■来たぜハワード、あいつがヒューズ
こちらは変態大富豪にして飛行機大好き、あのハワード・ヒューズが
1935年に作らせた陸上機速度記録挑戦機、ヒューズH-1レーサー。
歴史的な機体なんですが、意外に人気がなく(笑)、
ゆっくり見学できました。
なんで陸上機(Landplane)という注意書き付きなのよ、といえば
この時代はあの有名なシュナイダーカップを始め、
水上機によるスピード記録のほうが主流だったからでしょう。
1930年代前半くらいまでは、まだフラップが本格普及する前であり、
速度記録に有利な小さな面積の主翼で離着陸するには、
その気になれば10qでも滑走できる水上機の方が有利だったのでした。
当時の陸上機の滑走路は1kmあるかないかですから、
この点では少々、不利だったわけです。
それにしちゃ写真の主翼、長めに見えますが、実はこの機体、
最高速度記録と同時に、長距離速度記録も狙っており、
なんと主翼を丸ごと付け替えて両者に対応する、というステキ設計になっていたのでした。
ここに展示されているのは、長距離記録用の長い主翼となります。
主翼下の数字は登録番号のNR258Yです。
(ちなみに速度記録用が全幅7.6m、長距離記録用が全幅9.2m。
ただし長距離用の主翼に付け替えた後は一度も短距離用に戻してないらしい)
とりあえずこの機体は1935年9月に当時の世界記録である時速567qを達成、
(あくまで陸上機として。当時の世界記録はイタリアの水上機MC72の709q/h)
さらに長距離記録としては1937年1月にロサンジェルス〜ニューヨーク間を
7時間28分で飛行、平均時速は535qと当時としては驚異的なものでした。
当然、どちらもヒューズ本人の操縦によります。
ちなみにこの大陸横断記録は、航空技術に対する貢献を評価して与えられた
ハーモン・トロフィーを受け取るために、自分で操縦して出かけた時のものでした。
が、なにせ変態ですから(笑)、ヒューズは間もなくこの機体に飽きてしまいます。
そのくせ、陸軍が興味を持って、この機体を調べさせてくれ、
と言って来た時に、一度は承諾しながら、
これを無断でキャンセルしてしまいます。
どうも技術を盗まれるのを嫌がったらしいのですが、
この結果、彼の造った会社、ヒューズエアクラフトは戦争中、
完全に軍から干される事になるのです。
ところがドンスコイ、だったらまともな飛行機会社じゃ食ってゆけないね、
という事で、当時社内に居た2人の技術者が
アナログコンピュータやレーダー装備の研究を開始、
これが戦後になって空軍機の機載レーダーやFCS(火器管制装置)を
ヒューズ社が独占してゆく基になりました。
世の中、何が幸いするか判ったもんじゃない、というのと同時に、
社長が変態でも、なんとかなる場合がある、という貴重な例かもしれません。
ついでながら、ヒューズはアメコミのバットマンの主人公、
ブルース・ウェインのモデルだと言われる事もありますが、詳細は不明。
さらについでながら、映画版のアイアンマンの天才大富豪、
あれのモデルは完全にヒューズでしょうね。
横から。とても美しい機体ではあります。
今から見ると良くできてるな、くらいなものですが、1935年に全金属で全面枕頭鋲を採用、
というのはスゴイ最新デザインだったと思っていいでしょう。
同年11月に初飛行するイギリス空軍の戦闘機、ハリケーンなんて、胴体どころか主翼まで、
まだ鋼管フレームに羽布張りでしたし、アメリカ海軍の艦載戦闘機、
これもこの年に初飛行しグラマンのF3Fなんて複葉機だったのですから。
この機体が、当時の航空業界に与えた衝撃は、相当なものだったと思います。
ちなみに、何をトチ狂ったか、ハワード・ヒューズは戦後、
「ゼロ戦はオレのH-1レーサーのコピーだ」
とアチコチで言いふらして歩きました。
ただしその根拠としては、枕頭鋲を使っている、
尾翼の後ろに胴体の尾部が出っ張っている、
