■朝鮮の終わりに



双胴のへんな戦闘機、F-82B。
博物館のデータでは朝鮮戦争に参加したアリソンエンジン版の夜戦型、G型となってますが、ウソです(笑)。

これはその前に生産された、マーリンエンジ搭載の唯一の量産機(といっても20機しか無いが)B型ですね。
少なくとも一番判りやすい両者の識別点、スピナー下の空気取り入れ口はマーリン型のままなので、
おそらく塗装を変えただけで、変な改造はしてないと思われます。
ただし本来、夜戦ツインムスタングは機体の間の主翼下に巨大なレーダーポッドがあるのですが、
それが無いまま塗装だけ変えてるので、ちょっと妙な事になってますが…。
(おそらく通常型のB型を黒く塗っただけ)
どうもこの辺り、この博物館はやや適当だなあ、という印象が消えませんねえ…。

ちなみにF-82についてはすでに、ここで解説してるのでそちらをご覧あれ。

当時日本にはツインムスタングのG型を配備した飛行隊が配備されており、朝鮮戦争勃発時には実戦投入されました。
F-82、へんな戦闘機ですが実戦を経験しており、しかも開戦直後には北朝鮮のレシプロ戦闘機、
La-7を撃墜したと申告、これが認められているため、公式な撃墜記録まで持っているのです。
後にF-94が登場するまで、B-29の夜間爆撃の護衛もやっていたと思われます。



ダグラス B-26C インヴェーダー。
先にも書いたように空軍になった後、Bナンバーになったもので、その中身は旧A-26であり、
よって、第二次大戦編で紹介したB-26マローダーとは別の機体です。
両者とも双発、短尾翼、上翼、尖った機首と、名前が同じ上に遠目ではよく似た機体なので、
非常にヤヤコシイ事になってます。
ちなみに後にベトナム戦争中、またA-26に名前が戻され、さらなる混乱を呼んでいます…。

元祖B-26は大戦終了後、ほぼ隠退してしまったのですが、1942年に初飛行
43年の後半からようやく実戦投入された比較的新しい機体である、
このA-26は朝鮮戦争、それどころかベトナム戦争にまで投入されてました。

朝鮮戦争では地上攻撃機として投入されたのですが、黒く塗られてるのはMig-15の登場後、
より安全とみられた夜間攻撃機に転換されたからです。



そしてアメリカ空軍を救った戦闘機、ノースアメリカン F-86Aセイバー。
実際の空戦能力ではミグに劣っていたのが後の飛行試験で明らかになるのですが、
良好な視界のコクピット、故障の少ない無線機、そして操縦の容易さなどで互角以上に戦い、
朝鮮戦争中は航空優勢を譲りませんでした。

ちなみにアメリカ空軍の資料によるMig-15とのキルレシオ、損失率は10:1で、
Mig 15を792機落とし、その間の損失は76機だった、としてますが、これは数字が大きすぎでしょう(笑)。
F-86が優勢だったのは事実ですが、実際はこの1/3以下の数字だったと思われます。

1947年10月、Mig-15よりわずかに先に初飛行した後退翼の戦闘機で、
核戦争に備え戦略爆撃空軍に完全に舵を切りつつあったアメリカ空軍に置いて、
最後のまともな制空用戦闘機として登場したものでした。
後にF-15、F-16、F-22が登場するまで、類似の機体はアメリカ空軍には存在しなくなってしまいます。

海外のライセンス生産分も含めると9500機以上が生産されたと見られており、
これはアメリカのジェット戦闘機としては最大です。


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