■信仰と蕎麦の山
境内には三又に分かれた立派な杉がありました。
ここにあった解説によると少なくとも十五世紀ごろまでは真言と天台の二大密教宗派が
ここに居たそうで、両者は激しく対立してたのだとか。
(先に書いたように江戸期には寛永寺の配下となったから天台派の勝利に終わったらしい)
となると室町時代からすでに仏教系密教になっていたわけで、
修験道の本場、というのはちょっと違う感じだなあ、やはり。
しかし空海VS最澄の戦い
(プライドの高い空海が、ほぼ一方的にケンカ売ったんですが)
両者が死んで600年近く経った後、こんな山の中でまで続いてた、
となると宗教って何の価値があるんだろうとも思ったり。
でもって、参拝後に知ったのですが、ここの社殿の天井の龍の絵、
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)によるのだとか。
しまった、よく見てこなかった…。
と思って帰宅後によくよく確認したら、一度火災で焼けたのを
残ってた写真を元に再現したのだとか。
じゃあ、いいや、そんなの(笑)。
ちなみに暁斎が戸隠まで来た、という話は私は初めて聞いたのですが、
(幕末に信州旅行をやったのは知ってた)
まさかこんなとこで彼の絵に出合うとは…。
つーか、あの人、神社に奉納する(金取ってるけど…)となると龍の絵ばかりだな。
ついでに神社の解説だと暁斎は、“狩野派の天才絵師”だそうな…。
フフフ…世の中、狩野家に居たからって“狩野派”とは限らないのよ、坊や。
巨大な雪の塊が境内がありました。
4月末で他に雪は見なかったので、雪かきして造られた雪の塊が残ってた、という感じでしょうか。
ちなみに拝殿はかなり新しい。
おそらく戦後に建て直されたものでしょう、これ。
余談ですが、お寺は火事が多いです。
ここも江戸期までは神仏混合だったわけで、その例外では無いのでしょう。
真言の総本山、高野山一帯なんて何度燃えてるんだという感じですしね。
これはお寺はロウソクの火や線香があるから、とする事が多いですが、
私は実際にはその多くが放火だろう、と思ってます(笑)。
お寺内部の人間関係の難解さ、派閥ごとの対立、新人へのイジメなど、
ほとんど資料に残ってませんが、わずかに漏れ聞くところでも
相当に陰惨なものがあり、皆燃えちゃえ的な展開は少なくなかったように思うのです。
気に入らない人間を殺しても、建物ごと燃やしてしまえば証拠は残りませんしね。
ついでに戸隠は鎌倉〜室町期まで山上の霊場として、
比叡山、高野山に匹敵する規模があったとされます。
現在はその片鱗も感じさせられない寂しさですが、
どうも戦国期に武田信玄が、この一帯を弾圧、多くの寺社が山を追われたようです。
ここら辺り、戸隠神社の説明だと一方的に弾圧されたように書かれてますが(笑)、
比叡山の流れを汲む宗教施設が、毎日ただ大人しく神様拝んでる事はまず無いですから、
おそらく一種の武装勢力になっていたんだと思います。
この辺り、信長と比叡山の関係にどこか似てますね。
両者とも権力者の本拠地から北西の山の中ですし。
さらに余談ですが(笑)、戦争における士官、すなわち少尉以上の指揮官の死亡率は
古今東西、どんな戦争でも非常に高くなりやすい傾向があります。
前線に立って指揮するからだ、とされる事が多いですが、
実際は大半が自分の部下に撃ち殺されたんだろう、と思っております(笑)。
普段からイバリ散らしていて、いけ好かない上官が、
いつ弾に当たっても誰も不思議に思われない戦場に居る、
という状況にあるなら、私なら喜んで後ろから撃ち殺しますぜ。
だって戦場で指揮官がバカなら、自分の命が危なくなるんですから。
でもって境内には例の三又の杉とは別に、立派な御神木の杉がありました。
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