その先でさらに階段を登ります。



あれが拝殿か、と思ったんですが、これはまだ門と塀でした。ここまでで既に三つ目の門、夜叉門です。門と塀、多すぎだろう、この神社。

その名の通り四体の夜叉神が門内に安置されてるんですが、私は全く知らない四人でどこから出て来たんだこの神様…というか、なんでこんな変な所に凝ってるのと思う。まあ仏教神はヒンズーの神とほぼイコールですから、その気になれば無限の種類の八百万以上の神からいくらでも連れて来れるわけですが。



その夜叉門の左右には鼓楼と鐘楼と呼ばれる建物があり。こっちが鐘楼だったかな。少なくとも他の寺社仏閣ではちょっと見たことが無い構造の建物で、ホントによく判らんな家光さん、と思う。良く判らんので解説は無し。



その先の階段を登って夜叉門を潜りまする。



当然のごとく、ここも派手派手。ヤンキー系だった家光らしいと言えば家光らしい墓所。こういった過剰装飾に赤地の建物、というと真っ先に思い浮かぶのは中国ですが、なんで秀忠から家光の間にその大流行が来ちゃったのか全く判らず。そしてやはり私はこの文化がキライだなあ、とつくづく思う。

NEXT