21:44  

ガンダムもロボテックだと思ってるアメリカ人さんもいるかもしれませんね


[1963] 金型 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/03/01(Sat) 20:18  

あの写真から金型の種類まで分かるんですね(笑)。
となると、日本で造って輸出してたって事ですか。


[1962] 流れ流れて 投稿者:ssk 投稿日:2014/03/01(Sat) 01:05  

>五反田猫さん
似てるというか、右側の大きい方はマクロス本放送時にタカトクトイズから販売されていたモデルそのものです。
スネのボタンを操作するとダイキャスト製のランディングギアがスプリングアクションで飛び出し、
もれなく指先を直撃するステキギミック搭載です。
タカトク倒産前後に金型が売却されて、他社で流用されたようです。
ちなみに現在、金型はバンダイの手に渡って再々生産で無事にバルキリーとして復活販売されています。

左の小さい方がタカラ版ジェットファイアですね。
バルキリーに似すぎてちゃいけない、離れすぎても何じゃこりゃ?になってしまうという
デザイナーの苦心の跡が仄見える傑作だと思います(笑)



[1961] アメリカーナ 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/02/28(Fri) 22:07  

ヒラオさん、アメリカの物価上昇が異常なのだと思いますね(笑)。
あらゆる物が値上がりしてましたから。
あの国は1970年代にインフレでエライ目にあってるんですが、
何がこういう方向に駆り立ててるのやら。

五反田猫さん、そういえば1ドルメニューは見なかったですね。
以前は何箇所かで見かけた1ドルショップも今回は見かけず。
観光地と高級住宅街ばかり見てきた、という部分もあるかも知れませんが…。

ささきさん、ご指摘のとおり責任の所在を分ける計画設計者と運用側の区分けは難しい問題です。
これは私にも善悪の区別がつかない部分です。

が、幸か不幸か兵器の開発と運用に関しては、この点が比較的明白に分類できるので、
私個人としては責任がどこにあったかは判別可能と考えてます。
あくまで私個人としてはですが(笑)。

その責任者側の自己弁護と自慢話が基になってる話に関し、客観的に否定できるものは
とりあえず全てツッコミを入れておこう、というのが私の基本方針です。
おなじ間違いを今後も誰かにやられちゃたまらん、と思うので。

この点は相手が日本人に限らず、アメリカ人だろうがイギリス人だろうが変わりません。
ドイツ人とイタリア人は言葉がわからないので、陪観してますが(笑)。

マクロスがそんな事になってるとは知りませんでした(笑)。
かつてサモハン キンポーの映画を日本では勝手に
ミスター ブーというシリーズにまとめてしまってましたが、
あんな感じですかねえ…


[1960] ロボテック 投稿者:ささき 投稿日:2014/02/28(Fri) 11:54  

アナーキャさん、ご返答ありがとうございます。趣旨は理解いたしました。
逆立ちしても勝てそうにない国力と科学技術力の違いからあえて目をそむけて
対米全面戦争を仕掛け、そのツケを最前線の兵士に負わせた日本政府・日本軍の
(ひいては日本国民の)愚行については私は何ら否定するものではありません。
その断罪というか総括が「東京裁判」というかたちで一部の軍政府関係者に
集約され、東京裁判を逃れた人々が免罪符でも手にしたかのことごとく
「俺は間違っていなかった、軍部が悪かったんだ」と、実体の曖昧な
「グンブ」が悪かったことにして知らぬ顔を決め込んだということも。
ただ、それを上から目線で「お前らも同罪だろ、というかお前らが悪かった
んだろ?」と指摘したところで、何が変わるわけでもないという思いも
あります…。


マクロスはアメリカでは「ロボテック」という一連の作品群に取り込まれて
いますね。マクロスの後釜番組・超時空騎団サザンクロスや、直接関係の
ない機甲創世記モスピーダも一緒になって一連のエピソードとしてロボテックという
枠内で語られたのだとか。それが今度はトランスフォーマーと融合ですか…。
まぁアナーキャさんならご存知のように、アメコミの世界観分裂や融合、
新設定の追加、都合の悪いエピソードも黙殺はよくあることですから…(笑)


[1952] 日米の違い 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/02/28(Fri) 07:11  

