でもって軍艦の展示の最後はかなり渋い船がいくつも出て来て驚かされました。
まずは1903年に就役したイギリスの装甲巡洋艦、HMSケント。一瞬、武装貨物船かと思ってしまったのですが、れっきとした装甲巡洋艦で、商船団護衛を目的に長距離の航続距離を持つ護衛艦として建造されたもの。一応、装甲してる事もあってか、排水量は約1万トンと意外に重かったりします。
こっちもびっくりしたロシアの戦艦パビエダ(Победа)。後の日本海軍戦艦 周防です。ちなみに縮尺は記載なし。
日露戦争中、ロシアの旅順艦隊に所属していた戦艦ですが、1902年就役と当時の新型艦でした。が、旅順包囲戦で港内に取り残され、後に包囲した日本陸軍による砲撃により損傷、着底となります(水深が浅かったので沈み切らなかった)。これを旅順陥落後、日本が回収、まだまだ新しい戦艦でしたから、改修して戦艦 周防として利用しました。
模型はロシア時代のもので、なんでこの船の、しかもロクな事がなかったロシア時代の形で…と思ってしまう所。まあ、その辺りがこの博物館の懐の深さですかね。ちなみにかなり完成度の高い模型でした。
さらに驚いたアメリカの軍艦、USSメイン。なんでまたこの船を…
メイン号事件の主役であり、2013年の旅行記で訪問したアーリントン墓地にマストが残ってたあの船です。
こうして見ると、アーリントンのマストは上部が失われてますね。
1898年に始まるアメリカ-スペイン戦争のきっかけとなったのがこのUSSメインでした。
1895年に就役したばかりの新鋭艦だったのですが、キューバのハバナ湾に停泊中に、謎の爆発とともに沈没してしまいました。これをハバナを植民地としていたスペインの陰謀としたアメリカが宣戦布告、それ以前から対立が深まっていた両国間でアメリカ-スペイン戦争が始まります。後にスペインは敗北し、キューバは独立、さらにフィリピンがアメリカ領となるわけです。
ちなみにUSSメイン号の爆発は石炭庫における事故、というのが定説で、今ではよほどの右翼系の連中でない限り、アメリカでもあれは不幸な事故だった説が主流です。
ついでにUSSメインは戦艦と紹介される事が多いですが、実際は装甲巡洋艦(Armored
cruiser)でした。なのでその艦番号は戦艦(BB)ではなく装甲巡洋艦を意味するACR-1となっています。
そういった歴史上の存在としては有名ですが、軍艦としても日露戦争直前世代の構造を持ち、なかなか興味深いです。
主砲砲塔はご覧のように左右両舷に各一門ずつで、すなわち全砲門を同時に使う事はできません。かなり旧式な設計で、同じ1885年に就役を開始したアメリカ最初の本格的な戦艦、インディアナ級がすでに中央線上に全砲塔を置く近代的な設計となっていたのとは対照的でしょう。なんでこんな設計にしちゃったんだろう、と思いますが詳細は不明。
|