■A-36登場

さて、最初はまたこのレンドリース後のムスタング開発系統図から。



前回説明したように、レンドリース法設立後はその開発の主はアメリカ陸軍に移るのですが、
それでも前回見たP-51、イギリス名ムスタング I A までは
イギリス空軍の要望によって開発された機体でした。
この機体までの社内形式取得がアメリカ参戦前なのにも注意してください。
このため、アメリカ陸軍の興味は全くこの機体に向いてませんでした。
アメリカ陸軍が関心を持つのは開戦後で、その最初の機体がA-36となります。
系統的にはアメリカが試験したXP-51(ムスタングI)からの発展と見ていいでしょう。

3つ目のムスタングというかP-51系の機体となるのがA-36 アパッチです。
ちなみに正式にはA-36A とする話もあるのですが、
ノースアメリカン社の資料では単にA-36ですし、そもそもA型しか造られてないので、
A-36でも問題ないような気がします、はい。

この機体からアメリカが真珠湾でケンカ売られた後の機体になります。
これは急降下爆撃機という、P-51一族の中の変わり種なんですが、
ここからアリソンムスタングは大き変わって行きます。
ちなみにムスタングの爆撃機化は陸軍からノースアメリカン社へ要請した説と、
我らが辣腕社長、キンデルバーガーが売り込んだ説があって、どっちが正解だか判断が付きませぬ。

ただしこの機体、上に書いてあるように社内の形式取得が1942年4月なんですが、
これはアメリカ陸軍との正式契約のはるか前で、その後、ようやく8月になって契約が成立してます。
つまり正式契約前に4カ月も事実上の自社開発の時間があったわけで、
どうもこの辺りからすると、キンデルバーガーが社内開発を先行させ、
後から契約を取って来た、という感じがしなくもないですね。

でもって、このA-36からはエンジンが変更になり、
同じアリソンでも最大1325馬力のアリソン1710-87に換装されたのでした。
ムスタング I と P-51に積まれた1710-39は最大1150馬力なので、15%前後の出力アップですが、
これは全開設定高度が極めて低い設定になっており、1710-39の高度11800フィート(約3596m)に対し、
わずか高度3000フィート(約914m)、戦闘機としてはほとんど地表すれすれで最大出力が出るようになってました。
なのでエンジンの出力アップがあった、というよりは空気がたくさんあって出力を稼ぎ易い
低高度用にセッティングされたエンジンだった、という面が強い気もします。
実際、最高速度は爆弾無しでも580q/h前後で、600q/h出たとされるムスタング I より遅くなってます。

そして主翼内の武装が後のマーリンムスタング B/C型まで続く12.7o×4(片翼2門)になります。
ただし無印P-51で一度廃止された機首下の12.7o機関銃が復活してるのに注意。
ついでにこの機体からP-51は爆弾装備が可能になるのですが、
片側500ポンド×2、約225s爆弾×2までが搭載可能で、この点はD型まで以後の機体も同じです。

ちなみにA-36は1機だけ、試験用にイギリス空軍に引き渡されてますが、
本格採用はされてないため、イギリス用の名称は特に造られなかったようです。


■Photo US Air force / US Airforce museum


アリソンムスタングの中では2番目の生産数を誇るA-36ですが(500機だけど)、
当時の写真で明瞭に形状が把握できるものは少なく、
ここではアメリカ空軍博物館にある現存機の写真を載せておきます。
ちなみにA-36も試作機は無く、いきなり生産型の機体が初飛行したのが1942年の9月27日でした。
(ただしそれ以前に別の機体でダイブブレーキ、いわゆる急降下制動板のテストはやってた)
ちなみに先行量産型が42-83663なので、
写真の機体の番号が正しいのなら、これは量産3号機になりますね。
でもって、今さらですが、以前、A-36までは冷却器の開口部は広がりを変えられる可変式になってる、
と書いたんですが、すみません、よく見てみると、A-36ではすでに固定式っぽいです。
おそらく無印P-51までの装備だったかと思われます。訂正します。

さらに前回指摘するのを忘れたのですが、P-51以降は最初のムスタング I とは異なる排気管を付けてます。


This is photograph ATP 10680C from the collections of the Imperial War Museums

こちらが初代ムスタングことムスタング I のもの。
機首横の排気管は長細い普通のもの。


This is photograph ATP 12317C from the collections of theImperial War Museums 

こちらがP-51、すなわちムスタング I A のもの。
判りますかね、微妙に三角形の広がりを持った、ただし魚の尾(Fish tail)型ほどではない、
という排気管が無印P-51には積まれています。
おそらくイギリス空軍の要望で装着されたものだと思うのですが、以後、
アリソン搭載ムスタングはP-51Aに至るまで、この方の排気管を付けてます。
当然、このA-36でもそうなってます。


■Photo US Air force / US Airforce museum

当時のA-36の写真で見ても排気管は無印P-51と同じなのが確認できます。
ちなみに、この写真に見えてるのが搭載可能な最大の爆弾、500ポンド(約225s)爆弾なんですが、
よく見ると信管が付いており、これ、どういった状況での撮影なんでしょうね(笑)。
パイロットは居ないので、出撃準備が終わった後から待機命令が出て
しょうがないので整備員だけで記念撮影したとか?
撮影側が妙に高い位置に居るのも気になるんですが…
判りにくいかもしれませんが、奥に見えてるA-36も爆装済みなので、
なんらかの出撃待機中だと思いまけども、まあ、詳細は不明という事で。

さらについでに機首の棒状の描きこみは出撃回数を示すと思われる爆弾マークで、
約140個これが描き込まれてますから、本当なら140回もの出撃をこなした歴戦の機体です。
当時の急降下爆撃機の損耗率を考えると、奇跡に近い数とも言え、
よほど幸運な機体なのか、それともこの部隊が展開していた周辺のドイツ軍がよほどヘタレだったのか…
おそらく北アフリカかイタリアでの撮影だと思われますが、1944年上半期の撮影らしいのでイタリアですかね。

ちなみにA-36のほとんどは地中海戦戦線に送り込まれており、
1943年4月からモロッコで実戦配備が開始されました。
ただしその後、ビルマ戦線に少数が送り込まれてますから、日本軍もこれを見てるはずです。


■Photo US Air force / US Airforce museum

こちらは1943年にシシリー島に展開した部隊のA-36で、愛称は右下にあるようにEl Matador、
よってあの白いのはユリの花ではなく、牛の鼻息だとわかります(笑)。

上の写真もそうですが、埃だらけで使い込まれた感がある写真が多いのがA-36で、
実際、ほとんどの機体が現地で撃墜されるか故障で動かなくなるかまで使い込まれたようです。

ついでに写真のように機首下の12.7o機関銃を外して
その穴を塞いでしまった機体は意外に多かったようで、他にも数機、確認できました。
故障が多かったのか、使わないので邪魔だ(機銃は重量物の一つだ)と外してしまったのか、
その辺りはよく判りませんが。

さらについでに、主翼の機関銃の穴がむき出して、こんな埃っぽい所で大丈夫か、
と思ってしまうのですが、よく見ると銃口に白いフタがされてるのが判ります。
これが何なのか不明ですが、イギリス軍やイギリスに展開したアメリカ陸軍と違い、
この地域の機体は機銃用の穴全体にテープを貼る、といったホコリ対策ではなく、
銃口そのものだけに封をする、というやり方を取ってたみたいです。
ちなみに見えにくいですが、上の写真のA-36でも同じような事をやってます。
こっちの方が手間がかかりそうにも見えますが、どうなんでしょう。


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