■魚雷と奴隷市場と
その先にあったこの小さな建物が観光案内所、Visitor
center です。
これも由緒ある建物らしいのですが、ギリギリまだ開館前の時間で、中には入れず。
その先にあったスターバックスもオシャレ。
朝から営業してるようで、少し寄って行こうかとも思ったんですが、
今日はいろいろあって先を急ぐので、ここはパス。
その先でポトマック川に出ました。
ここからワシントンD.C.の南側にあるジェファーソンメモリアルまで行く
定期フェリーがある、と聞いていたので、
もし可能なら利用しようと思っていたものの、時間をみたら始発が午前10時半。
まだ1時間半近く先で、さすがにそこまで待てないので、これはあきらめる。
先に述べた岩倉使節団がみた砲台要塞は、この辺りだったと思うんですが、
それらしき痕跡は全く見られず。
さらに、ここがアレクサンドリアの河川港(DOCK)
のあった場所と思われるのですが、
そこら辺りの標識もなく、これまた断言はできませぬ。
日本もそうですが、19世紀に鉄道が本格普及するまで、
河川は最大の物流の動脈であり、港がある街は大変な賑わいを見せました。
どうも英語で河川の港はドック(DOCK)と呼ぶようで、
ロンドンのテームズ川の貨物港もドックでしたし、
ホテルの最寄り駅のブラッドドック ロードの名前も、かつての河川港に至る道、
といった意味だと思われます。
このアレクサンドリアの街もその河川港で賑わった場所で、
その最大の“商品”の一つが黒人奴隷だったわけです。
現地のパンフレットだと微妙にそこら辺りの説明、ごまかされてますけど(笑)。
ちなみに、アレクサンドリアという名前の街は、
通常、マケドニアの暴れん坊将軍ことアレクサンドロスIII世大王(紀元前323年没)が
その東への征服戦争の過程で造った殖民都市の名前です。
その内、エジプトのアレクサンドリアなど、いくつかは21世紀現在も現存してます。
が、17世紀に入植が始まった街でアレクサンドリアとはこれいかに、という感じです。
実は紀元前300年ごろ、アレクサンドロス大王がクロールで大西洋を単独遊泳横断、
アメリカ大陸に上陸していた事を証明する遺跡でも見つかったのか、と思って調べてみたら、
この街を造ったスコットランド人の名前がアレクサンダーさんで、
彼を記念した名前なんだから、当然、アレクサンドリアだよね、
とい事になったんだそうな。
ちなみにギリシャ文字でアレクサンドリアの綴りを知らないので
断言はしませんが、これも女性名詞っぽいなあ。
そこにあったアレクサンドリアの歴史年表。
先住民による紀元前4000年前の侵入から始まってますが
(ポトマック川で石器に使われた石英や水晶が取れたらしい)
実質は1669年、当時ここを勝手に(笑)領有していたウェールズ人の冒険家から、
例のアレクサンダーさんが土地を買い上げ、入植を開始したのが始まりでしょう。
以後、この周辺における中心的な街になって行ったようです。
その先のなんだかオシャレな建物は、
魚雷工場芸術センター(Torpedo factory art
center)という、妙な名前で、
なんじゃそりゃ、と思ったら、かつての魚雷工場の建物を改造、
芸術家の活動拠点にしてしまった施設なんだとか。
80を超える芸術家のスタジオ、6つの展示室、さらに売店までがあり、
この一帯における最大の芸術活動の拠点になってるそうな。
中には考古学博物館もあるそうで、これはちょっと見たかったのですが、
これまた開館前で、あと1時間近く待つ必要がありにけり。
さすがにそんなに待てないので、これも見学をあきらめる…。
うーん、これはちょっと見ておきたかったですねえ…。
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