■神域の一歩手前で
ここより神聖なエリアに入るわけで、その手前には手洗い所が。
石造りの立派なものでしたが、その分、上に見えるゴムホースの
ワビシさが、引き立っており、泣けます(涙)。
橋を渡ると、石畳の参道が始まります。
驚いたのが、巨木としかいいようのない杉並木。
日本の山野では林野庁が大義名分のもと、バッサバッサと
樹齢数十年の杉やらヒノキやらを愉快に切り倒しており、
このため、国内の山林で杉の大木を目にする機会はほとんどない。
今回、杉って、ほっとくとここまで巨木の林を作り出すのか、と素直に驚く。
参道の左右は、こんな感じに苔むした、古い墓所やら何やらが無数にあります。
ちょっと脱線すると、注目は鳥居が付いてること。
鳥居と言うと、神社の象徴みたいな印象がありますが、これは明治維新の時、
政府有数のアンポンタンの一人が、神仏分離を推し進めた結果で、
江戸中期くらいまで、日本中の神社と寺社は、明確な区別が存在してませんでした。
現在でも、長野の善光寺をはじめ、神仏習合の施設は幾つかあります。
なので、なんとなく神聖なものには鳥居をつけてしまう、というのは普通に行われ、
東京でも、古い谷中の墓地などでは、墓所に鳥居があるのは珍しくありません。
また、前回ちょっと触れた修験道は、基本的に仏教神を祭りますが、
そんな彼らも、日本中の山に鳥居を建てまくってます。
橋から少し歩くと、墓所とはちょっと違う記念碑のようなものが。
よく見ると、司馬遼太郎文学碑、との案内板がある。
司馬さんは、学生の時徴兵され、戦争に行くのですが、
その出征前と出征後という、節目ともいえる時に高野山を訪れてます。
特に、戦後の訪問時は、かなり思いつめていたようで、
当初は山中にある高野山大学に入り、宗教の道に進む、
と結構本気で考えていたようです。
が、結局、父親の「行くなら行け。金は出さん」の一言で断念した、とか。
(ちなみに“絶対的な力で家族を支配する父親”というポイントは、
司馬作品で非常に興味深いテーマとなるが、今回は脱線しない)
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