■目指せハインド ドア



ちなみに食事はかなり立派なもの。
高野山もそうでしたが、宿坊って食事に凝ってるところが多いですね。
下手な民宿に泊まるなら、こちらのほうがはるかにいいかもしれません。



さて、本日は父親の希望で長野の北東部、戸隠神社に行ってみるか、という事に。
戸隠と言えば修験道の北の本場と聞いていたので、私もちょっと興味あり。
長野駅前からバスで1時間ほどの距離でした。
長野市はすぐ西に山が迫っており、駅を出てしばらくすると山道に突入、
後はずっとこんな感じの道のりが続きます。楽しいぜ。
運転手さんは大変でしょうけども…

関東平野に住んでると忘れがちですが、日本は山国だったんだなあ、と今更思ったり。
ちなみに途中でもう一つの修験道の本場、飯綱山も通ったらしいのですが、
全く気がつかずにおりました…。



バスの窓から見えた戸隠連峰。
最高峰でも1900m前後だそうで、それほどでもないのですが、
北の山でまだ雪を被ってる上に岩がちの山体のため、それなりに迫力があります。

ちなみに古事記などに見られる天岩戸伝説で、
こじ開けて放り投げられた天岩戸が戸隠山になったという伝説があり
かなり古代から中央でも知られた山だったようです。
ただし古事記、日本書紀ともにそういった記述は無く、
天岩戸と戸隠が結びつくのは、おそらく室町時代以降だと思われます。
それでも少なくとも平安期には既に神社があったそうな。



でもって、当日調べて見るまで知らなかったのですが、
戸隠神社と言うのは山ろくに広がる複数の神社の総称なんだとか。

全部で5つの神社が山腹に散在するらしいので、とりあえずその中心に位置するらしい
中社(ちゅうしゃ)と呼ばれる神社に来て見たのでした。



そこにあったサルでおなじみ日吉社。
あれ、という事はここ、比叡山系の天台宗の密教系の流れなのか。

厳密には江戸期には徳川家の加護を受けており、
天台と言っても上野の東叡山寛永寺の流れにあったようです。
で、例の明治の廃仏令により仏閣成分を捨て、
より有利な神社側の要素を全面に押し出して生き残ったのが戸隠神社のようです。

となると正統派の密教系、すなわち仏教化された魔法世界であり、
しかも真言宗より理屈っぽい、学問としての魔法宗教ですから、
雑密(ぞうみつ)と呼ばれる原始的な修験道とはちょっと違う感じですね。

うーん、これは、ちょっとガッカリか。


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