■それでも宇宙へ行くぜ
マーキュリーカプセル 15B フリーダム7
II
というベラボーに長い名前の宇宙船。
未使用で地上に残されていたもので、キレイな状態のままの機体です。
これは本館の宇宙船のように、
全身プラスチックケース入りではないので、細部がよく見れます。
なんだかお弁当の醤油入れに似てるよな、とも思ったり…。
で、これはその名の通りマーキュリー計画の宇宙船で、
ガラス張りになってる部分は本来ハッチがあったところ。
ここからわずかながらコクピットが覗けます。
右端のマヨネーズのフタみたいな部分はパラシュート収納部で、
通常、地球に帰還した後は失われてるパーツです。
マーキュリー計画では最後に長距離飛行をもう一回やる予定で、
そこで使われるはずだったのがこの機体でした。
アラン・シェパードが搭乗して飛ぶ、
というところまで決まっていたらしいのですが、
次のジェミニ計画を急ぐことになって、急遽計画がキャンセルされたのだとか。
このフリーダム7 II という、名前は彼の最初のマーキュリー宇宙船、
フリーダム7にちなむようですね。
シェパードはアメリカ初の宇宙飛行士ですが、それは弾道軌道飛行、
例えるなら大砲でドーンと大気圏外にカプセルを打ち出し、
そのまま落下してきただけで、地球周回をしてません。
この飛行で彼もようやく地球周回ができるぜ、と思った矢先の中止だけに、
シェパードの無念は相当なものだったでしょう。
結局、彼はジェミニ計画で地上要員を勤めた後、
最終的にアポロ計画で宇宙飛行士として復帰、
当初は13号に搭乗を予定されてました。
が、このタイミングでメニエール(内リンパ水腫)病という
珍しい耳の病気にかかってしまいます。
これでまたお流れか、と思われたのですが当時の最新療法で手術を受け、
ギリギリのタイミングで復帰しまうのです。
しかし訓練不足から彼は14号のクルーと飛行計画を交換し、
(なにせ古参で権力はあったのだ(笑))
この結果、あの13号の事故を回避、無事月に降り立ってしまうのです。
ちなみにシェパードの47歳での宇宙飛行と月到達は当時の最高齢記録で、
宇宙飛行は後にあっさり記録を突破されるものの、月着陸に関しては
おそらく今後もしばらくは破られないでしょう(笑)。
(ついでにマーキュリーセブンのメンバーで月に立ったのは彼だけ)
ちなみに、最高年齢記録は、同じマーキュリーセブンの一人、
選抜後に病気が発覚して飛べなくなったスレイトンが、1975年のスカイラブで
51歳という当時の最年長宇宙飛行士記録を達成、シェパードの記録を破ります。
が、これをさらに1998年に、これまたマーキュリーセブンの
ジョン・グレンが77歳で再度更新してしまうのです。
この結果、なぜかアメリカ初の宇宙飛行士たちである彼らが常に
最高年齢記録更新に関わって来る、という不思議な状況になってます。
こちらはジェミニ計画の宇宙船、ジェミニ
VII(7)の大気圏突入カプセル部。
1965年の12月に打ち上げられたもので、
右側に見えてるのは、例のパラシュートのフタでしょう。
飛行中のジェミニ宇宙船は、この後部に酸素や燃料を積んだ
本体部分があるのですが、
それらは大気圏突入前に切り離してしまい、後に落下して燃え尽きます。
この機体にはボーマンとラヴルの2人が乗り込み、
当時の最長記録となる14日の宇宙滞在、
そして後から打ち上げられたジェミニVI(6)-Aと
世界初の宇宙船によるランデブー飛行(2機のジェミニによる平行飛行)
を成功させた機体だそうな。
ただし14日の滞在のほうは当時の世界記録なのか、
単なるアメリカ記録なのかはっきりせず。
この時期だとまだソ連が宇宙開発で先を行ってますからね。
ちなみに、ソ連&ロシアの宇宙飛行士には
宇宙滞在1年を超える、という連中が4人も居ます。
(ただし内2人は数時間足りなくて(笑)、364.9日とされるが)
ついでながらジェミニ(ふたご座)計画という命名は、
一人乗りだったマーキューリー計画に対し、
二人の乗組員が並んで座る宇宙船に進化したからだそうな。
そのジェミニ計画は、すでに決定されていた月着陸、アポロ計画のために、
