■さらに宇宙だ



さて、食事も終わったので、さっそく見学に戻ります。
食堂から戻って最初にある吹き抜けホール、「宇宙の間」の
床上展示を見てしまいましょう。



まずはハッブル宇宙望遠鏡の本体部分。
左右の太陽電池パネルは外されてます。

1990年4月から地球軌道上を回ってる人工衛星望遠鏡ですね。
あれ、となると2013年現在、すでに23年も経ってるのか。

展示のは地上テスト用に造られたもので、これまたホンモノです。
1993年に行なわれた、スペースシャトルによる軌道上での
修理作業に向けた地上訓練にも使われたとの事。
ちなみに宇宙での修理は全部で4回前後行なわれたはずなんですが、
これが訓練に使われたのは第1回のみのような感じですね。

前に来た時も見たはずなんですが、
改めてこんなに巨大だったのかと驚きました。
下の人と大きさを比べて見てください。
よくまあ、こんなのを宇宙空間までもって行くなあ。



1975年に行なわれた米ソ宇宙共同実験、
アポロ・ソユーズ試験計画(Apollo-Soyuz test project)における宇宙船。
これは後から造られた原寸大の模型らしいです。

左がアメリカのアポロ指令船で右側がソ連のソユーズ宇宙船です。
ちなみに、この時のアポロを18号と呼ぶことがありますが、
NASAの公式な呼称ではないようです。

冷戦真っ只中、米ソが宇宙の平和利用をうたって行なった、
多分に政治的な宇宙計画なのですが、
異なる国の管制センターが誘導した二つの宇宙船がドッキングしたのは
当然、初めてのことでした。

これもアポロ計画の残り機材が使われた計画で、
アメリカ側の宇宙船はアポロの指令船でした。
でもって、スカイラブとこの計画が終わったあと、
一時期アメリカには有人飛行のための
宇宙船打ち上げシステムが無くなってしまい、
1981年のスペースシャトルデビューまで、一人の宇宙飛行士も飛んでいません。

ここら辺り、スペースシャトルが引退した2013年現在の状況とよく似ており、
NASAはどうも有人宇宙船の開発計画が、あまり上手くないような…。



これも各地で御馴染み、第二次大戦末期のドイツのV2弾道ミサイル。
これまた真正16:9広角カメラのLX-7のみに許された構図で撮影。
縦置きにしてるのはロンドンの科学博物館と同じですが、
先端部を外して、かろうじて収めていたあちらとは違い、
完全な状態での展示になってます。

これ宇宙ちゃうやん、と思うかもしれませんが、
V2は宇宙空間の境目とされる100mkを超えてから落下、
地上めがけて突っ込んで行くため、宇宙ロケット、とも見なせるのです。

というか、あまり認識されてませんが、V2ミサイルは、
おそらく人類が始めて大気圏外に打ち上げた人工物じゃないでしょうか。

後に、これの開発責任者だったフォン・ブラウンがアメリカに移住、
(終戦間近に研究所を集団脱走してアメリカ軍に投降した)
そのチームがアメリカの宇宙開発計画を引っ張って行きます。

人類が行なった最大の計画にして、最高の成功例とされる
アポロ計画ですが、あれの成功の6割はブラウンを始めとするドイツ人の成果でしょう。
Me-109&110、そしてV-1飛行爆弾の機体設計者の、
ルッサーも品質管理担当として参加してますし、
(この時作られるのがルッサーの法則)
アメリカはドイツの知恵と組織管理で月まで行った、という面が小さくないのです。

電撃戦の時の軍の展開といい、ドイツの組織管理と運用、恐るべしですね。



その下にはアメリカが1944年10月に初めて打ち上げに成功した
観測用ロケット、WAC コーポラル(WAC Corporal)が。
液体燃料ロケットで、アメリカで初めて実用レベルに達したものらしいです。

ちなみに、WAC(ダブリュ エイ シー)コーポラルという名前、
直訳すると、陸軍婦人部隊伍長なんですが…。
どういうネーミングセンスなんでしょうね、これ(笑)。


NEXT