■高野山の心臓部に行こうや
というわけで、ようやくこのマップのエリアに進出。
楕円内にある高野山心臓部に向かいます。
高野山は、明治になると同時に大変革をやったらしく、
高野山の代表取締役のような寺院として、
マップ中央付近に見える金剛峰寺(こんごうぶじ)というお寺が設立されます。
(あくまで統合司令部として。寺院としての本堂はとなりの壇上伽藍の金堂になる)
もともとあった青巌寺(せいがんじ)というお寺の名前を変えて、
本来は高野山全体を指す名だった金剛峰寺にしただけなんですが、
それに伴い、政治的、と言えるほどの組織改革があったようで、
一気に宗教団体としての体裁を整えてしまいます。
ここら辺、どうも明治政府が関与していた説もあったりして、
なんかあんまり突っ込まない方がいい気がするので、突っ込みません(笑)。
なので、高野山の心臓部は、大きく二つの施設からなります。
真言宗の総司令部、政治的な中枢である金剛峰寺、
そして実際の寺院施設である、真言宗本部基地、壇上伽藍です。
ちなみに、空海閣下が生存中に、とりあえず形になったのは、
この真言宗の本拠地、壇上伽藍周辺までだと思いますが、証拠はありません(ヒドイ)。
まあ、いずれにせよ、火事また火事、さらに平安末期には一時廃墟になってたので、
高野山、当時の遺構は何一つ残ってないのです。
ええ、何一つ。
さて、では観光協会前から、昨日とは逆、西方面に向かいましょう。
画面奥、右手の森が高野山統合幕僚本部こと金剛峯寺。
高野山は、街の東側も、水路だらけの水の街でした
高度800mの街と考えると、すごい話だ。
はい、これが金剛峰寺。
高野山真言宗の管長さんおいるお寺であり、
宗教施設としての高野山全体の、地主さんでもあるそうな。
当然、全国の高野山真言宗の総元締めでもあります。
ここでも、橋を渡る。
この水路は天然のものなのか、“向こうに渡る”という演出のために、
後に設けたものなのか、どうなんでしょうね。
正面に見えてる門の他、横から入る小さな門があり。
本来はこちらが、私のような貧乏くさいどうでもいい庶民の出入口で、
この正面の入り口は、エライ人専用だったんだぜ、という話。
ちなみにこれ、金剛峰寺で現存するもっとも古い建造物で、1593年謹製だとか。
城とかでも、門だけ残ってる、というのはよく見るので、
他の建物から離れてる分、生存率が高いんでしょうか。
さらにちなみに、この写真だとほとんど見えませんが、
門の横の白壁に5本の線が入ってます。元帥ですね。
…というのはよくできたウソですが、この壁の線で寺の“格”を示す、
というのはホントで、5本は最高ランクだったはず。
さすが統合幕僚本部。
でも、高野山内に5本線のお寺、他にもあったりします。
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