絶対必須の技術の研究が主目的だったため、
複数の乗組員による飛行、ランデブー、ドッキングといったテストが
次々と行なわれたようです。
この展示では比較的よく機内が見えました。
ちなみにジェミニのカプセルは左右の乗組員の頭の上、
それぞれにハッチがある、つまりハッチが二つという変わった構造になってます。
なんとなく戦闘機っぽい感じですが、外に出るのは一苦労でしょう。
おそらく一人乗りのマーキュリーと比べ
最大直径で40cmしか大きくなってないのに、
乗員を倍にしてしまったため、位置的にこれしかなかったのだと思われます。
しかし、この狭い機内で14日間も野郎どうしで
カンヅメってのは地獄のような…。
普通、軽いノイローゼになるんじゃないでしょうか。
ついでにこれ、エコノミークラス症候群とか大丈夫だったのか、
という辺りも心配だったり(笑)。
ジェミニ宇宙船の大気圏突入カプセルで使われていた耐熱シールド。
これは未使用のものみたいです。
スペースシャトルの所で説明したように、
わざと抵抗の大きいお椀型(Dish
shaped)として、
大気圏突入時に、盛大に離脱衝撃波を発生させるのを狙ってます。
これは、位置エネルギーを落下速度に変換せず、
衝撃波背後の圧縮空気による熱エネルギーに変換、減速するのが目的です。
ここら辺りは、おそらくソ連も同じなんですが、もともとは大陸間弾道ミサイル、
ICBMが宇宙空間から地表に向けて再突入する際に弾頭(核爆弾だ)を
保護するために開発された技術でした。
実際、弾道ミサイルと宇宙ロケットはまさにジェミニ、双子でして、
どっちが先というわけでもなく、同時進行で開発されていました。
宇宙ロケット技術だけを開発して、兵器に転用していない国家は
世界広しと言えど日本ぐらいなもので、この点は誇っていいと思いますよ。
ただし、そのおかげで日本の初期のロケットは兵器転用の恐れがある、
というタチの悪いクレーマーからの因縁みたいな政治的理由で、
飛行中の制御装置が無いものにされてしまいました。
つまり最初の打ち上げの後から、
風で少しでも方向が変わってしまったらオシマイ、という
ドイツのV2ロケット以下のシロモノにされてしまったわけです。
日本初の人工衛星、おおすみが、わが目を疑うような
ヘンテコな周回軌道を飛んだ理由が、これです。
ちなみにジェミニの場合、大気圏突入速度は27500km/h、
1時間半で赤道上を一周してしまう速度となっていましたから、
そりゃもう盛大な衝撃波が発生し、このシールドは熱で表面が蒸発(気化)して、
その温度を奪い、カプセル本体を熱から守る事になるわけです。
なんじゃこりゃ、という感じですがマーキュリーセブンの一人、
ジョン・グレンが使っていた訓練用の座席。
なにせアメリカ人も協力者のドイツ人も、まだ宇宙に行ったことがなかったので、
7G、地上の重力の7倍近いと見積もられていた発射時、大気圏突入時の負荷力(G)
に人間がどこまで耐えられるか、やってみないとわからない、という世界でした。
ほとんどジェット機によるアクロバット飛行時に近い負荷が
長時間かかる可能性があったわけですから。
このため、それを受け止めるパイロットの座席はキチンとその体を固定できるよう、
一人一人の体型に合わせて、造られていたのだそうな。
これはその訓練用のもので、実際のマーキュリー宇宙船の座席も
こんな感じだったのだとか。
ちなみに、この専用座席がいつまで作られていたのかよくわかりませんが、
少なくともアポロ計画(=スカイラブ計画)の宇宙船までは
7Gの負荷がかかってましたから、
おそらく何らかの対策があったのではないでしょうか。
でもって意外に知られてませんが、スペースシャトルはこの点、
極めて人にやさしい宇宙船となっており(笑)、
数分間、最大3Gを超える程度といわれており、これは遊園地のジェットコースターでも
瞬間的にはかかるレベルの力に過ぎません。
なので公開されてる映像を見ていても、飛行士たちが極めて
リラックスして座っているのがわかります。
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