おおおお、もう一台フィアット500があるじゃん。ちなみに1972年型なので、無印の 500のハズですが博物館の解説だとヌォーヴァ500としてありました。断言はしませんが、これも誤記じゃないかなあ。ヌォーヴァ(NUOVA/新型の意)は例の初代500ことトッポリーノ と区別するための名称で1957年の製造開始から60年までの初期型だけに使われたもの。1960年にマイナーチェンジをやった後は(エンジンが479ccから499ccになった)単に500+グレード表記になったはずです。

でもって展示の車両は500L、すなわちグレードはLでちょっと豪華版のフィアット500でした。ちなみにLはLusso、イタリア語で高級の頭文字らしいです。L型はバンパーに絡まった木の根のような装飾があり見分けるのは容易となっています。



でもってその名の通り、L型はちょっと豪華な内装のようで、金属板剥き出しに丸メーターという質実剛健な500のハンドル周りからダッシュボード一帯に黒いプラスチックのカバーが付けられ、さらにメーターが大形で見やすくなってるらしいです。「らしいです」という曖昧な表現なのは、現地ではL型について何も知らなかったので車内の写真を一枚も撮って来なかったから。

さあ皆さん、ご一緒に。「この役立たずが!」



1970年代後半以降、世界中の自動車に強烈な影響を残したルノー5、いわゆるルノー サンク。この車をキチンと展示しているトヨタ博物館はやはり素晴らしいと思います。

1972年に発売開始ですが展示の車両は1979年式とちょっと後のものですね。日本での知名度はイマイチながら、この車と次に見るVWのゴルフが1970年代のヨーロッパを席巻し、そして以後の自動車文化の方向性を決定した、と言っても過言では無いと個人的には思っております(そこに1983年にアメリカで登場したダッジのキャラバン、いわゆるミニバンの元祖を加えれば21世紀の車は揃うのだが、残念ながらトヨタ博物館はこれを所有してない)。

でもって当たり前ですがルノーは社名&ブランド名なので車の名前はただの「5」で、先代に当たるルノー4と合わせ、史上最もそっけない名前の車というか車輪付き工業製品となっています。まあフォードのKaとか、他にも狂った名前はなくも無いですが。ついでにアメリカで発売した当初はル・カー(Le Car=The car)を名乗っており、これはこれでどうなのよ、というセンスですな。

今見ても古さを感じないデザインですが、とにかく画期的な車でした。これ以降、世界の小型車で模倣されまくる、車体と一体化した樹脂製バンパー(当時は上で見たフィアット500のような金属製バンパーが普通)、前置きエンジン前輪駆動(FF)でトランク無しの構造(いわゆるハッチバックの2BOX車)、これらを最初に確立したのがこの車です。日本にも輸入されていたようですが、筆者は走ってるのを見た記憶がありませぬ。それでもヨーロッパでは大ヒット、この初代は1972年から85年まで13年間製造が続き、その間に550万台を売ったとされます。

発売当初は最大でも956tまでのエンジンしか搭載されておらず、イギリスなどでは家族向けの車の下、超小型車(Supermini car)に分類されていました。それでも全長3.5m、全幅で1.52mあるので、日本の軽自動車よりは一回り大きい車体を持っています。



ちなみにこの車、FFですがエンジンは縦置きで、しかもエンジンの前側にデフと変速機が付くという変な構造を持ちます(ルノー4CVからの伝統だが、あっちはリアエンジンなので普通の構造だった)。結果、重量物のエンジンが車体中央に近い位置に在り、FFとうよりはFMF、前置きエンジンミッドシップ前輪駆動に近い構造で、しかも前輪はダブルウィッシュボーン・サスペンションでした。この結果、この手の大衆車としてはかなり運転性が良かったとされます。

それが理由なのかは判りませんが、1976年3月にルノーの配下のスポーツ社メーカーであるアルピーヌからルノー5アルピーヌが発売されます(アルピーヌは1973年の段階でルノーに買収されていた)。 これは専用の強力なエンジンを搭載、変速機は5速に、サスペンションも強化されたバージョンで、この数か月後に登場するフォルクスワーゲン ゴルフのGTIと合わせて、いわゆるホットハッチ、ハッチバック大衆車を土台としたメーカー製改造車の始祖となりました。ちなみにイギリスではアルピーヌの商標をクライスラー社が抑えていたため、ゴルディニ(Gordini)の名で販売されています。ちなみにゴルディニもルノーに買収されたレーシングカー製造会社ですが、ルノー5アルピーヌの開発には関わって無いはず。

ちなみにルノーはさらに凄い車というか狂気の車、ルノー5ターボ(いわゆるサンク ターボ)を開発しています。ラリーに参戦するための車両として開発され、その形式認証(Homologation)を得るのに必要な生産台数を確保するために市販された車でした(ターボ1)。1980年発売ですから恐らくグループ4(後のグループB)への参戦を考えていたはずで、要求される最低生産台数は年間200台でした。ところが実際に発売して見ると5年間で1820台も売れたとされます(年間約360台)。メチャクチャ高価だったはずなんですけどね。これに気を良くしたルノーは後に最初から市販向けの車両も販売し(ターボ2)、こちらは3160台売れたとされます。

でもってこのルノー5ターボは、後部座席を潰してエンジンを搭載し後輪駆動とした(笑)リアミッドシップの車でした。当然、FF車であるルノー5とは根本的に構造が異なり、外見と名前だけはそれっぽいけど完全に別の車ですね。搭載されていた水冷1400ccエンジンはルノーの市販車に採用されていたクレオン・フォントゥ(Cléon-Fonte )系ですが、当時レースエンジン界のターボ化で世界の先端を行っていたいたルノーらしい排気タービン搭載、燃料直噴式にチューンされており、これまたルノー5とは完全に別モノでした。ここまで来たらルノー5に拘る必要ないじゃんと思いますが…。まあ販売営業的な面で意味は在ったんでしょうね。

ちなみにそこまでして開発したルノー5ターボでしたが1981年にモンテカルロ ラリーで優勝した以外、パッとしないままに終わるのでした。この時期はF-1のターボ化がようやく軌道に乗り、当時のルノーはかなりの強豪チームになりつつあったんで、そっちに予算を獲られてしまったのかなあ、という気もしますが、詳細は不明です。


NEXT