その門を潜ると拝殿まで屋根付の通路が続く、というあまり他で見ない構造でした。



拝殿の横にも小さな社があり。



なんかいい感じですね。



そこから見た拝殿。かなり大きく立派なもので、これも重要文化財。すでに東照宮文化時代の神社なのですが、装飾は控えめ。それでも琵琶湖岸の三井寺や日枝神社といった、数十年速い時代の質素で堅牢な寺社建築とは完全に異なります。この時代に一気にこれだけ変化した理由について、個人的には興味があるんですが、正直、良く判りませぬ。

ちなみに二荒山(男体山の事)を「ニコウサン」と音読みするのは当然、寺院式の読みであり、本来は「フタラ」と呼んでました。というかフタラの当て字が二荒なのです。よって神社の正式な名称としては「フタラサン神社」となります(ただし神仏混合と言うか極めて適当というか、修験道がらみの神社は「山」をサンと読ませる事が多い。この辺りは適当なだけなので深く考えても無駄だろう)。

この点、鎌倉時代から日光の字が当てられていたのが出土品から確認されてますので、太陽神信仰にも通じる「日光/ニッコウ」の読みは古くからあったようです。

NEXT