■双胴の騒動
さて、今回は軽量型ムスタング最終形態ともいえる
P-82(F-82)ツインムスタングを見て行きます。
余談ですが、例によって日本語で最もよくできてるムスタング本ながら、
世界の傑作機
Vol.79 はツインムスタング関係の記述もかなり怪しいので、
基本的には飛ばして読みましょう(笑)。
というか、これまでのところ日本語でのキチンとした資料は皆無かもしれません。
ちなみに戦後の1947年9月にアメリカ空軍が陸軍から完全独立した後、
戦闘機の識別記号は従来のPからFに変更されました。
(呼称変更は独立の翌年1948年からだが)
よって、この機体に関しては空軍独立前にP-82でデビューした機体と、
その後にF-82の名で登場した機体の2種類が存在します。
よって記事中の表記としてはP-82(F-82)としておきます。
(どっちにしろ、空軍独立後は全てF-82となったのだが)
ついでにP-51もこの段階でF-51となるため、朝鮮戦争に参加した機体は
P-51ではなくF-51という呼称になってます。
さらにせっかくだから書いておくと、従来のPはPursuit 追撃機の頭文字で、
これはもう100%純粋に敵の爆撃機を追っかけて撃墜する機体、という意味です。
(ここら辺りの命名は第一次大戦時のフランスからの影響が強い)
が、第二次大戦でアメリカは戦略爆撃を成功させるためには、
まず戦闘機を送り込んで敵機を駆逐し、制空権を取らないとだめ、と思い知りました。
追撃だけが商売では無かったのです。
この結果、以後、戦闘機(Fighter)という分類に変更され、
その頭文字もFに変更になります。
話を戻しましょう。
下の写真は試作型のXP-82の一号機。
何度見ても、空飛ぶ悪い冗談としか思えませんが、
ノースアメリカン社もアメリカ陸軍も大真面目でした。
奥を飛んでるのはP-51Dで、まるでこの記事での比較のために、
アメリカ陸軍が撮影してくれたかのような写真です。
ツインムスタングは、基本的に完全新設計な機体で、
ムスタングを単純に2機つないだものではない、というのがよく判る写真ですね。
一目でわかるように、コクピットから後ろの胴体後半部は
ツインンムスタングの方がはるかに長く、
さらに水平尾翼はもちろん、垂直尾翼周辺も全く別物と言っていい
構造になってるのが見て取れるかと。
■Photo US Air force & US Air force museum
実際は軽量型ムスタングの設計が固まってから計画が動き出したので、
XP-51Fとほぼ並行して設計が行われ、その影響を受けてはいます。
特に機首回り、空気取り入れ口とかは軽量型ムスタングそのまんまに見えます。
が、それでも両者は基本的に別物で、設計責任者のシュムードに言わせると、
設計は一から完全にやり直してる、との事。
(一説にはP-51H型との共通部分が10%前後あるらしいが)
とりあえず、空力面、冷却装置の処理などで、
従来のムスタングの設計経験を活かし、
冒険の無い、無難な形状で速やかに全く新しい機体をまとめ上げた結果、
似たような形になってしまった、というところでしょうか。
ついでに、こういった二つの機体を合体させたような双胴式の機体は、
かなり早い段階から持っていたアイデアの一つだと
設計責任者のシュムードは証言してます。
P-38のような一人乗りで、細いエンジンナセルを主翼に搭載する形は
メリットが薄い、と彼は判断していたようです。
見慣れてしまってるからそれほど違和感を感じませんが、
よくよく考えると結構変な形状の戦闘機、ロッキードのP-38(笑)。
この前例があったからアメリカ陸軍は比較的抵抗なく
ツインムスタングのデザインを受け入れたのかもしれませぬ。
ただし、シュムードはこのスタイルに懐疑的で、主翼の真ん中に
コクピットのための胴体を設けるのはメリットが薄いと考えてました。
彼が考えたのは、通常の機体を二つ繋げれば
胴体内燃料タンクが大きく取れて航続距離が延びる事、
さらに、それぞれにコクピットを設けることで、パイロットが二人となり、
交代で操縦でき負担が軽減される事、さらに一人が航法士の仕事をすれば、
誘導の大型機が居なくても遠距離を飛んでゆけるようになる事、
といったメリットでした。
が、実はP-38の設計者、ケリー・ジョンソンも初期のスケッチ案の中で、
ツインムスタングと同じ双胴型(ただし片側コクピットの単座)も描いており、
その上で検討の結果、P-38のスタイルに決定してます。
なのでこの辺りは結局、設計者の好みではないか、という気もしますね。
ちなみに最終的にツインムスタングは二人乗りになりましたが、
こちらも計画案の中で片側の胴体のコクピットを取り除き
単座戦闘機とする(おそらく左側胴体のみ)形が提出されてます。
ちなみにツインムスタングのように左右の重心点にコクピットが無い双胴機でも、
ロール(進行方向を軸に機体をぐるっと回す)中にパイロットが受けるG(荷重)は
通常の単座戦闘機とほとんど変わらない、という多くの証言があるので、
見た目ほど、操縦に癖のある機体では無いようです。
とりあえず当時のパイロットによれば操縦性は意外に良かった、
P-51と比べても、そんなに違和感が無いという証言が多く見られます。
実際、朝鮮戦争ではアリソン エンジン搭載型のF82Gが
開戦直後の50年6月27日に北朝鮮の
ラボ―チキン
La-7 1機を撃墜申請してますので
戦闘機としての最低限の性能は持っていたと考えるべきでしょう。
(ただし唯一の撃墜例で、あくまで自己申告によるが)
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