■右でも軽いでもないWrightである



さて、では最後に、もう一部屋だけ見てしまいましょう。
看板にライト自転車とあり、上の窓では怪しげな人物が作業中のこの部屋は、
人類最初の有人動力飛行を成功させたライト兄弟の部屋でございます。

余談ですが、合併してカーチス ライト社になり、
生き残ったオーヴィルもとっくに経営に関係なくなっていた時代に造られたものながら、
ライト サイクロン(Wright Cyclone)シリーズというエンジンの命名は
ライト自転車店、上の写真で見えてるライトサイクルの
ダジャレじゃないかと個人的には思ってるんですが、どうでせう。



中はこんな感じ。
さすがに有名人、という感じで他の部屋より確実に混んでました。



で、ここの最大のウリがこれ。
1903年12月に「人類初の操縦可能な有人動力飛行」に成功したライトフライヤーI。
ホンモノです。

ヤケに肩書きが長いのは、翼を使った(気球ではない)人類初飛行は
リリエンタールなど、グライダーの先駆者がおり、
さらに動力飛行だと無人で飛ばしたラングレーがいるためで、
人類最初の飛行機、というあいまいな説明ができないからです。

さらに、後のカーチスとの特許紛争で、裁判所から正式に認められたのが、
「世界初の操縦可能な動力による飛行(world's first controlled and powered flights )”」
というシロモノだったので、以後、彼らの飛行機はこの長文で紹介される事になるのです…。
ちなみに飛行船との区別をつけるため、ここにさらに
Heavier than air、空気よりも重いもので、という一文が加わる事もあります。



あまり見る事がない気がする横からの構図。

スミソニアンのボス、ラングレーの先を越して飛行に成功したせいもあり、
スミソニアンの航空部門とライト兄弟は、
かなり長期にわたって対立関係にありました。
犬猿の仲、といってもよく、ここら辺りが1930年代後半までの以後30年近く、
アメリカがヨーロッパに比べて航空後進国となった最大要因かもしれません。

このため、アメリカの貴重な財産とも言えるこの機体は
長らくロンドンの科学博物館に貸し出されており、
オーヴィルが死の直前にスミソニアンと和解して寄贈に同意したものの、
実際のアメリカへの返還は第二次大戦後となったのでした。

が、実機と言ってもその主要な部位である布張はボロボロになり、
全面的に張り替えられてキレイになってしまってますから、
見た目は、先月、近所のオヤジが日曜大工で造った機体だよ、
と言われても全く違和感が無いものとなっております(笑)。

ちなみに、骨と皮ばかり、という印象がありますが、
これでも341kgもの重量があります。
これを自動車がまだ普及する直前に、オハイオ州のデイトンから、
ノースカロライナ州のキティホークまで1000q近くある距離を
運んで行ったのですから、ライト兄弟はいろんな意味でスゴイのです。
(東京〜福岡、東京〜札幌にほぼ近い距離)



操縦してるのは最初に飛んだ(37mだが…)オーヴィルですかね。
有名な12月17日の飛行は何度か行なわれ、その中で最大のものが
255.6mの記録となっているわけです。

ちなみにピクリとも動かなかったので、これは本人ではなくレプリカでしょう。
そのレプリカ オリヴァーの前にあるマイクみたいなのは風速計。

人類初の動力飛行ではあるのですが、彼らの初飛行は
キティホークの強風に助けられた、という部分が大きく、
風を見て飛ばしていたのです。
実際、その後つくられたライトフライヤーI のレプリカの多くは、
風の要素を考えずに飛行しようとし、ことごとく失敗してます。

ただし、これは彼らの機体設計がおかしい、という事ではなく、
エンジンが出力不足だったのが原因ですから、
例のラングレー機のエンジンがこの機体にあれば、
らくらく飛んじゃったと思います。

ついでに、ライトフライヤーI はプロペラは2つなんですが、
エンジンは単発で、パイロットの右、向って左にありました。
このため、バランスを取って主翼は右側の方が4インチ長い、
という左右非対称な機体になっています。

イタリア機だけじゃない、というか世界最初の航空機から、
すでにこういった設計はあったわけです(笑)


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