■日本の皆さん
さて、お次はいよいよ日本機の紹介に。
いわゆる有名機、ゼロ戦だ、隼だというのは無いのですが、
これまた世界中でここにしかない、という機体ばかりなので、
貴重なものとなっております。
ただし私は日本機はよく知らないので、まあ、軽く行きましょう。
最初は、その中では有名どころと言える、
海軍の戦闘機、川西 N1K2-Ja
紫電改。
この機体の最大の問題は名前がよくわからないところで(笑)、
紫電21型、1号局地戦闘機改、紫電改、N1K2-Jとまあ、
いろんな名前が出てくる出てくる。
これをキチンと考えると、そもそも正式名称とはなにか、
といった問題になり、収集がつかなくなるので、
この記事では紫電改で統一しておきましょう。
で、ゼロ戦と後で見る“特殊な機体”を別にすれば、
もっともよく現存機に恵まれてる日本機が
この紫電改でして、アメリカに3機生き残ってます。
まずは以前に見たアメリカ空軍博物館のもの、このスミソニアンの機体、
そしてフロリダにある海軍航空博物館のものですね。
さらにほぼ残骸といっていいですが、日本の愛媛県にも1機残ってます。
ただし、なにせ日本機、アメリカではあまり人気が無く、
この機体は1983年まで屋外で雨ざらしで放っておかれたため、
ほとんど残骸に近い状態からのレストアになってます。
あまりオリジナリティとかは期待しない方がいいでしょうね。
とはいえ、この機体は一部で有名であり、私は大嫌いな(笑)、
343空、いわゆる剣部隊の生き残りです。
終戦後の1945年10月、長崎の大村基地から接収されたようで、
そういった意味ではそれなりに歴史ある機体となっています。
反対側からの写真も載せときましょう。
とりあえず大戦後半に日本の2000馬力級エンジンの戦闘機として登場したのが、
この紫電改ですが、初飛行が1943年12月31日の大晦日、
実戦配備は実に1945年の2月からでした。
言うまでも無く、すでに各国の主力戦闘機は
ジェット機に置き換えられる準備に入ってた段階ですね(涙)。
そして総生産数はざっと400機前後。
これが戦争にどういった影響があったのか、といったら
まあなんともはや…でして、ここら辺りについて書くことは何もありませぬ。
こちらは陸軍の双発戦闘機、キ−45改 丙、屠龍(とりゅう)。
この機体もいろんな名前があってよくわからんのですが、
記事では屠龍としておきます。
これは世界で唯一の現存機です。
たたし、ご覧のように胴体だけ、主翼もエンジンも尾翼もやる気もなし、
という状態でレストアはストップし、8年前からそのままです。
おそらくもう、永久にこのままのような感じがしますね…。
ちなみにこれもオリジナルの塗装に見えなくもないですが、
おそらく7割以上の確率で、米軍がテスト時に塗り替えちゃってると思います。
これはその試験時の塗装がそのまま残ってるような感じです。
展示の機体では主翼もエンジンも無いので判りにくいですが、
屠龍は主翼に二基のエンジンを搭載した双発戦闘機です。
世界各国で双発戦闘機が流行ってる以上、
日本陸軍もその尻馬に乗ってゆくわけで、
そういった流れで開発された双発戦闘機なのでした。
でもって、やっぱり使い物にならず、
この機体の場合は対B29用の戦闘機として使われる事になるのです。
といっても、先に書いたように日本機は高高度を飛べませんから、
オレはB29専用といったって、自称アイドルの恋人みたいなもんで、
まともに近づくこともできないんじゃ、何の役にも立ちません。
実際、終戦まで日本上空におけるB-29の被撃墜率はあってないようなもので、
ドイツ上空の爆撃機地獄から見ると、天国みたなもんでした。
よって、この機体がどこで何をしてたのか、正直よくわかりませぬ。
後にB-29が低空夜間爆撃に切り替えた後は夜間戦闘機になったようですが、
やはりB-29の損害はあってないようなものでして、
やはりこの機体がどこで何してたのかよくわかりません。
(例えば東京、大阪大空襲を含む1945年3月の日本全土大空襲時の
5回の空襲すべてを通じて、B29の損失はのべ出撃数の1.33%に過ぎない。
これは平均すると1回あたりの損失数は0.27%でしかない上、
事故損失を含むから、日本側の迎撃での損失率はさらに低い事になる。
ちなみにこの数字はドイツ上空におけるB17&B24の平均損失率の1/10以下に近い)
ただし、これは陸軍の上層部の無責任と無見識が問題なので、
当時のパイロットの皆さんを非難しようとは思いませぬが。
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