アナーキャさま

せっかく、細かく書いて頂いたのに、却って理解が出来ずに済みません。 ジェットファイヤーが、どのくらいバルキリーに似ているかが微妙な感じだったので、変な質問をしてしまいました。 私の理解力と表現不足で、ご容赦下さい。


>ヒラオさま
アメリカのマックは、日本と違って場所により値段がまったく違います。 空港や博物館などでは、とんでもなく高価です。これがミカジメ料の為なのかは浅学にして不明です(笑)

一方で、一般のMacでは1ドルの商品もあります。
少し古い情報ですが、こんなのもあります。
http://gigazine.net/news/20130106-1dollar-menu-mcdonald/



[1951] バリューセット 投稿者:ヒラオ 投稿日:2014/02/27(Thu) 23:06  

変なところに食いついて申し訳ないのですが…

マックのセットが10ドル近いって、すごいですね…
高級化路線を打ち出して失敗したといわれる日本マクドナルドもびっくりというか。
自分もたまに行きますが、クーポンあるときだけですもん。

先日テレビで、フランスでは今日本のOBENTOが大人気、という映像が流れてまして。
なんでも、カフェでランチを食べると3000円くらい(!)かかるのが、日本流の弁当(唐揚げ弁当とか)だと1500円ほどで済むのだとか…

今日本の弁当って、ワンコインで飲み物まで買えますからね…
先ほども某ディスカウントストアでノリ弁198円ての見つけましたけど。

欧米のインフレがすごいのか、日本のデフレが凄いのか。
日本といえば物価高、ってのはもう過去の事なんですね。


[1950] 記事を読む 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/02/27(Thu) 17:50  

五反田猫さん、記事中に書いたようにトランスフォーマーの中での名前はジェットファイアです。
ただし、マクロスはマクロスでアメリカでも知られてますんで、そちらではヴァルキリーのようですね。
そもそもマクロスに出てくるヴァルキリーの名前の由来があのXB-70ですから、
名前の印象が被っちゃうのはある意味、先祖がえりみたいなものでしょう。

alphabetteさん、そりゃ当然そうですよ(笑)。
それが大前提なのは、言うまでも無い話でしょう。

理屈がわかってるから造れるわけじゃないのが重要なのです。
ソ連は原爆の段階で7割がた自力で開発したものの、
最後の最後、プルトニウムの爆縮レンズを思いつかず、
結局、スパイからもたらされた情報のとおりにとりあえず造ってみたら
上手く行っちゃったという経験があったんです。
ここから、彼らのとりあえずアメリカがやった通りにやれば
なんとかなるわ、という基本方針が産まれてます(笑)。
この点は、後にフルシチョフがソ連軍の悪癖だと強く非難してますが。


[1949] パクれるってことは 投稿者:alphabette 投稿日:2014/02/27(Thu) 16:56  

それがどういうものか理解できるってことですから基礎ができてなきゃ無理ですよ。しかしドイツ人ドナドナしたソ連はともかく中国はどーやったんだろ?


[1948] トランスフォーマー 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/02/27(Thu) 13:13  

久しぶりのおまけ、楽しみました。

なんとマクロス版のトランスフォーマーがあるのですね。
アメリカでも名前はバルキリーなのでしょうか、そうなるとノースアメリカンの超高価爆撃機、ルメイ閣下の置き土産ともかぶるのだろうか、などと妄想が膨らみます。

リアル・トランスフォーマー(ラジコンで動作)の動画は、アメリカでは多いのですが、実際に作ったのは日本人のようですね。
http://www.wimp.com/robotictransformer/



[1947] コピー速度 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/02/25(Tue) 21:56  

ソ連の場合、部隊配備までわずか2年ですから、基礎研究から10年近くかかった
アメリカの苦労を考えると、笑いが止まらん、という部分でしょうね(笑)。

中国のコピー技術は毛沢東とフルシチョフという世界二大変態の対立で
両者の技術交流が断たれた結果ですから、ある意味中国の宇宙技術の父は毛沢東、
母はフルシチョフと言えるんじゃないかと思ってます。


