■ホントに一族皆眠ってる



そこからしばらく行くと、ポツンと十字架が立っており、
その手前にも一つだけお墓がありました。

あ、もしや…と思って近づいてみると…



やはり、こちらはケネディ4兄弟の三男、ロバートの墓でした。
この人も暗殺されてしまったケネディ一族の一人です。

ジョン・F・ケネディ大統領には4人の兄弟がおり、
兄は先に述べたように戦争で事故死、
次男であった大統領本人は暗殺で死亡してます。

そしてその次の弟で、実はもっとも優秀だったと
言われることが多いのが、この三男のロバートです。
(ただし他にも5人の姉妹が居て9人兄妹という一族だったりする)

三男のロバートはジョンが大統領だった時に司法長官を務めて、
全面的に兄をバックアップしていました。
通常、大統領はその主席補佐官、副大統領、国務長官、
国防長官といった有力な閣僚を側近として召集して会議を開き、
その主要政策を決めるのが普通なのですが、
ロバートは司法長官、という立場ながら、安全保障案件の会議にまで参加し、
一部で影の大統領と言われるまでに重用されていました。

このため暗殺後は、次期大統領の有力候補と見られていたのですが、
1968年に彼もまた、暗殺されていまいます。
(この結果、次の選挙であのニクソンが当選してしまう)
この暗殺も謎が多く、未だに
ケネディ家のミステリーの一つだったりするのです。

ちなみに、この人は徴兵制度時代の人ですが、
海軍の予備役に就いていた以外、
軍歴らしい軍歴は無く、大統領でもありません。
よって、本来ならなぜアーリントン墓地に埋葬されたのか
よくわからない部分があるわけで。

暗殺された、という事で国家への貢献を認められた…
のでしょうかねえ。



でもって、よく見るとその横にもう一つお墓がある。
もしや、と思ったらやはりエドワード・M・ケネディのお墓でした(笑)。
いやはや、この一帯はケネディ家の王墓のような感じですね。

四兄弟のうち、生き残って唯一天寿を全うした男子が
この四男のエドワードで、彼のお墓がこれなのでした。
彼も政治家になり、一時は大統領の座を狙うのですが、
1969年に自動車事故を起こして同乗していた女性が事故死、
これをもみ消そうとしたスキャンダルから、自滅します。
(この経緯は筑紫哲也さんの著書、アメリカンマラソンに詳しい)

それでも2000年代に入るまで上院議員だったはずで、
アメリカでも有力な政治家の一人でした。

でもって、なんでこの人がアーリントンに
埋められてるのか、さらに全くわからず(笑)。
徴兵時代の人ですから、軍歴はあるはずですが、
調べた範囲では2年の徴兵期間は朝鮮戦争に重なっていながら、
ヨーロッパに居り(父親が手を回したはずだ)
とても軍の墓地に収まる資格があるとは思えません。
暗殺もされてませんしねえ…。

で、この人も2009年まで存命で、オバマ大統領の当選に力を貸してます。
まさかそのご褒美で、兄弟と一緒のアーリントンに入れてもらった、
という事は無いと思いますが…



そして、その先でホントになんか呼ばれたような気がして(笑)、
後ろを振り返ると、芝生の中にただ一つの墓標が。
まさか、と思ってみるとこれまたケネディで、なんとジョセフJr、四兄弟の長男です。

この人は大戦中の戦死ですから、ここに入る資格はあるでしょうね。
ただし海上を飛行中の事故で、遺体は見つかってないはず。
なので、こういった質素なものになったんでしょうか。

もっとも、やや新しい印象を受けるので、
せっかくだから四兄弟そろえてコンプリートしようぜ、
という感じでここに建てられたような気もしなくもなく…。

というわけで、この一帯はケネディ一族の墓所、という感じなのでした。
ある意味、アメリカの政治が眠ってる、ともいえる場所です。



さて、そこから次の目的地、アーリントンハウスに向います。

どうもここら辺りは最も古くから墓地として使われていた一帯のようで、
先に見たのとは違い、皆さん結構好き勝手な墓碑を建ててますね。



アーリントンハウスは墓地の中で最も高い岡の上なので、
途中からの景色もなかなか素晴らしいものがありにけり。

ここら辺りも好き勝手な形の墓碑が多いですが、
中にはワシントンメモリアルのような、エジプト風のものまであり。
どうも、この形が19世紀後半から20世紀初頭に流行ったようなのですが、
これ、フリーメンソンのシンボルの可能性もあり、
もしかしたら(笑)、後でもう少し詳しく触れるかもしれません。



ちなみに、この墓地内の案内板、結構あてにならず(笑)、
このすぐ右上がアーリントンハウスのなのにその案内はないのです。

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