■力は正義なのだ
さて、お次はアメリカ陸軍の主力戦闘機1号、と言っていい、
リパブリックP-47サンダーボルト。
D型ですが、サンダーボルトの場合、サブタイプがややこしく、
正確に言うならP-47D-30RAとなります。
アメリカ陸軍航空軍、そして独立後の空軍を通じても、
最も多数が配備された戦闘機がこのP47であり、
その総生産数約15600機は、アメリカ戦闘機史上、最大となっています。
もっとも手ごわいと見られたドイツ空軍相手のヨーロッパ中心に配備されたため、
日本ではあまり馴染みがない機体ですが、
事実上、第二次大戦期のアメリカの主力戦闘機はP-47だったと思っていいでしょう。
で、この機体もF6FやF4U、さらにはP-61と同じR2800エンジンを搭載してますから、
アメリカを支えたエンジンと言えますね、R2800。
ただし、同じR2800搭載の海軍戦闘機の過給器が、
機械式のスーパーチャージャーだったのに対し、
陸軍機であるP47では、かなりの大きさとなる排気タービンを
搭載してしまった事が特徴となってます。
酸素の薄い高高度では、過給器は必須であり、さらにパワーアップもできるため、
当時のどんな戦闘機でも、何らかの過給器を積んでるのが普通です。
が、普通はエンジンのクランクシャフトの動力を使って圧縮タービンを回す
機械式のスーパーチャージャーが一般的で、
排気タービンを実用化して実戦レベルで大量投入したのはアメリカ陸軍だけです。
エンジンの出力を食ってしまう機械式過給器とは違い、
本来捨てるだけの排気の圧力を使ってタービンを回すのは出力的に有利なんですが、
高温対策やら回転数制御やらが意外に難しく、他の国では実用化にいたってません。
さらに本体と排気管の取り回しで、結構大型になってしまい、
普通は単発の戦闘機に積もうなどと考えるサイズではありません。
それを強引に積み込んでしまった結果、この機体も
なんだかビヤ樽のような印象になってます。
ただし縦方向に厚みを加えたので、上から見ると写真のように、
意外とスマートだったりしますが。
ここら辺りはアメリカ陸軍の特徴の一つで、
かたくなに排気タービンにこだわっているのです。
1920年代から開発を続けいた、という事で技術的な自信があったのでしょうが、
この点、普通に機械式過給気を選択したアメリカ海軍との大きな違いとなってます。
まあ、どちらもまともに実用化できなかった日本やドイツ、イタリアに比べると、
ある意味極めて恵まれてるのですけども。
(こちらは機械式過給器だがガソリンの精製技術の問題もあって高圧化できなかった)
下から見るとこんな感じにマッチョで、だいぶ印象が変わります。
ちなみに、B-17やP-38のように普通、排気タービンは熱対策もあってか、
機体外側にむき出しに置かれる事が多いのですが、
この機体では胴体内部に収容しています。
それと通気用の管のために、これだけ機体が太っちゃったわけです。
ついでに、展示の機体のように、
連合国機の主翼下と胴体後部には白黒帯の塗装がされてるのをよく見ますね。
これはインヴェーション ストライプ(invasion
stripe/侵略の縞模様)
と呼ばれるもので、敵味方識別用の塗装でした。
その名の通り、連語国側からの侵攻、つまりノルマンディ上陸作戦のD
day以降に
実施された塗装で、フランス周辺に展開した連合国軍が、
これを見て、友軍機だ、撃つな、と判断するためのものなわけです。
が、実際は高度1000m以上とかになるとほとんど見えないようで、
友軍からの対空砲火を食らったパイロットの体験談はいくらでも出てきます…
展示の機体は1944年製で、国内で訓練用に使われていたものだとか。
ちなみにこの機体のレストアはメーカーであるリパブリックが行なってるとの事。
さてお次はロッキードのP-38ライトニングのJ型、すなわちP-38J。
陸軍機なのでより正確に記すならP-38J-10LOです。
ただし、後で述べる理由で、どうもJ-25に
中身はすっかり置き換えられてる可能性があります。
ついでながら、こういった機体の写真はインチキ16:9ではない、
真正16:9比率画面カメラ、LX-7の独壇場となりますね。
これは双発エンジン戦闘機なんですが、
後で出て来る日本の月光やドイツのHe219など、
当時の平均的な双発戦闘機とは違い、
尾翼がエンジンナセルを後ろに延長した先についてる、
というかなり変わった構造になってます。
これは第一次大戦期の推進式(エンジンとプロペラが胴体後ろにある)
の機体などでは、時々見られた構造なのですが、
普通の双発エンジンの戦闘機でこれをやったのは、
おそらくこの機体が最初じゃないでしょうか。
そんな一風変わった機体デザインを行なったのが、
後にロッキード社内に軍用機の設計チーム、
スカンクワークスを立ち上げた、“ケリー”・ジョンソンでした。
以後の機体では、彼は総合プロデューサーみたいな立場になりますから、
ある意味、これが彼の代表作かもしれません。
(P-80(F-80)までは彼の手による部分が多いらしいが)
でもって、第二次大戦直前に、双発エンジンの戦闘機のブームがあり、
世界中の航空組織がこれを採用しておりました。
ところが開戦直後に重くて機動が鈍くて、
とても使い物にならん、という事実があっさり判明、
その大半は大きな機体とエンジンの余力を買われて、
レーダー搭載の夜間戦闘機などに改造されてしまいます。
そんな中で唯一、まともな戦闘機として成功したのがこのP-38でした。
実際、陸軍航空軍のトップエースの1位ボング、2位マクガイアともに、
その愛機はこのP-38でした。
その結果、この機体もなんだかんだでチーム1万機、
すなわち1万機以上の生産数を誇る戦闘機になっております。
エンジンの後ろにある排気タービン本体。
左側のヤカンみたいな部分がタービン部となってます。
ちなみにP-38はアメリカのダメエンジンの代名詞のごとく言われる(涙)
アリソンのV-1710シリーズを搭載してるのですが、
先に書いたように十分な性能を発揮していました。
あのマーリンエンジンの性能だって、空力の魔術師、
フーカー設計の過給器あってのものですから、
V-1710もキチンとした過給器があれば、十分な能力を持っていたように見えますね。
この展示の機体は1943年に製造された後、
例のオハイオ州にある研究機関の基地、
ライト・パターソンに送り込まれ、そこで各種テストに使われたもの。
ちなみに、そのテスト機としての運用中に、
陸軍航空軍のトップエース、ボングが飛行を行なった事があったとか。
で、どうもライト・パターソン時代に、
内部の装備がJ-10より後のJ-25に置き換えられたようで、
レストアの時に分解したら、中身はすっかりJ-25になってたそうな。
でもって、アメリカにとって戦争は終わったと考えられていた(涙)、
1945年6月に早くも博物館に寄贈する機体として保管する事が決定、
そのまま引退してしまい
最終的に1946年の夏にスミソニアンに引き渡されたようです。
でもって、記録を追う限り、どうもこれ、オリジナルの塗装のままのような…。
カーキグリーンの下に見えてるのは錆止め塗装でしょうか。
なんでもかんでも、すぐにキレイなペンキを塗りたがるアメリカ(笑)、
大戦期のままのオリジナル塗装は意外に貴重だったりします。
こうやって余計な事をしない、というのがウドヴァー・ハジー以降の
第二期レストアのありがたい特徴かもしれません。
NEXT