■その宿はあまり大きくて
宿坊なんて初めてなので、当初、どこが受付なのかわからず、ウロウロしてしまう。
正解は、入り口左手にある建物、でした。
案内された部屋。広い。
てっきり、窓もないような三畳程度の部屋に押し込まれ、
「フハハハ!ここでキサマのこれまでの人生を悔い改めるがいい!」
とか言われるんじゃないか、と思い込んでいたので、意外といえば意外。
こうして見ると普通の宿となんら変わらない。
高野山は宗教街であると同時に、観光街なのだなあ、と思う。
この段階で、ここはもう霊場ではないな、とも悟る。
部屋からの眺め。だいぶ雲が出てきました。
この窓は、ほぼ真南を向いており、
このすぐ向こう側を、東西に街のメインストリートが走ってます。
この通りは少なくとも戦国期からこの位置にあったはずで、狙って東西方向に造ったものでしょう。
この造りの大元は、空海本人の設計のような気がします。
その空海、弘法大師さんは、画面左のはるか奥の方、街の中心から離れた北東の山の中で、
現在まで“入定(にゅうじょう)”しているわけです。
北東、は本人が狙ってやった位置なのか、後世のデッチアゲなのかわかりませんが、
(個人的には、最初からホントにあの場所だったのか?という疑問がありにけり)
まあ、とりあえずこれも鬼門を意識してるような気がします。
密教ですから。
こっちは今回の宿坊全景。迷宮のようだ(笑)。
実際、受付から部屋まで、途中のエレベータに乗ってる時間を入れても優に3分はかかりました。
こうして見ると、谷の中の街だな、と思います。
空海がここに街を造るに当たり、天皇にこの土地ちょうだい、とお手紙を書いてるのですが、
その中に
「山の上なのに広大な平地で、貴重な場所なんだよ!だからオレにちょうだい(意訳)」
と述べてます。
半分はその通りでしょうが、この程度の平地(ここから見えてるのは全体の半分以下だが)なら、
探せば他にもあるはずです。紀伊半島なんて、ほとんどが山地なんだし。
昔よく登った南アルプス周辺でも、この程度の尾根筋、谷筋は結構見ました。
なので、この場所を選んだのは、多分、もう一つ、別の理由からだと思われます。
その点については、また後ほど。
この時点でまだ夕方5時前。
ちょっと散歩する時間はありますね。
…が、続きは次回に。
今回は、ちょっと最後に脱線しておきましょう。
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