■そこにいるはずの何か
この先が、弘法大師廟です。
一応、空海はここで今でも瞑想中(入定)な事になってます。
要するに、公式にはまだ死んでないよ、という話。
なので、ここから先は、一種の聖域です。
手前に見えるのが御廟橋で、ここから先は撮影禁止、
さらには脱帽、とされています。脱帽ですか…。
さて、独特の雰囲気があるエリアなのは確かです。
でもって、私は、上の写真で奥に見えてる建物が
弘法大師廟だと思ってたのですが、実はアレはただのデカイ建物です(笑)。
いや、ホントにそうとしか説明しようがなかったりします。
大師廟はあの裏にある、コジンマリした建物なのです。
手前の巨大建築物は、昭和末期に立てられた
鉄筋コンクリート製の建物で、正直、意味がわかりません…。
何がある、ってもんでもないし、宗教的な意味もない。
高野山は、自らの聖域のど真ん中に、巨大鉄筋コンクリート構造物を
わざわざブチ建ててしまったわけです。
私が弘法大師閣下だったら、恐らく工事のやかましさに耐えれず、
早朝に、ミッキョー!とか叫んで廟を抜け出し、
全力ダッシュでケーブルカー駅に向かい、難波の町に行って、
こんな山奥になんて二度と帰ってこないでしょう(笑)。
いやはや。
まあ、だいたいこんな感じかな、という大師廟も見たので、撤収に入ります。
このころから、天気が回復し始めました。
途中で見かけた、豊臣家の“墓所”。
当然、秀吉の墓はここにはありませぬ。
その豊臣家墓所からの眺め。
見渡す限り、墓、慰霊碑、墓、慰霊碑…。
シュールですね。
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