■単座機編 その2



というわけで、こちらはレザーバック、操縦席の後ろに胴体が続くタイプのP-47D型。
博物館のあらゆる資料でD型としか書かれてませんが、無印D型ではなく、D-15ですから注意。
(シリアルナンバーが42-23278なので15型

ちなみにサンダーボルトは約15500機造られてるんですが、そのうち8割、12500機以上がD型(笑)という
妙な機体で、あとは大戦末期に出て来た完全新型に近いN型が1600機造られてる以外は
ほとんど他の型は生産されてません。
なのでP-47を見たら、あれはD型だね、と知ったかぶりをしておけば8割がた間違いないのでした(笑)。

ついでにレザーバック(Razor Back)、剃刀の背、という呼び方は、コクピット後部の胴体が
鋭い角度のオムスビ型になって、上が剃刀の刃のように尖ってるため。
あくまで鋭角になってる、というレベルでそんな怪我をするようなシロモノではないですけど。
これは後方視界を確保するためらしいのですが、どうも大型の安定翼にもなっていたようで、
これを無くしてしまった水滴風防型では直進安定性不足に悩まされます。
このためD-40以降から垂直尾翼の前に背びれが追加されるのでした。
(一部の機体へは後付けで取り付けられた)

なのでレザーバックはこの機体だけの呼称であり、他の機体、
例えばP-40などのコクピット後部の胴体をレザーバックと呼ぶのは間違いです。
この辺り正確な呼称は無いのですが、P-47以外はファストバックとか呼ぶのが無難でしょう。

ちなみに、これがアメリカ陸軍の主力としてヨーロッパに送られ始めた時、
機種変換部隊の筆頭候補の一つにされたのが、例のイーグル航空隊、元アメリカ義勇兵部隊でした。
連中は引き続きイギリスから譲り受けたスピットで戦っていたのですが、
続々と到着し始めたP-47への機種変換を迫られます。
軽快なスピットから、重くて直線番長なP-47への変更は不評だったそうですが、
何度かの空戦の後、スピットだったらとっくに落ちてた、という損害のまま
飛んで帰って来る機体が増えるにつれて、評判は良くなって行ったようです。
それでも後にP-51が登場すると、そっちが人気になったようですが(笑)…

ついでに、1944年1月には生産が終わってたはずのレザーバックでも僅かながら無塗装機があり、
どうも水滴風防型と一時期同時に生産されていたのか、あるいは後から追加生産された機体があったのか謎です。
この辺りはキチンと調べてないので、正直、よく判りませぬ。

ちなみに展示の機体は戦後1964年になってからリパブリック社から寄贈されたものだそうな。
それ以外の詳細は不明なり。



戦闘爆撃機として使われたP-47では1000ポンド(約454s)爆弾を2発、主翼の下に装備して飛べました。
意外にじっくり見る機会が無いので写真載せて置きます。

ちなみに日本のゼロ戦は60s×2、P-47と同じような使われ方をしていた
ドイツのFW-190Gでも250s×2が基本的な搭載量だったので、P-47の力持ちぶりが判るかと。



もはやおなじみノースアメリカンP-51D ムスタング。
この機体についてはここで血反吐を吐くほど解説したのでご覧あれ。

D型の製造開始は1944年3月ですから、全機ツルピカですが、これもわずかながら
現地で塗装してしまった機体があったりします。
ついでに、このツルピカ無塗装生産機は、クリアコートを拭いてワックス掛けして仕上げます。
これをP-51は空力に気を使っていたから、とか、層流翼の効果を上げるため(笑)、
とかする解説をまれに見ますが、無塗装機ならどの機体でも普通にやってたことですから、誤解でしょう。
逆にムスタングのA型やA-36でそんな仕上げをやってたというのは聞いたこと無いですし。

この展示の機体、一定レベルではあるんですが、微妙にちょっと…という部分もあり、
まあ、軽く流しましょうか。

ただし機体の素性はよく、1957年までウェストバージニア州の州軍で使われた後、
直接、この博物館に寄贈された機体。
つまり軍用のまま隠退、保管されてるので本来ならもっとなあ…という感じですが…。
あるいは戦後の運用でいろいろいじられてしまった結果で、この博物館のレストアミスでは無いのかなあ…。

ちなみに1957年の引退の段階で、全米で唯一の現役ムスタングであり、
戦闘機として登録されていた最後の軍の(州軍だけど)プロペラ機だったそうな。



日本海軍の戦闘機、川西 紫電改。
この機体もここで解説してるのでそちらをご覧あれ。

日本海軍の最後の主力戦闘機、というか、400機前後の生産数って事実上、戦力になってないじゃん、というか、
2000馬力エンジンであの性能、とか、えー、まあ、その、日本なりに頑張った機体じゃないですかね…。

ちなみに紫電改は下手をするとゼロ戦よりまともな現存機に恵まれており、
3機ほどがキレイにレストアされてアメリカにあります。
もう一機は以前見たスミソニアンのウドヴァーハジー、後はフロリダの海軍博物館で展示中です。



これも日本。桜花、MXY7-K1。
人間ミサイルとでも言うべき悲劇の特攻兵器です。
こういう機体で戦争を続けようとか考えた連中が真っ先に死ねばいいのに。
連中がちゃんと地獄に落ちていますように。

下にソリが付いており、生還できる機体なのは、これは練習用の機体だからです。
ちなみにエンジンも無く、後ろは塞がってます。つまり一種のグライダーですね。
弾頭とエンジン部には水を入れてバランスを取ったらしいです。

ついでによく見ると主翼の内側後部が下に下がっており、これはフラップです。
実機には無かった着陸用の高揚力装置ですが、
それでも着陸速度は200q/hを超えたとされ、なんとも狂ってますね。

練度の低いパイロットが特攻するため、
ある程度操縦を訓練して、ということで造られた機体で、
この博物館の資料によれば45機前後が造られたとのこと。


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