[1946] コピー兵器 投稿者:五反田猫 投稿日:2014/02/25(Tue) 08:42  

K-13赤外線誘導ミサイルのコピーの速さは凄いですね。
内部の演算回路は、まだTTL辺りでしょうから、パッケージをはがして顕微鏡で見れば、回路図に落とすのは難しくなかったのでしょうね。 とは言え、全体を信頼性高く製造し運用するには、バランスをとれた設計と支援体制も確立する必要がありますから、それが出来た点が凄いと思います。

コピーと言えば、中国の霹靂2(PL2)が、更にコピー兵器ですよね。AA-2Dアトールに関する見本や資料を、ソ連から62年に入手して、64年には霹靂2を完成させています。

コピーされた側にとっては、青天の霹靂だったと思います(笑



[1945] エンジン 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/02/24(Mon) 19:55  

今回の記事でよくわからん、と書いたホイットルエンジンの
詳しい説明をメールでいただき、ほぼ謎が溶けたのですが、
さすがに旅行記の範疇を超えるので、この点は連載終了後に解説いたします。

alphabetteさん、まあ江本選手の場合、堂々と首脳陣批判やってますから例としては微妙でしょう(笑)。

uzuraさん、おやまあ、こんな機体がありましたか。
資料を見る限り展示のキング・ブガッティとは基本的に無関係のようです。
http://bugatti100p.com/

http://bugatti100p.com/index.php?p=1_11_Bugatti-100p

しかし、ラジエター付きY字尾翼(と呼んでいいのか…)とか、前身翼の主翼とか(ただし主桁は機体に平行)
どう見ても無茶だろうという二重反転プロペラとエンジン配置とか、
いい感じにフランス機ですね(笑)、これも。


[1944] ブガッティの航空機 投稿者:uzra 投稿日:2014/02/24(Mon) 19:17  

ブガッティは航空機の開発もしたことあるみたいですね。

ttp://jp.autoblog.com/2014/02/18/bugatti-100p-airplane-replica-mullin/

展示されていたエンジンもコイツと関係あるのかな?


[1943] 顧客が本当に必要だったものとか 投稿者:alphabette 投稿日:2014/02/24(Mon) 15:55  

ナム戦あたりの迷走とか見るとそういったネタが浮かびます。それかエモやんのベンチがアホだと試合に勝てへんとか


[1942] 技術の力 投稿者:アナーキャ 投稿日:2014/02/23(Sun) 19:57  

だるまさん、面白そうなツアーですが、高いですねえ(笑)…
今回の旅行は総額で23万前後で収まってますから、
これだと私なんかは、一生参加することがなさそうな旅行です。

ささきさん、情報どうもです。
タイニーティム、落下発射式でしたか。
レシプロ機時代の兵器とは思えん運用ですね…。

ネ-20は一部のパーツと設計図が国立科学博物館で常設展示されてるのですが、
素人目からしてもこりゃキビシイな、という品になってます。

ただ、そこから到達した結論は私の場合、若干異なっています。
以下、あくまで個人の考えですが。

私は計画と運用を分離して考えるタイプなので、
この設計者はどのような形であれ、こんな適当なモノを造った責任を
問われなければならないし、それから逃げる事は許されまいと思いました。
こんなものを現場で運用させられる兵士はあまりに悲惨であろう、と考えるのです。

例えば中国製の薄型テレビとほとんど変わらない製品しか作れないけど、
日本製という看板だけで2倍の値段で売って来い、という経営陣と技術陣の会社で、
なんぼ優秀な営業ががんばっても待っているのは確実な経営破綻です。
これで会社が倒産して、最後に我々全員の力不足だなどと言われた日には
営業担当者としては、たまったもんじゃないと思います。

まして兵士の命と国の命運がかかってる戦場で使う兵器では問題はより深刻でしょう。
計画者として僕らはがんばったけど、ダメだったんでどうしようもないから、
とりあえずこの性能不足の兵器で戦って死んで来い、と言われたようなものです。
そんなバカな話があるか、という運用側の兵士たちの無念は察するにあまりあります。

これは技術者だけの問題ではなく、軍部を含めた運営組織の問題であり、
その責任の所在は、明確にそこにあり、これを見逃すのは無理だろうと思うのです。
もちろん、技術的な限界はあったでしょうが、現に他国で実現してるものが
自分たちで出来ない、というのは、それは技術者も含めた計画者側の責任に他なりません。

