■そこからさらにイロイロに



そのフランスの傑作戦闘機、スパッド(SPAD)がここにもあったか…
と思ったんですが、よくよく解説板をみると、
SPAD XVI(16)と書いてある。

16?スパッドってのは傑作機 S.VII(7)とXIII(13)しか聞いたことないぞ、
と思って解説を読んで見ると、S.VII(7)とXIII(13)の複座型なんだそうな。
なるほど、言われてみれば後ろ向きの機銃が見えてますね。

あれま、そんなのがあったのか、と初めて知ったのですが、
これまた1000機以上が造られてるそうで、スパッド恐るべし、でしょうか。



お次は、アメリカが第一次大戦の時、なんとかそれなりの形に出来た機体、
カーチスJN-4、通称ジェニー(Jenny)。
といっても、あくまで練習機なのですが、この時代に6000機を越える数が造られ、
後のアメリカのエアパワーの芽生えを感じさせる機体となりました。

しかも戦後、不要になった機体が大量に民間に放出され、
これらが多くの民間パイロットを生み出すとともに、
それを使った航空郵便の発展のきっかけともなった機体です。

とりあえず、第一次大戦時のアメリカを象徴する機体でしょうね。



こちらもカーチスで水上機のN-9H。
上のJN-4カ“ジェニー”の水上機型で、海軍の操縦訓練に使われたもの。

フロートがついたほか、機体正面、
プロペラの後ろにあるはずのラジエターが消えてます。
おそらく、操縦席前の変な長細い箱が、移動したラジエターだと思われますが、
例によって詳細は不明です、はい。
塩水の付着を嫌ったんでしょうか。

と、ここまでが第一次世界大戦の時の機体となります。



こちらは大戦後にフランスで作られた機体、1919年製のファルマン スポート(Suport)。
1919年の機体にしてはあまりに手作り感が溢れてますが、
民間用の手軽な小型機として開発され、アメリカにも輸入されたものらしいです。



これは戦後1926年ごろから海軍で運用された戦闘機、
ボーイングのFB-5 ホーク。
よく見ると、豪快に下方向に突き出したラジエターが印象的な機体です。

大戦から数年経って、ようやくアメリカが自国製の戦闘機を装備し始めた時代のもので、
ほぼ同じ機体が1925年ごろから陸軍でもPW-9の名前で使われていました。
この時代は、問題なく、仲良く陸軍(空軍)と海軍で、
同じ機体を使っていたんですよね(笑)。

この展示の機体は、アメリカ最初の空母、
USSラングレーに搭載されていたものだとか。
ちなみに、このラングレーは今回の記事の最初に登場した、
あのスミソニアンのラングレーにちなむ名前です。
俺たちがアメリカのホンモノの空の軍隊なのさ、
という自負がチラリと見えますね、このネーミング。

ただし海軍は空母USSキティホーク(ライト兄弟初飛行の地)を
後に建造したものの、未だにUSSライト・ブラザースなる船はありません。

もしかすると、空軍が先にライト・パターソン基地で名前を使ってしまったから?
あるいは海軍でもライト兄弟、嫌われ者だったのか?

余談ながら空母USSキティホークは退役時には横須賀に居た艦で、
前にもチラッと書きましたが、当時アメリカ海軍で2番目に古かった軍艦でした。
で、最も古いのは例のボストンで見た帆船USSコンスティチューションですから、
事実上の最古参のアメリカ軍艦が日本に居たわけです。


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