といった辺りだけだったようで、実際は似ても似つかない、と思われます。
ただ、当時の多くの空冷式戦闘機が、明らかにこの機体を参考にしてる、
という印象がありますから、堀越さんに、
何らかの影響を与えた可能性は少なくないでしょう。
ついでに今回、主翼の真横から写真を撮って初めて気が付きましたが、
この主翼、微妙にねじり下げ、すなわち主翼の端が少しオジギをしてるように、
下に傾いている、という設計になってるような印象が。
実際、H-1の主翼は上からみて主翼が先端に向けて細くなってゆく
テーパー翼ですから、離着陸時の翼端失速防止のため、
ねじり下げがあっても不思議はありません。
ただし微妙な角度なので、図面で見ないと断言はできませぬ。
このねじり下げ構造はゼロ戦にも取り入れられてますが、
H-1、世界で最も早くこの構造を取り入れた
機体の一つかもしれません。
ちなみに、ヒューズ閣下のお写真もあったので載せておきます。
長身でなかなか二枚目で、しかも大金持ちですから、
まあモテたようで、映画女優を始めとして、女性関係も派手な人でした。
ちなみに、飛行機に夢中になる前は映画マニアで、
自ら金を出して、いくつかの映画のプロデューサーをしています。
ただし1932年製作のホークス監督のよる「暗黒街の顔役」が
ちょっとしたヒット作になったほかは、すべて興行的に失敗してます…。
とりあえず、まあ、変態ですけどね(笑)。
ビーチ 17型 スタッガーウィング。
Staggerwingは直訳するなら、ズレた翼、という感じですが、
下の翼が前に出てる、という構造の複葉ゆえ、こういった名前になったそうな。
…いや、正直言って、全然知らない機体なんですけどね(笑)。
1932年に初飛行し、以後、アメリカにおける初期の
自家用、あるいは業務用飛行機として大ヒットしたそうな。
ついでに多くのエアレースでも優勝してるのだとか。
引き込み脚でスピード出そうですが、それでも複葉という辺りが、
過渡期の時代の機体、って感じではあります。
ちなみに展示の機体は、アポロ11号で2番目に月に降り立った宇宙飛行士、
オルドリンのお父さんがスタンダードオイル社の幹部だったころ、
社用機として購入させたものだそうな。
こっちは「旅客機の間」で天井からぶら下げられていたノースロップのアルファの後継機、
1932年初飛行の、その名もノースロップ ガンマ。
なぜかギリシャ文字の2番目、ベータは飛ばされたようです。
こちらも高速旅客機として開発されたようですが、
すでにDC-1とボーイング247の時代ですから、
やはりあまり売れず、航空郵便用の輸送機として使われた以外は、
爆撃機に改造されて各国に売られたそうな。
ちなみに、日本もBXN1の名前で1機購入してるとの事ですが詳細不明。
展示の機体は1935年11月に南極大陸横断(夏なのに注意)に挑戦して、
残り40qで燃料切れにより失敗した、ポーラスター号(Polar
star)。
…なんで南極横断飛行の機体の名前が北極星(Polar
star)なんでしょ。
まあ、英語では南極も北極もPolarですが、
南極星(あるのだ)の英語は単にSouth
starだったような。
最終的に横断飛行には失敗したものの、乗員2名は無事で歩いて脱出、
救助された後に、機体の回収にむかったのだとか。
でもって、なんでそんな機体がここに展示されてるのかは、不明です…。
どうやってもまともに写真が撮れなかった
カーチス ロビン オーレ ミス(Ole
Miss)号。
カーチス ロビンを改造して造った機体だそうで、これも1935年、
27日間の無着陸飛行記録を打ち立てた機体なのだとか。
当然、空中給油が前提ですが、
平行しながら飛ぶ飛行機から受け取ったのだそうな。
ちなみに、オーレ ミスはミシシッピ大学の別名のようですが、
詳細はよくわからず。
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