■単座機編



ノースアメリカン A-36アパッチ。
この機体に関してはこちらでイヤンてな位に説明したので見て置いて下さいませ。
最初の量産型から進化無きまま生産終了となったため、
アルファベットによるサブタイプがありません。全て無印A-36です。
(一部の資料でA-36Aとするものがあるが、ノースアメリカン社の資料では無印だ)

すでに何度も書いたように、戦争前にアメリカ陸軍は地上攻撃機は多発エンジン機にする、
としてしまったため、開戦時に配備されていたA-20はデカすぎて使い物にならず、
あわてて海軍のドーントレスを買い入れたA-24もいろいろとイマイチでした。
この結果、なんとかしなきゃと焦った連中が目を付けたのが、ノースアメリカン社の新型戦闘機、
イギリスに納品されいてたムスタング I (アメリカ名はXP-51)です。

低空性能は十分だし、実際、イギリスは対地攻撃に使ってるし、という事で、
間もなく始まるであろうアフリカ上陸戦に備えて急遽開発、生産された機体がこのA-36なのです。
ちなみにエンジンはまだアリソンですな。
性能はそこそこでしたが、今度は母体となったXP-51が戦闘機として進化して、
ノースアメリカン社が多忙になった事、さらにP-47が十分、対地攻撃機として使える事が判明、
この機体は生産中止、発展型も無し、となったのでした。

A-36も現存機がほとんどない機体で、その中では「比較的まともな」のがここの機体。
ただしその来歴は全く不明で、1971年、比較的古い段階でこの博物館が入手したこと、
なんでかわからんけどミネソタの州軍がレストアしちゃった、というくらいしか判りませぬ。



ロッキードP-38L ライトニング。
P-39、P-40とともにアメリカ陸軍の開戦時戦闘機三姉妹であり、その中では最後の登場です。
数字の上では長女なんですが、開発に手こずって初飛行も最後なら、
実戦配備まで最後となってしまってます。

それでも当時大流行だった双発戦闘機のほとんどが失敗作に終わった中で、
ほぼ唯一の成功作となった機体です。
(エンジン二倍でパワーも二倍で強力と思われたが運動性能の低下を考えて無かった)
実際、アメリカ陸軍のトップエース、撃墜機数1位と2位のパイロットが乗っていたのはこの機体でしたから。
(両者の相手は日本機だけ、ドイツ機無しなので、アメリカでの評価は微妙なところがあるが)

ただしこの辺りは機体設計の優秀さ、というより排気タービンの力でした。
このためアメリカ参戦前に禁輸対象だった排気タービンを取り除いたイギリス向けの機体、
ライトニング I は、あまりの低性能にショックを受けたイギリス空軍によって、
引き取りを拒否された挙句(レンドリース法前の発注なので自腹なのだ)、
アメリカに送り返されて、仕方なく陸軍が訓練機として使ってました。

でもってこの頼みの排気タービンもトラブル続きで、このため、
アメリカ軍でもその運用にややてこずった面がある機体でした。
まあそれでも1万機以上が生産され、それなりの結果を出してますから、
アメリカを代表する戦闘機の一つと考えていいでしょう。

展示の機体はアゴラジエター付き後期ライトニングのL型。
このプロペラスピナー下のアゴラジエターは
排気タービンのインタークーラー、中間冷却器をここに追加した結果で、J型以降の特徴です。

それ以前の中間冷却器は、主翼前縁部全面に配管を通し(つまり空気は機体横方向に流れる)、
胴体側から空気を入れて、主翼の端に空気が抜けるようにして冷やす、
という説明してる私自身、何言ってるんだコイツ、というシロモノで、当然、冷えませんでした(涙)。
これは外部から全く見えないので、ほとんど知られてませんが、かなり変な機構なのです。
この辺りは旅行記で説明するにはちょっと何なので、またいずれ。
ちなみにこれを止めたJ型以降は空いた主翼前部の空間に燃料タンクが入れられ、
これがP-38がまともな長距離戦闘機となるきっかけともなってます。

展示の機体は1961年にカリフォルニアの航空会社とフィラデルフィアの財団が
共同で寄付したもの、との事ですが詳細は不明。



アメリカ開戦時の戦闘機三姉妹、P-38、P-39、P-40が全員搭載していたアリソンのV-1710エンジン。
といっても、それぞれの機体が搭載していたエンジンは微妙に異なるのですが。
ついでに先に見たA-36もこのエンジンですから、開戦当初のアメリカ陸軍航空軍を支えたエンジンとも言えます。
…支えきれなかったんですけどね(笑)。