そして日本に限らず、アメリカでもイギリスでも、そういった立場にあって
多くの命の損失に関わった人たちが、明確に責任を問われた事も、
そして自ら責任を取ったことも、ほとんどありません。
特に開発者、計画者は何を作っても命の問題を問われることはなかったのに、
そんなバカな計画、性能不足の兵器で戦わされる兵が、こんなんでやってられるかと放棄したら、
それは敵前逃亡で銃殺ですから、あまりに理不尽でしょう。

多くの出版物などで、戦後におけるさまざまな計画側の言い訳と自慢を読むことができますが、
その結果死んでいった人たちには反論の機会すらありません。
とうてい許される話ではなかろう、と思うわけです。

もちろん、これは私個人の考えであり、他の人に押し付ける気は毛頭ありませんけども(笑)。


[1941] ロケットとかとか 投稿者:ささき 投稿日:2014/02/23(Sun) 12:53  

タイニー・ティムは盛大なロケット噴流が発射母機を損傷してしまうため、
時限装置で投下後に点火する必要があり、とうぜん命中精度が悪化するので
広く使われなかった、という事情があるようです。

ロケット兵器については日本も三式28号噴進弾などを実用化していますね。
ただ大戦末期ということもあり、生産したけど実戦投入に間に合わなかったとか、
試作品が実戦投入されたけど戦果は不明とかそんなのばっかりですが。

ネ-20はガーバー施設で修復後組み立て中の現場に立ち会う幸運を得ました。
タービンブレード翼端と燃焼室壁の間隙がJumoなどにくらべて広く、当時の
製造精度ではこれが限界だったのだろうと。インテイク部分には蜂の巣型の
オイルクーラーが設けられているのですが、開口系を狭めるドーナツ状の
金属板が挿入されており、おそらく試運転の結果オイルの過冷却が判明したが、
根本的な改設計をしている余裕がなくこんな場当たり対策で凌ぐしなかなかったのだろうと。
溶接埋め込み式のタービンディスク基部には亀裂が生じており、
おそらくこのエンジンは運転寿命20時間くらいしか無かっただろう。どうせ片道しか
飛ばない特攻用途なんだから、それでも構わないと判断されたのだろうと。


聞いていて愕然としました。しかし、私にはそれを愚かだとか遅れているとか笑い飛ばす
ことはできませんでした。経緯はどうあれ、国家存亡という緊急事態にあたって、
そこまでやらざるを得なかったのかと。それを作った技術者も、そうして
作られた情けない「決戦兵器」に乗って出撃するつもりだった軍人も。



[1940] JALパック 投稿者:だるま 投稿日:2014/02/23(Sun) 07:06  

先日は失礼しました。
テレビを見ていたらこのような物が紹介されてましたよ。

https://www.jal.co.jp/tour/sp/usnasa.html


[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100] [101] [102] [103] [104] [105] [106] [107] [108] [109] [110] [111] [112] [113] [114] [115] [116] [117] [118] [119] [120] [121] [122] [123] [124] [125] [126] [127] [128] [129] [130] [131] [132] [133] [134] [135] [136] [137] [138] [139] [140] [141] [142] [143] [144] [145] [146] [147] [148] [149] [150] [151] [152] [153] [154] [155] [156] [157] [158] [159] [160] [161] [162] [163] [164] [165] [166] [167] [168] [169] [170] [171] [172] [173] [174] [175] [176] [177] [178] [179] [180] [181] [182] [183] [184] [185] [186] [187] [188] [189] [190] [191] [192] [193] [194] [195] [196] [197] [198] [199] [200] [201] [202] [203] [204] [205] [206] [207] [208] [209] [210] [211] [212] [213] [214] [215] [216] [217] [218] [219] [220] [221] [222] [223] [224] [225] [226] [227] [228] [229] [230] [231] [232] [233] [234] [235] [236] [237] [238] [239] [240] [241] [242] [243] [244] [245] [246] [247] [248] [249] [250] [251] [252] [253] [254] [255] [256] [257] [258] [259] [260] [261] [262] [263] [264] [265] [266] [267]
処理 記事No 暗証キー
- LightBoard -