で、やっぱり本能的に明るい方に足は向いてしまうわけで。
ここが両者の境界で、左が神社、右がお寺の境内になります。
差がわかりますかね。
商売繁盛のお祭りですから、景気いい雰囲気の方が似合ってますね。
そろそろ世界経済も上向いて欲しいものだなあ、と思ったりも。
ついでに経済学ってのは心理学並みに実証不能な一発ギャグなのだ、
とそろそろ世界中が気が付きますように。
未来予測が不可能な理論しかない学問なんて、宗教みたいなもんですよ、ホントに。
さて、三ノ輪エリア、という事で強引にまとめてしまい(笑)、
もう一箇所、回ってみましょうか。
地下鉄&都電の三ノ輪駅から日光街道を隅田川に向けて少しだけ北上すると、
西側に、ご覧のようなステキな建物が見えてきます。
おそらく御仏とロケットを合体させることで、
悟りの境地の宇宙的な展開を立体再現してるのでしょう。
サイズ的に高度100km前後が到達限界だと思いますが、
そこからは御仏の力で地球の引力ぐらい軽くぶっちぎり、
太陽系の彼方へと旅立ってゆくに違いありません。
そんなロケット仏教で私に知られるのが、この円通寺。
日光街道沿道は、幕末の江戸で上野に立て篭もった彰義隊が敗走し、
会津方面に向かったルートなため、いろいろな逸話が残ってたりします。
で、このお寺は、彰義隊の敗走を見て気の毒に思った住職さんが、
その戦死者を弔って埋葬したお寺なのだとか。
境内の左手にその墓所が残っています。
さらにその縁で、上野の寛永時にあった黒門、彰義隊の戦闘で
もっとも激戦地となった門を政府からもらいうけ、移築、保存しているのでした。
これがその黒門。
その後ろにあるのが彰義隊のお墓と、慰霊碑などです。
ここに来たのは明治40年となってますから、
彰義隊の戦いからはかなり後。
それまでは国立博物館が保管してた、との事ですが、
現場に建ったままだったのか、分解保管してたのかはわかりませぬ。
で、最初に書いてしまいますが、この墓所はもうひとつ、触れておきたい事があります。
ここは、誘拐事件として初めて犯人の声を公表して公開捜査が行われた、
1963年の吉展(よしのぶ)ちゃん事件で、
犯人が自供したとおりに遺体が発見され、逮捕の決め手となった墓地なのです。
現在は、この黒門の右、少し奥の場所に吉展ちゃん慰霊のためのお地蔵様が立っており、
最初に来た時は、彰義隊の墓がそんな事件の舞台になっていたとは知らず、驚きました。
吉展(よしのぶ)ちゃんの冥福を祈らせていただいた上で、一つだけ書きます。
彰義隊は徳川体制の維持を狙って政府軍と戦った人たちですが、
(1/3くらいは、街のゴロツキだったけども)
彼らが擁する将軍は、第十五代将軍、徳川慶喜。
慶喜と書いて、よしのぶ、と読みます。
この誘拐事件の犯人は、この段階では少年の名前すら知らないまま、
この場所で吉展(よしのぶ)ちゃんを殺害し、埋めてしまったと自供してますから、
奇縁というか、なんとういうか、不思議な一致ってのはあるものです。
こっちが正面側になります。
現在の上野公園の清水堂の下辺りにあった門で、
これが当時は上野の山、寛永時への入り口となっており、
その結果、周辺が、最初の激戦地となったようです。
門が二つに分かれてるのは、将軍様用と一般人用があるため。
たしか向かって左側、柱の上に小さな屋根が乗ってるほうが将軍閣下専用、
右の柱の上に何もない方が一般市民用。
くだらないねえ、と思いますが、200年以上、天下泰平な世の中で、
将軍の権威を維持するってのは、そういう世界なのかもしれません。
NEXT