■セントルイスの酒ではない
これまた歴史的な機体、あのリンドバーグが1927年5月に、
ニューヨーク〜パリの間において初めて無着陸飛行を成功させた
スピリット オブ セントルイス号です。
これもアチコチに展示がある機体ですが、ここに展示されてるのがホンモノ。
彼の記録飛行のために1機だけ造られた機体ですから、
他の機体は全てレプリカです。
ただし、この機体もプロペラスピナーだけはレプリカで、
それはなぜかはまた後で説明します。
ちなみに、2011年の旅行記の中で訪れた
パリ郊外、航空博物館のあるル・ブルジェ(Le
Bourget)空港が
リンドバーグが到着した空港なんですが、現地には何の記念碑も説明もなかった、
というのは既に説明したとおりです(笑)。
そのロンドン旅行記でも書きましたが単純な大西洋横断なら、
すでにイギリス空軍がヴィッカース ヴァイミー 重爆撃機(Vickers
VIMY)で
カナダのニューファンド島からアイルランドまでの飛行を
1919年には既に成功させてました。
よってリンドバーグはアメリカ本土からフランス本土までの飛行を
初めて成功させたのだ、という事になります。
(ただし単独飛行としても初だが、たまたまに近い。
リンドバーグは重量的に不利という理由で一人で飛んだに過ぎない)
もともとは一介の航空郵便のパイロットに過ぎなかったリンドバーグが
ニューヨーク〜パリ間の飛行を成功させて、
一躍、アメリカの新しいヒーローになってしまうのですが、
これもアメリカらしいオーティング賞(Orteig
Prize)の獲得が目的でした。
ニューヨークの富豪、オーティングが設けた懸賞で、
最初にニューヨーク〜パリ間を無着陸飛行した飛行機に
25000ドルの懸賞金を支払う、というものです。
参考までに消費者物価指数(CPI)で比較すると、
当時と2013年の差がざっと13.5倍、となると現在の金額で約34万ドルで、
ざっと3200万円前後、というところでしょうか。
意外に安いな(笑)。
それでもリンドバークは機体は15000ドルで調達できる、
と見積もっていたので、十分に割があう金額だったようです。
ちなみに彼は当初、別の機体を入手しようとしたのですが、
条件が折り合わずに破談となり、
カリフォルニアのサンディエゴにあった航空機メーカー、
ほとんど無名だったライアン社に設計を依頼します。
その結果つくられたのがこのスピリット オブ セントルイス(Spirit
of
St.Louis)、
セントルイス魂号で、この名前は計画のスポンサーとなった
セントルイスの有志たちの希望でつけられたものです。
(リンドバーグはシカゴ〜セントルイス間の郵便パイロットだった)
ちなみに価格は10,580ドルと格安と言っていい値段で、
どうもこの値段が決め手となってライアン社に発注した感じですね。
ついでに、この懸賞には多くの有名なパイロット、
航空関係の会社が参加しており、リンドバーグは成功するまで、
新聞などでもほとんど無視されてるような存在でした。
よく知られているように、とにかく燃料タンクを積み込んだため、
コクピットの前方は塞がれてしまい、窓はこの横のドアのものだけでした。
それで十分、と彼は言っており、実際なんの問題も起きてないようです。
ただし、あまり知られてませんが、実は上、天井には窓があり、
最低でも星を見て方角を確認できるようにしてました。
もっとも、平らな普通の窓であり、さらに開けることもできないようで、
水平線が見えない以上、天体観測による位置の計測は無理でしょう。
実際、彼は天体観測から位置を計測する六分儀を持って行ってません。
ついでに、よく見ると機首部にいろんな国旗が書き込まれてますが、
これは横断飛行に成功した後、各国を親善訪問した時の記念のようです。
余談ながら、リンドバーグは変人でした(笑)。
気難しい人物で、奇行も多かったとされます。
そもそもアメリカ人がキライだとして、かなり長い間、
イギリスとフランスの田舎でひっそりと暮らしていた時期もあります。
ナチスドイツに共感を寄せていたのもよく知られていますし、
彼の子供が誘拐されて殺された事件は、
未だにリンドバーグ自身の自作自演ではないか、と疑う人が少なくありません。
まあ、そういう人なのです。
ちなみに第二次大戦時にアメリカが参戦すると、
ナチスの事は忘れて、陸軍の航空部隊に協力しています。
プレーンズ・オブ・フェイムにある飛行可能なゼロ戦52型の
アメリカ軍による飛行記録によれば、大戦中、
リンドバーグが試験操縦した、という記録も残ってるそうです。
ちなみに、1927年の飛行の記録は
「翼よあれがパリの灯だ」のタイトルで知られますが、
飛行から30年近く経った1953年にようやく出版されたものでした。
なんでこんな時期に出したのかはよくわかりません。
ついでに映画化もされましたが、記録的な大赤字に終わってます。
ただし、本の内容はキチンとしたもので、
十分、読む価値があると思いますが、
この中で不思議な描写が出てきます。
この時の飛行は天候待ちの結果、突然、決行されることになり、
その結果、彼は前日からほとんど眠らずに飛ぶことになります。
そのため33時間の単独飛行は睡魔との闘いになるのですが、
途中からは完全に幻覚状態にあったらしく、
不思議な幽霊のような存在がコクピットに溢れるのを感じながら、
彼らと一緒に飛び続ける、という描写が続くのです。
彼の飛行はせいぜい3000m以下ですから、酸素不足の可能性は低く、
おそらく過度の疲労によるものでしょうが、実は似たような描写が、
高山で遭難、奇跡的に生還した人の手記に多く見られます。
山岳遭難した人の多くの手記に、自分の周辺(上である事が多い)に
なにか不思議な存在を感じて、それが話しかけてくる、
という描写がよく出てくるのです。
両者とも疲労に脳が耐え切れなくなった結果の幻覚だと思いますが、
いわゆるシャーマン(セム語圏では預言者)の皆さんが聞く神の声ってのは
意外にこういったものじゃないか、とも思ったりします。
さらに余談ながら、有名な「翼よあれがパリの灯だ」というタイトルですが、
これは日本語版の翻訳者がつけたもので、
原著のタイトルは単純に機体の名前、THE SPIRIT OF
St.
LOUISでした。
名訳といっていい邦題ですが、勘違いの元にもなっており、
これがリンドバーグの発言だと思ってる日本人は少なくないでしょう。
実際は彼はそんな発言をしたことはありませんし、
そういった表現を使ったこともないのです。
さらに余談ながら、日本語によるこの本の出版は私が知る限り2回、
行なわれていますが、実はどちらもダイジェスト、要約版からの翻訳です。
私も日本語でしか読んでませんが、面白い本なので、
だれか完全版、出しません(笑)?
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