■次なる戦いへ
さて、書いてる本人も全く終わりが見えない航空宇宙館本館の戦いですが、
今回のルートはこんな感じになります。
とりあえず、2階の部分からしか入れないホール内の展示を片付けて、
東の端にあるアポロ月着陸船などの展示を見学、
そこから東の奥に位置する食堂でようやく食事を取って、最後に「宇宙の間」の
床上展示まで見てゆきます。
これでなんとか、全体の半分以上は見た、と言える状態になったはず…。
まずはスカイラブ、空の愛ではなく、
空の実験室(Sky
laboratoryの略でSKYLAB)の展示から。
1973年に打ち上げられたアメリカ最初の宇宙ステーションがこれです。
(世界初は1971年のソ連によるサリュートだった。
ただしこちらは帰還時に飛行士が全員死亡する悲劇に見舞われている)
でもってスカイラブは、アポロ計画の廃品利用という、
かなり変わった一面を持つ宇宙計画でした。
アポロ計画は17号の月着陸で終わりますが、
本来は20号まで計画があったのです。
最終的に予算の関係で20号、さらに18号と19号が
キャンセルとなってしまいます。
ところが、それらの機材はほとんど完成しており、
これらを流用して行なわれたのがスカイラブ計画でした。
まず、宇宙ステーションの本体部分が
アポロ計画に使われたサターンVロケットの
3段目部分を利用したものでしたし、
(ただしNASAの呼称はS-IVB
Stageで、4段目となってる)
そこに人員や機材を送り込む宇宙船も、アポロの指令船を使ってます。
上の模型でテッペン部分にドッキングしてるのがそれです。
(月着陸機を降ろして、その部分に機材を載せた)
そして、最初に宇宙ステーション本体を打ち上げたサターンVロケットも、
本来はアポロ18号に使われる予定だったものらしいです。
この計画の結果、宇宙からの太陽の観測をはじめ、
いろんなデータを収集できた、という事ですが、
結局、この計画は1973年から74年まで、
わずか1年で終わってしまい、最終的に宇宙ステーションも
1979年に地球に落下して失われています。
で、模型どころか現物まで展示してあるのがこの博物館のスゴイところ。
これは予備機として造られたもので、試作なのか、
打ち上げに失敗した場合の保険なのか、はたまた地上訓練用なのか
はっきりしませんが、宇宙にあったのと全く同じものらしいです。
よく見ると上下部分がサターンロケットの
3段目時代のまま、白黒塗装になってますね。
この展示そのものは例の「宇宙の間」にあるのですが、
中を見るには2階のバルコニー部分から入らないとなりません。
なので、今回の2階から見る残り物編で取り上げておきます。
2階部分から見るとこんな感じ。
日差しの関係で金色に見えてますが、実際は銀色です。
おそらく人工衛星の温度調整用包装と同じもので、
フィルムに薄い金属を貼り付けて、太陽の熱を電磁波のまま反射し、
内部が高温にならないようにするものだと思います。
中はこんな感じ。
実験室の名の通り、マネキンさんが実験してました。
表情からすると、あまり上手く行ってないようでしたが…。
こんな装備も。
純粋に無重力空間で筋力が落ちるのを防ぐためのものか、
なんらかの実験に使われたものかは不明。
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