|
|
![]() こちらはプリムス ヴァリアント(Valiant) 1960年型。1959年発売なので、展示車はその翌年の型になります。 アメリカ三大自動車メーカーの末っ子だったクライスラーの車で、プリムスはそのブランドの一つです。ただし当初は単にヴァリアントとして登場した後(専用の販売店があったらしい)、プリムスのブランド(販売系列)に入ったのですが、その後、また単にヴァリアントにもどったりしており、よく判らん販売形式だった車です(ダッジブランドの店でも一時販売したらしい)。それでもヴァリアントはプリムス、そしてクライスラーの看板製品となり、モデルチェンジを繰り返しながら1976年まで生き延びます(ちなみにオセアニア地区と南アフリカではヴァリアントはクライスラーブランドから発売されていたが、途中から全く別の車になってしまった)。 でもってこうして見るといかにもアメ車という感じの車ですが、驚くべきことにヴァリアントは小型車(Compact car)の分類で発売された車でした。1960年前後にアメリカの三大自動車会社は次々と小型車を市場に投入してきます。その中でクライスラーが発売したのがこのヴァリアントなのでした。これが小型車ってお前ら正気かとしか言いようが無いですが、正真正銘、フォルクスワーゲンのビートルに対抗するための、アメリカ製小型車の一つです(ちなみに以前にも触れたビートルの「小さく考えよう/Think small」広告が世に出たのが1959年なので対応としては早かった)。まあCompactにはぎゅっと詰め込んだ的な意味もあるんですが…。お前ら本気か。ちなみにそもそもは一家に車二台の時代が来ており、その中で女性にも運転しやすい車という需要を見込んだ車、という話もあり。でも女性に扱い易いかなあ、これ。 この車、当時としては大幅にアルミ製のパーツが使用されており、それで軽量化を計ったのが特徴らしいのですが、いや軽いから小型車ってわけじゃないでしょ、と思うんですけどね。ちなみに搭載エンジンは二種類あったのですが、小さい方でも2800ccありました。ホントに小型車って意味、判ってる? ![]() 車体後部はまさに50年代アメ車であり、これが突然向こうから走って来て、どうも小型車ですとか言ったらタイヤの空気を抜いてやるってな感じではあります。でもそこそこ売れたらしいんですよね、これ。まあ、アメリカだな、という他に無いですね。 ![]() そしてこれもフォルクスワーゲン ビートルなどに刺激され、GMがシボレーブランドから売り出した「小型車」、コルベア(Corvair) 1960年型。これは発売年の型となります。 アメリカの車とは思えない落ち着いたスタイルで、個人的にはカッコいいと思いますし、1960年代以降の日本車のデザインにも大きく影響を与えている気がしてます。ちなみにコルベアという名詞は恐らくGMの造語で、コルベット+空冷のairでCorvairだと思うんですけど、なんでそこでコルベットが出て来るの、というのはよく判らず。ちなみに車体正面にフロントグリルどころか、空気が入る隙間が全く無いのに注目しといてください。 初めて実車を見たのですが、よくぞ展示してくださいましたトヨタ博物館と現地で涙する。ほとんど日本では知られていませんが、いろんな意味で歴史的な車なのです、このコルベア。ちょっと長くなりますが、その辺りもざっと見て置きましょう。まず技術的にちょっと凄いことをやっているんですが、これは後述。同時に消費者運動で知られるラルフ・ネーダーのベストセラー、「あらゆる速度で危険(Unsafe at Any Speed)」の中で危険な車の代表としてやり玉に上げられているのがこの車です。でもって、その危険性の告発をGM(シボレー)が無視したため、社会的な問題となりました。この辺り、さんざん揉めたんですが、結果的には自動車の安全性の問題解決へと繋がり、悪い意味でその礎となった車だったのです。ところが話はそこで終わらず、実はネーダーの批判はデータ的に正しく無かった、という歴史の大どんでん返しがやって来てしまうのでした。ややこしいでしょ(笑)。 ちなみに1969年に製造は打ち切られ、以後、コルベアという名前の車も消えてしまいます。それでも色々な意味で歴史的な車なのです。あまり触れる機会も無いので、ちょっとだけ詳しく見て置きましょう。 ![]() この車を解説するのはこの角度からの写真が一番でしょう。まあこれが小型車かよ、というツッコミは相変わらずですが(ついでにこの車もアルミ製パーツを多く採用している)、それ以上のビックリどっきりメカ要素として、これ空冷リアエンジン車なんですよ。すなわちフォルクスワーゲン ビートルやかつてのポルシェ911と同じ構造なんですぜ、この形状で。よってそのエンジンはトランクにしか見えないあの車体後部に入っていて、しかも空冷なのです。 量産された唯一の空冷リアエンジンのアメリカ車であり、この初代では2296tの水平6気筒で80hp、さらに1964年式の段階で水平6気筒のまま2683tに拡張され95hp出るようになっていました。