こちらは船舶用燃料の展示。
左端は原油、そこから右3つが重油(JIS基準だとC/3種、ISO基準だとIF180以上)、右端の2つが軽油です。軽油は発電用との説明が書かれてますが、実際は小型の船舶用ディーゼルエンジンでも使います。なんて渋い展示と驚くと同時に、やはり只者ではないなあ、ここ、と思う。

ちなみに重油の上に見えてるIFの数字がISO基準の燃料の品質(主に粘度に比例)を示し、通常は数字が高いほど高価な燃料です。船舶用大型エンジンは安いIS380辺りの使用が多いはずですが、この辺りに来ると液体というよりゲル状の物体で、ドロッとしたものになってます。これをキレイに流すには過熱が必要となり、それ専用のボイラーが積まれてる事が多いです。
ただし、ここの展示だとその右のIF500もエンジンに使うとされてますが、この数値の重油(原油からガソリン、灯油、軽油を取り去った後の残りカスである)は、かなりの粘度で固まっておりよほど加熱しないと流れる事もないはず。ホントに使えるのか、という気もしますが…



よく判らんけど燃料関係の黒板。大型のタンカー、貨物船の場合、燃料がオモリ(バラスト)を兼ねてる事が多く、燃料庫の充填配分などにも気を配る必要がありますから、そういった指示板でしょうかね。



こちらはかつての航海の必需品、自分の現在地を知るための六分儀とか天球儀、クロノメーターなどの展示。この辺りは2013年のスミソニアン旅行記で解説したから、もうよいでしょう(手抜き)。

余談ですが、水平線が見える状態で、目標の船の全長、全高が判っていれば六分儀は測距儀の代わりに距離の測定に使えます。このため19世紀末にイギリスで測距儀が発明されるまで、海戦の測距にはこれが使われてました。といっても当時の主砲の有効射程距離なんて5q以下、しかもほぼ水平撃ち(拳銃や小銃のように直線弾道で狙う)ですから、目標が射程距離内にあるかどうか以外に意味はありません。放物線に水平線の向こうの敵に向けて弾を打ち出す第一次世界大戦以降の艦隊決戦ほど重要ではないわけで、だからこそ六分儀で十分だったのでしょう。

さらに余談。日清戦争の時、日本海軍はたった一つ1.5mの測距儀を持っていただけでした。これがどの程度役に立ったかはよく判りませぬ。ところがその10年後の日露戦争の時には、すでに主要艦は全てこれを持っており、当時の日本海軍が最新技術の摂取に熱心だった事がうかがわれます。
有名な日本海海戦の三笠艦橋を描いた絵で、東郷司令の後ろに見えてる黒くて細長い筒が三笠の測距儀です。この熱心さが第二次世界大戦の時のレーダーに対してもあればなあ、と思う所なり。



こちらもかつての必需品、水深の測定装置とその使い方。これで水深を計って海図を作っておかないと、陸地の側では常に浅瀬に座礁する恐怖が待ってます。


 
近代船舶の艦橋装備の展示。残念ながらこちらは触れませんでしたが…  
 


NEXT