■怪しいお墓軍団戦



なんというか、独特の雰囲気のある場所でした。

こんだけ、石塔やら卒塔婆が延々と並ぶ場所は初めて。
東京の谷中墓地や、青山墓地もかなりの規模ですが、
全体的な雰囲気はもっと明るい。
森の中の墓所って迫力あるなあ、と思ったのでした。
しかもこちらは、参道沿いに細長く、延々と続くので、
かなり圧倒されます。



参道そのものはよく整備されてるので、
それほど不気味な雰囲気はしません。
15分ぐらい歩いてみたものの、まだまだ奥まで続いてる。
なぜか、ほとんど観光客らしい観光客は見かけず、
今回の散策中、4人の人とすれ違っただけ。
もっと人がいるだろうな、と思ってたので、意外。

夕方、というのもあるんでしょうが、
やっぱり皆、車かバスで来て、
駐車場から奥の院へ歩いてしまうんですかね。



でもって高野山で有名なのが、これ。
戦国大名の墓所が、エリア内にいくつも散在しており、
さらには島津家やら毛利家やらの墓所もあります。

墓所、という微妙なネーミングでだまされやすいのですが、
簡潔明瞭に言ってしまうと、これの9割はパチモン、
ほぼ無意味な石碑と思って間違いないでしょう。

写真は見た瞬間、ああ、ここの大名墓所ってそういうモノなんだ、
と一瞬で悟らされた武田信玄&勝頼の墓所。

信玄は死後3年、その死を隠せ、と言ったという“伝説”が
残っているくらいですから、いつ火葬したのか、
どこに埋葬したのかも完全な定説はないはず。
現在も、長野から山梨にかけて、いくつかの“信玄公の墓”が
存在したりする状況で、少なくとも、わざわざ高野山に
その遺骨を納めに来る理由も、可能性もないでしょう。

勝頼の墓は山梨にほぼ本人のものであろう、という墓がありますし、
それ以外にも、山梨から高知(笑)まで、幾つかの墓所とされる場所があり、
まあ、少なくとも、この高野山のがホンモノ、という可能性は
ほとんど無いと思います。

とりあえず、高野山における“墓所”というのは、
記念碑、慰霊碑みたいなもんだ、と考えるべきなんでしょうね。



これもパチモンと断定してよいと思われる、石田三成の墓所。
三成は、京都で首を切られた後、
そのまま京都のお寺で埋葬されてますので、
これはさすがにありえないでしょう。

そもそも高野山は江戸期を通じて徳川家の保護下にあったわけで、
三成の墓をここに造る理由が思いつきません。


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