さらに1962年以降はターボエンジンの設定まであり、これは180hpを叩き出していたとされます(同じGMのオールズモビル カットラスと同時にターボエンジン搭載型が発売された。恐らく量産車としては初めて。ただしカットラスの方が僅かながら先に発売されたらしく、コルベアは史上二台目とされる)。 空冷で水平6気筒はあのポルシェの911と同じ構造であり、それにターボを付けちゃたのも同じ。ただしポルシェの911がターボエンジンを搭載したのは1974年からなので、こっちの方が先なのです。すげえな。そもそも四輪車の空冷エンジンにターボ付けて市販したのって、この二台のみだと思いますし。さらに言うなら、ホンダ教の信者ならみんな知ってる本田宗一郎総統の悪夢、空冷エンジン搭載のアレことホンダ1300と馬力はほぼ同じで(ホンダ1300は4キャブレター仕様で110hpたが、通常仕様では95hpだった)、しかも9年も前に発売になっていた空冷エンジン車なのです。ホンダ1300 の空冷エンジンの迷走はあまりに有名ですが、このコルベアに触れた記述は見たことがありません。ですが当時のアメリカでは人気車種の一つでしたから、宗一郎総帥は知ってたんじゃないか、だったらオレも出来ると思ったんじゃないかという気がしております。 さらにこの初代コルベアは安全性の問題に巻き込まれて行きます。ただし発売中からいくつかの欠点、特に燃費の悪さは指摘されていましたが(小型車を称しながらリッター/8qを切った)、当初は安全性が問題になる事はありませんでした。ただしリアエンジンで後輪駆動の構造を持つ車の中では大形であり、かつ重心位置から離れた場所にエンジンがあったため、その挙動には独特なものがありました。前方エンジン、後輪駆動の車に馴れていると、ハンドルを切って曲がる時に思わぬ反応があったようです。 さらに後輪は安価な独立懸架方式のサスペンション構造であるスイング・アクセル方式(後部エンジンの左右に独立したドライブシャフトを設け、車体からスプリングバーで支える)でした。このためタイヤの接地圧が変わると(ブレーキを踏んで後輪の接地圧が抜ける、カーブで左右に掛かる接地圧が不均一になる等)やや不安定になる癖がありました。この結果、思わぬ事故が多発したのは事実のようで、訴訟社会のアメリカですからGMは多くの訴訟を抱え込む事になります。これに注目したのがラルフ・ネーダーでした。この欠点は最初から判っていたのに、コスト削減のため対策のための部品を省いて販売した、と批判して(この点は事実だった)、これを1965年に発売となった著作「あらゆる速度で危険」に発表したのです。 この段階ではコルベアは既に二代目になっており、その後輪サスペンション構造も修正されていたのですが、この指摘は大きな反響を巻き起こしました。この結果、毎年20万台以上(最盛期は約34万台)売れていたコルベアは1966年には11万台、67年には2万7000台しか売れず、最終的に1969年に発売中止に追い込まれてしまうのです。この辺り、GMはネーダーに執拗な嫌がらせを仕掛けたり、その非を決して認めなかったりで、自滅したという部分もあるんですが、とにかくネーダーの告発が大きな影響を及ぼしたのは確かです。 そのラルフ・ネーダーの活動の影響から1970年に自動車の安全規則を制定するNHTSA(National Highway Traffic Safety Administration/国家道路交通安全局)が設立されるのですが、この組織が1972年7月にEvaluation of the 1960–1963 Corvair Handling and Stabilityという報告書を公開します。これは危険性が指摘されていた1960-63年型のコルベアを1971年にテスト、さらにGM側の資料を精査した報告書で、結論から言うと同時代の他の車に比べて、特に顕著な欠陥は見られない、との事でした。すなわちネーダーの主張、危険な車だと言う主張は退けられてしまったのです(運転に癖があるのは事実だったが、この点は同じような構造を持つフォルクスワーゲンのビートルでも一緒だった)。 ラルフ・ネーダーの著書は後にアメリカの、そしてその影響から(アメリカで車売らないと儲からない)全世界の自動車の安全性を高めたのは事実です。この点は疑いようがありませんし、正統に評価されるべきでしょう。ただし、彼が槍玉に上げた「欠陥車」、コルベアは欠陥車では無かったのです。なんというか、間違って犯人を逮捕したんだけど、実は別の事件の計画中でその犯行を防いじゃった、みたいな話なのでした。 ただし、ならばアメリカの自動車産業は健全か、と言えば後に1971年に発売されたフォードのピントのような欠陥車を平気で売る連中ですから、これも怪しいのです(追突されると簡単に燃え上がってしまった。しかも知っていて放置した)。ちなみに一部で有名な経営理論、人が死んでも賠償金の方がリコール費用より安いので放って置け、というアメリカンな商売をやったのがピントですな。 |