■地の底へ



さて、その主坑道沿いに少しずつ地下深くに向います。



でもって、以前来た時には無かったこの案内板に驚く。
終戦直前の1945(昭和20)年に入ってから、ここに陸軍最後の究極戦闘機、中島の四式戦闘機、いわゆる疾風(はやて)の地下工場があったのだとか。初めて知りました。
まあ、宇都宮駅の南にあった中島飛行機の工場で疾風は造られていたので、ここに疎開したのでしょう(現在の陸上自衛隊 北宇都宮駐屯地の滑走路はその工場用飛行場の跡地)。

…いや、でもここで造ってどうやって運び出すの?鉄道なんてないし、宇都宮飛行場まで10q近くあるぞ。まさか中島も牛車で運んでた?いや、しかしここの坑道の出口、完成した疾風が出ていけるサイズじゃないぞ。
単なる部品工場だったのか、あるいはこの奥に公開されてない大きな出入り口があるのか。いずれにせよ、ここから飛行場までの運搬手段がないんじゃどうしようも無いでしょうが…。

ナチスドイツでは山の地下に工場造った後、頂上をけずって滑走路まで造っちゃう、という壮大な疎開工場を計画したりしてますが、日本人にそれは無理でしょう。いろいろ謎ですけど、これ以上調べるのも面倒なので、詳細は謎とします(手抜き)。

追記:後に掲示板でこの採掘場ではエンジンを造っていただけで、機体は別の山の中に空洞を造ってそちらで製造してた(現存せず)、との情報をいただきました。



その地下工場跡は立ち入り禁止地区なんですが、その奥の方では怪しげな照明が点いてました。…現代芸術?




とりあえず最初の分岐点に向います。ここから右に曲がる(入り口から見ると左)、が順路です。



その先には一段と低くなった広大な空間が。奥は立ち入り禁止地区ですが、明らかに後付けの階段があり、以前は入れたんじゃないかなあ。

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