どうもこのエンジン、過給機から高圧の吸気を受けるとダメ、という欠点があったように見えます。
まずP-39でこれを積もうとしたベル社はあまりのトラブルに収拾がつかなくなり、
社長の辣腕ラリーがその搭載を見送ってしまい、エアラコブラがあんな機体になる原因となりました。
(NACAがさんざんケチをつけてるが、ベル社の経験不足もあるものの、エンジンもダメだった気がする)

そしてP-38でもかなり後期になるまで、排気タービンに伴うトラブルが絶えず、
さらに後にP-82ツインムスタングで二段二速過給機を搭載したときは、
ムスタングの父、シュムードを激怒させるほどのヘタレぶりを発揮してます。
シュムードに言わせるなら、マーリンエンジンならこんな事はない、との事なので、
この点は完全にダメエンジンだったのでしょう。

ただし低圧過給、つまりパワーは低い、低高度でしか戦えない、という条件で搭載した
P-40、A-36はそういったトラブルに無縁でしたから、使いどころによるのかもしれません。
まあ、そんな使用条件では第二次大戦ではもう使い物にならないんですが…。



アメリカの真の主力戦闘機1号、P-47D-40。
開戦時三姉妹が、どうもダメらしいぜ、と気が付いた陸軍がリパブリック社に開発させた機体で、
第二次大戦開戦後、というかフランス降伏直前の1940年6月に陸軍から試作機の契約を受けてます。
(三姉妹最後のP-38が初飛行してから1年半後で、三姉妹じゃどうもダメじゃん、と判明して来たころ)

ようやく安定して性能を出して来ていたR-2800空冷エンジンに強引に排気タービンを搭載、
(実戦投入までされた機体では世界で唯一の単発エンジン排気タービン搭載戦闘機)
このためアホみたいに大きく重い機体となってしまいました。
まあ、基本的にマッチョ願望の総本山であるアメリカでは、この点は目をつぶれたのでしょう。
ちなみに設計責任者は第二次大戦編の最初に出て来たP-35と同じカートヴェリ(Kartveli)。

1941年5月に初飛行、それなりの性能の数字を出したため、陸軍はこれを正式採用、
1942年3月にはヨーロッパ戦線で部隊配備が始まってました。
本来なら、そのままアメリカ陸軍の主力戦闘機となれたはずなんですが、
何度も書いてるようにアメリカ陸軍航空軍は戦略爆撃空軍であり、ドイツ本土まで爆撃機の護衛ができる、
が戦闘機に求められる必須性能でした。
この点、重い上に燃費を悪化させる排気タービンを搭載していたP-47がは不利で、
このため、一年以上遅れて登場したマーリンムスタング、P-51B以降にその座を譲ることになるのです。
(最後のN型でこの点をカバーするのだが、登場が遅すぎた)

でもって、この機体、胴体下に排気タービンのダクトを通してる上に空冷エンジンなので、
下からめっぽう撃たれ強く、さらにその重い機体重量を支えるため頑丈な構造となっていたのが、
地上攻撃に向いてる、と判明、以後は陸軍の地上部隊を支援する近接支援戦闘機として活用されます。
爆弾捨てちゃえば、ドイツ機と互角に戦える空戦性能も持ってましたしね。

展示の機体は水滴風防になった後の後期のD型。
ちなみにP-47はD型の生産途中から水滴風防にしたのですが、
型番を変えなかったため、同じD型でも従来のレザーバック(後で登場)とこの水滴風防型が
両方存在する、という面倒な機体になってます。
そもそもP-47ではアルファベットにプラスして数字の型番があり、D型でも
D-1からD-40近くまで型番が存在します。展示の機体はDのほぼ最終生産型ですね。
ちなみに水滴風防になるのはD-25型から。

ついでにP-47はいろいろと特殊な事をやっており、
主脚のカバーを見るとなんか変な構造なのが見て取れるでしょう。
これは主翼を空気抵抗の小さい中翼、胴体の上下中心付近から生やした結果、
長くなってしまった脚を収納する十分な空間が主翼下面に無かったので、
途中から縮ませて収容する、という無茶な構造になってるため。
この辺りも旅行記でやると収拾がつかなくなるので、またいずれ。

展示の機体も詳細はよくわからんのですが、とりあえず戦後、ペルー空軍に供されていた機体で、
1981年に博物館に寄贈されたものだとか。
ちなみにこれもあまりにピカピカで、怪しいレストアではあります。

ついでにサンダーボルトはD型の途中で1944年1月を迎えるので、
水滴風防でもオリーブドラブ迷彩の機体があります。D-40までくるとツルピカですけどね。
ただしどうも現地部隊が後から塗装しちゃった、と思われる機体の写真が残っており、
無塗装かどうかで、生産日時を完全に推測するのは困難な機体だったりします。



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