■ジェットにロケットに宇宙である
さて、お次は第二次大戦中にアメリカが完成させた
最初のジェット戦闘機、ベルXP-59A エアラコメット。
P-59の先行試作型で3機ほど造られているようですね。
展示の機体はシリアルナンバー42-108784で、
1942年10月に最初に初飛行したXP-59です。
ちなみに1942年10月だと、大戦時の日本の戦闘機では、
疾風、紫電改などですら初飛行前…。
その段階から欧米ではジェット機の開発が本格化してたわけで、
なんとも絶望的な気分となるでヤンス。
ただし、これも歴史的な機体ではあるのですが、失敗作で(涙)、
当時のP-47などに対して明確な優位性が認められず、
結局、量産型のP-59は66機だけ造られて製造打ち切りとなりました。
この中途半端な生産数もちょっと謎で、実験機として割り切ったにしては多すぎ、
多少なりとも戦力にしようとしたなら少なすぎます。
ついウッカリ生産しちゃったんでしょうかねえ…。
それでも当時のヨーロッパのジェット機が全てエンジンをポッドに入れて
胴体外部に置いていたのに対し、この機体は胴体内部にエンジンを取り込む、
という斬新な設計であり、さらに胴体両脇に空気取り入れ口がある、
というのも10年は時代を先取りしていた、と考えていいでしょう。
失敗の理由の7割くらいは、ゼネラルエレクトリック社製の
アメリカンなジェットエンジン、J31のパワー不足が要因だったと思います。
それでもこの結果、ベル社は陸軍航空軍、後の空軍から干されてしまい、
しばらく食いつなぐために、先に見た実験機、X-1などを造っていたわけです。
もっとも後にヘリコプターで大当たりを取ることになるわけですが…。
ちなみに展示の機体も、これ以上試験してもムダ、と思われたのか、
59時間55分だけの飛行で退役となり、放って置かれていたのを
スミソニアンが戦後に譲り受けたものらしいです。
ついでに、この機体も1974〜76年の第一次レストア組の一つですね。
一部で有名かつ人気の高高度実験機、
1959年に初飛行したノースアメリカン社のX-15。
真正広角16:9カメラでのみ可能な構図で撮影してみました。
当初は超高速実験機として計画され、実際に
時速7274q、マッハ6.72(高度30,500m)の航空機最高速度記録を持つため、
高速実験機の印象が強い機体となっています。
ついでにノースアメリカン社はF-86でアメリカで最初に後退翼を取り入れ、
A-5ヴィジランテでマッハ2の超音速爆撃機を実現、
さらには不採用になったものの、XB-70という超音速戦略爆撃機まで
開発しており、高速機ならこのメーカーという印象が強いですね。
が、このX-15の飛行試験では最終的に超高高度飛行、
つまり限りなく宇宙空間に近い高度、さらには宇宙空間までもの
飛行データを集めるのが目的とされていました。
そうなると当然、これもロケット推進で、ジェット機ではありません。
燃料が尽きた後は、グライダーのように滑空しながら戻ってきます。
なので機体の運用はアメリカ空軍によりますが、
尾翼に書いてあるように、NASAも実験計画に絡んでいます。
実際、飛行試験では2回(1962年と63年)、大気圏と地球の境界とされる
高度100q越えに成功しており、おそらく翼のある乗り物で、
宇宙空間に到達した最初の機体となっています。
よって限りなく航空機に近い宇宙船、という見方も可能で、
実際、最近のアメリカの関連資料では、
宇宙船に分類されてることも多いです。
先に見たスペースシップ ワンもこの機体から大きく影響を受けており、
空中で母機から発射し、機体のロケットモーターでひたすら上昇、
あとは滑空で帰ってくる、といった運用はX-15そのまんまですね。
やや正面から。
機首先端部の横に穴が二つ見えますが、あそこからの噴射で、
大気の薄い高高度では機首の向きを調整してました。
X-15は10年に渡って実験が続けられた、X
planes の中でも息の長い機体で、
199回もの飛行テストを行なっています。
1968年11月に200回目の実験も当初は予定されていたのですが、
理由は不明ながら直前でキャンセル、そのまま引退となったようです。
全部で3機が造られてるのですが、1967年に1機が事故で失われており、
(テストパイロットも死亡)現存するのは2機のみです。
残りのもう1機は、以前にアメリカ空軍博物館で見ましたね。
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