■アメリカ軍と宇宙



さて、今回も引き続き宇宙の館の紹介です。

入り口から見ると中央部がスペースシャトル関係、左がアポロなどの宇宙計画の展示で、
そこまでは既に紹介しましたね。
今回は向って右側、軍事関係を見て行きます。
ただし宇宙兵器だけではなく、ロケット、ミサイルといったものまで含まれてるんですが。

まずは入り口を入ると左右に仁王像のごとく立っている弾道ミサイルたちから。



入り口から振り返って左側に展示されている、陸軍のコーポラル ミサイル。
ちなみに航空宇宙本館で見た実験ロケットの名前もCorporalでしたから、
伍長が好きで好きでたまらんのでしょうか、アメリカ人。

とりあえず地球上では空気抵抗があるので、
水平線のはるか先、見えないような距離の目標に攻撃を加えよう、と思ったら、
大きな放物線の軌道で、そこまで弾を送り込む必要があります。
(空気抵抗が無いなら、重力と吊り合うだけの遠心力が生じる速度で
砲弾を水平に撃ち出すだけで水平線の向こうまで飛んでゆく)

ただし、火薬で撃ち出す火砲の力ではせいぜい
40〜60q先まで飛ばすのが限界なので、それ以上の距離から攻撃するため
弾頭にロケットをつけて長距離の放物線飛行を可能にしたのが弾道ミサイルです。
英語だとBallistic Missile、BMと呼ばれてます。
これに誘導装置を付ければ風の影響でズレた軌道を飛行中に修正でき、
その命中率も上げられるわけで良いことずくめとなるのです(実際はそう単純ではないが)。

これらBMはドイツのV-2が元祖であり、数百qの射程距離のものから、
地球の裏側まで届く大陸弾道ミサイルまで、さまざまなものがあります。
ちなみに大陸間弾道ミサイル、いわゆるICBMは
大陸間Inter Continental な弾道ミサイル(BM)なのでICBMと呼ばれます。

これは射程距離が伸びると宇宙ロケットと同じ軌道を飛ぶため、
宇宙開発と弾道ミサイルの開発は常に一緒となっていたわけです。
(大気圏外で地球周回軌道に乗せれば空気抵抗がないので慣性でどこまでも飛べる)

で、アメリカ初の弾道ミサイルがこれでした。
1944年から開発が始まった短距離弾道ミサイルですが、
実はその射程は135q前後に過ぎません。
これはドイツのV2よりも能力的に劣っており、
しかも開発に手間取った結果、部隊配備は実に1954年になってしまいました。

でもってソ連の人類初の人工衛星、スプートニクの打ち上げが
1957年10月だったのを思い出してください。
すなわちアメリカが135q程度の距離しか届かない弾道ミサイルで苦労してた時代に、
ソ連は地球のどこにでも届く、周回軌道に乗せられるロケット、
すなわちミサイル技術を持っているのだ、と世界に示したわけです。
衛星を核弾頭に置き換え、大気圏再突入の装置さえつけてやれば、
まさに世界中を核攻撃可能になるわけで、
当時のアメリカ軍関係者がいかにショックを受けたか理解できるでしょう。
(実際スプートニクのロケットは弾道ミサイルの転用だったが、
実はソ連は大陸弾道ミサイルの技術をまだ完成できていなかった)

ちなみにアメリカが大陸弾道ミサイル、ICBMを手に入れるのは、
1959年のアトラスミサイルからとなります。

とりあえずコーポラルミサイルに話を戻すと、核弾頭も詰めたらしいので、
おそらく陸軍としては戦術核兵器として使う気だったんでしょうかね。
ただし14mもある、この巨大なミサイルをエッホエッホと現地に持っていって撃つくらいなら、
空軍か海軍艦載機に任せてしまったほうがいいような。
そもそも前線から135qも奥の戦術目標を陸軍だけで発見、攻撃は不可能でしょう。

まあ、いろんな意味でよくわからん弾道ミサイルですが、
アメリカ陸軍だけでなく、イギリスとイタリアでも運用され、
最終的に1966年ごろ、引退したようです。



こちらは入り口右側に展示されてる、レッドストーン ミサイル(PGM-11)。
こちらも陸軍の開発ですが、ドイツから強行投降して来た
フォン・ブラウンのチームが開発していたミサイルです。

でもって、これは航空宇宙本館で見たアメリカ最初の宇宙ロケット、
1958年1月に打ち上げられたジュピターCロケットの原型となったミサイルでもあります。
1957年10月のスプートニクにショックを受けたアメリカが
急遽打ち上げたあれですね。

さらにアメリカ初の有人宇宙飛行計画、マーキュリー計画で使われた
ロケットの一つ、レッドストーンはまさにこれの改良型でした。
最初の二回の弾道飛行はレッドストーン ロケットで打ち上げられてますから、
この弾道ミサイルがアメリカの宇宙開発を切り開いた、と言っても過言ではないでしょう。
かように弾道ミサイルと宇宙開発は密接に関係してるわけです。

とはいえ、そんなの当時の一般民間人が知るわけでないですから、
日本における初期の宇宙開発で、当時の社会党が要らんツッコミを入れてたのは
あれ、ソ連の入れ知恵と金の力だろうなあ。

で、レッドストーンミサイルそのものはブラウン率いるドイツ脱出チームの元、
1953年に初飛行したものの、やはりその後の開発に手こずって、
部隊配備は1958年、ジュピターCロケットの打ち上げ成功後になります。

が、21mとより大型なミサイルながら、これまた射程距離はせいぜい400qが限界で、
ヨーロッパの国境沿いに気休めに配備しておく、という程度のものに過ぎません。
つーか、ブラウン、V-2からほとんど進化して無いじゃん(涙)…。

さらに取り扱いが面倒な液体ロケットという事もあって、
1964年には早くも引退してしまいます。

ちなみにスミソニアンの解説ではアメリカの宇宙開発技術の基礎を造った
歴史的なミサイル、としながら、ドイツの技術どころか
フォン・ブラウンのフォの字すら出てきません(笑)。
ああ、どこの国でもこういった辺りは共通だなあ、と思ったり。



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