■エンジンが猿人と円陣を



お次も第二次大戦期の水冷エンジン。
一見すると本館で見たドイツのDBシリーズと思ってしまいますが、
これはDB601Aを日本でライセンス生産した愛知航空のアツタ 31型で、
先に見た晴嵐につまれていたエンジンです。

ただし、日本側の資料を見る限り晴嵐の搭載エンジンは32型とされており、
31というのは表記ミスなのか、
何かまだ知られてない秘密があるのかよくわかりませぬ。

ちなみにこれは海軍型で、同じドイツのDBエンジンは陸軍でも採用、
これはハ40と呼ばれていました。
とりあえずドイツの技術をモノにできなかった日本の工業力の例として、
よく上げられるのがこのアツタとハ40となってますね(笑)。

アツタは戦争全期を通じて1800基以下しか生産できなかったと見られ、
万単位で生産されたエンジンが団体で飛んでくる
アメリカはもちろん、ドイツ本国とも比べ物にならない数でしかありません。
ただし意外に製品の品質は悪くなかったという話もありますが、
ここら辺りは具体的な数字のデータで見た事がないのでなんとも言えませぬ。

ついでに、無塗装なのも気になるところで、
アメリカ軍が接収後に塗装を剥いだとは考えにくく、、
となると、熱対策としてはかなりお粗末です。
エンジンの熱は、周囲の空気に伝導させるだけでなく、
電磁波(赤外線など)の形で外部に放射する必要があります。

通常の金属表面のままだと、この熱放射効率がかなり悪く、
このため、高出力の軍用レシプロエンジンでは
表面に塗装が行なわれるのが普通となってます。

これが必要ない程度の運転しか想定してなかったのか、
そんな事もできないほど追い込まれていたのか、
はたまた何も考えてなかったのか(笑)、よくわかりませんが…。



こちらはアメリカン空冷ハイパワーエンジンの代表、
ライト サイクロン R-3350…と思ったんですが、
解説板を見るとGR-3350と書いてあるじゃないですか。

“G”R-3350ってなんだ、と思って
解説板を見ても普通のR-3350としての説明しかなく、
帰国後に調べてみても正体が不明です。
単なる誤表記かなあ…。

とりあえず、普通のR-3350として説明すると(笑)、
もともとは陸軍の長距離爆撃機用(後のB-29)に開発された
大型の星型空冷エンジンで、
18気筒で2200馬力の出力(仕事率)を持っていました。
ただし、あまりに完成を急いだため、初期には事故が続出、
初期のB-29の運用において、
ほとんど殺人エンジンと言う感じになってしまいます。

が、後に技術的な熟成が進むと、安定した高馬力エンジンとなり、
戦後にはDC-7や、先に見たスーパーコニーこと
ロッキード スーパー コンステレーションなどの旅客機にも使わてます。

ちなみに、先に説明した排気タービンを回して出力の一部にする
ターボコンパウンド方式は、このエンジンで実用化されており、
一部の旅客機などで使われていました。
展示のものは普通のもので、そういった装備は付いてませんが。




お次はちょっと時代が戻って、ネイピア社のライオン エンジン。
先に説明したように、ネイピアはイギリスのエンジンメーカーで、
彼らの初期のヒット作がこのライオンエンジンとなります。

第一次世界大戦末期に開発が始まったエンジンですが、
最後は1930年代まで使われていたようです。

ちなみに通常は500馬力(HP)前後のエンジンなんですが、
レース用に改造されたものは1000馬力近くまでパワーアップされ、
有名な水上機レース、シュナイダートロフィーでも使用されてます。



こちらも1920年代のイギリス製傑作エンジン、ブリストルのジュピター。
後の空冷星型エンジンのお手本となり、
日本でもこれをラインセンス生産してました。

エンジン手前に張り付いてるタコの脚のようなのは排気管です。
給排気で各2つの弁があるのがブリストルの特徴のため、
こういった構造になってるらいしのですが、
なぜ全部を中心部に集める必要があるのかは、よくわかりませぬ…。


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