■磯野、否、中島の末裔



おお、ようやくちゃんと知ってる機体が(笑)。
1965年初飛行の富士重工のFA-200 180 エアロスバル。
この機体、ドアの開き方がカッコよくて好きなんですよ。

1986年まで製造が続いていたそうで(最後の数年は受注生産)、
最終的には299機造られたんだとか。
日本国内だと120機前後、販売されたようです。
それでも儲かるほど売れた、とは言いかねる部分があるようで、
以後、富士重工は後継機を開発しませんでした。



戦中の中島飛行機の流れを汲む富士重工の開発だけに、
いろいろとガンバッてる機体なんですが、イマイチ売れなかったですねえ(笑)…。
日本国内の販売数は立派なものですが、海外がやや寂しく、
この生産数では確実に赤字でしょう。

カッコよくて好きなんですが、せめてもう少し客室が広くて、
主翼が上位置(下が見えるから写真撮影、観光に向く)だったらなあ、
とシロウト考えながら思ったりもします。



翼のフラップ部分に書かれた“フムナ”の文字に涙。ああ日本機の伝統ナリ。
ちなみに、この機体、航空大学でパイロット訓練用に使われていたため、
固定脚の機体ながら、練習で使うための脚引き上げレバーがついてるそうな。



後ろから見るとこんな感じ。



さて、またも全く知らない機体、しかもヘリコプターで、
国産のよみうり Y-1だとか。
これもサンフランシスコ条約の1952年開発開始で、
さらに航空遺産でもあります。

よみうりって、あの新聞の?と思ったらホントに読売新聞で、
サンフランシスコ条約の発効を機に、
国産ヘリコプター開発キャンペーンを紙上で行い、
その結果として通産省の補助金をもらって設計が始まったそうな。
ただし、1958年までを開発を続けたものの、
結局、一度も飛ばすに開発中止になってます。

そのとき、この機体の開発のために作られたのが日本ヘリコプター協会なのですが、
メンバーを見ると、糸川英夫さん、堀越二郎さんとそうそうたるものが。
全員がエースで4番打者状態ですから、
こりゃまとまるものもまとまらないでしょうね(笑)。
ただし協会は設計までで、製造は東京機械化工業という会社だそうな。

ちなみに外見からではわかりませんが、
エンジンは東京瓦斯電気工業の神風(3型)、空冷星型エンジンを積んでます。
東京瓦斯電気工業は、ガスなのか電気なのか、どっちやねん、
という不思議な名前の戦前の重工業系企業で、
戦後は日野自動車やいすず自動車になった会社です。

当然、このエンジンも戦争中のもので、
大戦期の練習機に積まれていたエンジンとなります。
終戦時に、たまたま生き残ったエンジンを引っ張り出してこれに搭載したようですが、
このえらくガッシリした構造で最大160hpのエンジンは、そもそも無理があるような…。

当然、量産化は期待できませんから、あくまで技術実験機だったんでしょうね。


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