■それでも兄弟はえらかった
兄弟の等身大らしき写真。
基本的にアメリカの歴史的有名人の8割は変態、
というアナーキャの法則の具体例の一つがこの兄弟で、
あまり友達にはなりたくない、頑固かつ攻撃的な人たちでした。
まあ、そんな性格だからこそ、全くの無名だった彼らが
人類初の偉業を達成してしまったという面があるのも事実ですが。
ちなみにオーヴィルとウィルバーの見分け方は、
頭髪に困難を抱えてるのがウィルバー、
ヒゲがついてるのオーヴィルというのがもっとも簡単です。
ただし晩年はオーヴィルも頭髪戦線の後退にみまわれますので、
ヒゲが一番簡単な識別ポイントかもしれません。
よって左がオーヴィル、右がウィルバーでしょう。
兄(といっても三男だが)のウィルバーは45歳で亡くなってしまうのですが、
弟のオーヴィルは76歳の天寿をまっとうし、
1948年、実は第二次大戦後まで生きていました。
ついでに、生き残ったオーヴィルも会社を売却し、
航空機の生産からは早くに身を引くのですが、
航空業界の発展に関わる仕事は続けてます。
意外と知られてませんが、以前にも書いたように、
航空機の大革命ともいえるフラップの発明にも、
オーヴィルは関わってるのです。
もっとも初期の型である分割式フラップ(Split
Flap)は1921年に
オーヴィルが共同開発者の
ヤコブス(James W.
Jacobs)と特許をとった装置でした。
実際のフラップの普及はその10年後くらいからになりますが、
技術者として、それなりの力量を持った人だったのは確かです。
…変態ですが(笑)。
ついでに空軍の研究機関と世界最強の航空博物館で知られる
オハイオ州のライト・パターソン基地のライトは彼ら兄弟の本拠地、
デイトン市の近所にあるゆえの命名です。
なんだこりゃ、と思ったらオーヴィルが使ったマンドリンだとか。
…いや、まあ、多才な人だったんですかね。
ライト兄弟はエンジンまで完全に自作してます。
オートバイ屋だったカーチスと違い、自転車屋さんだった彼らが
よく造ったと思うのですが、そこはシロウトの悲しさ、
やはり全体的に実力不足の感が否めません。
のっぺりした下のクランクケースと、単純に直列にならんだ上部のシリンダー、
そしてエンジンの軸につけられた大きな弾み車(フライホイール)が
彼らのエンジンの特徴です。
これは1910〜12年ごろの彼らの機体に搭載されていた35馬力のエンジン。
ちなみに、このエンジンの寄贈者がフラップの共同開発者である、
ヤコブスの家族から、となっていてちょっとビックリ。
ライト兄弟のすごさは機体よりもプロペラにもある、という気が長年してます。
オランダ風車のようなプロペラが主流だった当時、
キチンと翼断面をもって、揚力を推力とする写真のような
近代的なプロペラを開発してました。
彼らの機体はキチンと操縦できた、という事で画期的だったのですが、
それを支えたこのプロペラも衝撃的で、
現代まで続くプロペラの基本設計が既に完成してます。
何か先例があったのか、彼らの独創によるのかはわかりませんが、
この点は画期的な発明だったと思います。
同時に、古臭くなる一方だった機体やエンジンの設計より、こういったプロペラ、
そしてフラップといった各種装置の開発に才能があったようにも見えますね。
展示の物は例の1903年12月の初飛行のときに使われたプロペラで、
最後に着陸に失敗して壊れたものらしいです。
一枚板からの削りだし構造のようでした。
これは車輪の無いライト兄弟の機体が離着陸する時に使ったソリ。
ごく初期の機体のものだろう、とのこと。
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