■ノースロップの黒と黄色



まずはノースロップのP61ブラックウィドウのC型、すなわちP-61C。
アメリカが最初に開発した夜間戦闘機です。
ちなみにブラックウィドウ、黒い未亡人、という思わせぶりな名前は
そういった名前のクモが居るんだそうな。

これ1942年には初飛行してるんですが、何しろノースロップの機体の上(笑)、
まだまだ開発中だったレーダーの問題もあり、
調整に手こずった挙句に、部隊配備は1944年の6月までずれ込んでます。
戦争中に開発された機体としては、かなりの遅さと見ていいでしょう。

ちなみに、このレーダー搭載戦闘機の開発が遅れまくる、という伝統は、
終戦後の対核爆撃機迎撃機、いわゆる全天候型戦闘機に引き継がれます(笑)。
P-61の後継機と考えていい同じノースロップのF-89スコーピオンは
散々開発に手こずった上、ほぼ完全に失敗作でした。
その失敗を補うために、F-94B/C、そしてF-86Dといった
怪しげな機体がさらに開発されるのですが、
そこらは以前にF-22への道の記事で散々説明しましたね。

ちなみに、P-61のまともな現存機は世界中で2機のみ、
この機体と、以前にアメリカ空軍博物館で見た機体のみです。
あとは回収された残骸からレストアされたもの、
なぜか(笑)北京の博物館にある機体くらいでしょう。
ただし、このスミソニアンの機体も、後で述べるような注意が要りますが…。

ついでに北京の機体は未だにどこから来たのか不明ですが、
おそらく第二次大戦中にアメリカ軍が運用、
終戦後に中国から撤収していった時、置いていったものと考えられてます。
(ただし公式に中国でこの機体を運用した部隊は無いはず)
この北京の機体は極めていい加減に保管されていたため、
ほとんどスクラップ状態になってました。
現在は修復されたと聞きますが、資料性は低いでしょう。

で、夜間戦闘機って何よ、という点を一言で言ってしまえば、
レーダーを搭載した戦闘機です。
夜間の空で敵を発見するのは極めて困難でして、
電気を消した部屋で黒猫を探しだせ、みたいな状況になります。

が、肉眼がダメでも、レーダーがあればあっさり敵は見つけられるわけで、
それの搭載が夜間戦闘機の最大の特徴です。
この点、従来の戦闘機にレーダーを積む、という方法で
イギリスやらドイツは対応するのですが、
アメリカ陸軍はそれにふさわしい機体も無かった上に、
それほど緊急の開発でもなかったので
イチから新たに造ってしまったのがこの機体となります。
(英独は互いに夜間爆撃の最中であり、ノンキに構えてるヒマは無かった)

この妙に長い鼻面の中には、当時開発されたばかりの
航空機用レーダーが入っていたのです。



上から見るとこんな感じ。
直ぐ横にある黄色い全翼機、これもノースロップ社のN-1Mも後で見てゆきます。
ちなみに一番手前に見えてるのは日本の双発戦闘機、中島の月光です。

とりあえず、P-61に話を戻すと、右奥のハリケーンと比べ、
同じ戦闘機の分類なのに、かなり大型なのがわかるでしょうか。
P61は戦闘機といいながら3人乗りで、
パイロット、レーダー操作手、そして銃手というメンバーとなってました。

ただし2000馬力のR-2800エンジン2発を搭載、
さらに陸軍お得意のターボチャージャー付きとなっていたため、
やたらめったら馬力はあり、意外に運動性はよかったとも聞きます。

ちなみに、本来は防衛的な用途で開発された機体なんですが、
1944年後半ともなると、ドイツ空軍に夜襲をかけるガッツは既にありませんでした。
このため、P61の方からドイツ領内に乗り込んで行って
航空基地や鉄道施設に夜襲をかけるという、
前しか見えない航空用レーダーじゃあまり意味ないじゃん、
という運用をされてたようです…。

ただし、夜間に飛んでくるV-1飛行爆弾対策にも活躍しており、
こちらは18発の撃墜記録があるそうな。

太平洋戦線でも、B-29基地の防衛などに使われたようですね。

展示の機体の塗装はアメリカ軍時代のオリジナルだと思うのですが、
実は1951〜54年までNASAの前身であるNACAが
各種試験用にこの機体を運用しており、
よく見るとテールブーム(尾部)にTEST そしてNACAの文字がある上に、
主翼上の国籍マークが消されてます。

そのNACAによる運用終了後、スミソニアンに寄贈されたようで、
その結果、機体は1954年当時の姿となっており、
大戦中の状況とはかなり異なると思ってください。

そもそも、この機体はP-61の最大の特徴である、機体上の銃座、
12.7mm×4門が入ったリモコン銃座が無くなってしまっていますし。
ただし、これはNACAによる改造ではなく、おそらく戦後、
練習機にされた時の改造の可能性が高いです。

で、お次は、同じノースロップの機体、P-61の前にある黄色い三角形、
実験機であるN-1Mを見ておきましょう。
これこそB-2ステルス爆撃機でお馴染み、
ノースロップお得意の全翼機のルーツなのです。



N-1Mを横から見るとこんな感じ。意外に分厚くて、もっさりしてます。
1940年(ゼロ戦の運用開始年)7月に作られた実験機とは思えないスタイルですけどね。

航空宇宙本館で、ガンマなどの初期の高速旅客機の設計者として
既に紹介したノースロップですが、
彼の本領は、この全翼機にあり、彼の野望の集大成が後にYB-35、そしてYB-49
となる全翼式の戦略爆撃機でした。
(ただし両者とも試作機で打ち切り、量産はされず)

ただし前例がないデザインですから、全翼機の理論的な確認、
そして実際の飛行特性の確認を目的に、最初に造られたのが、このN-1Mとなります。
そもそもノースロップは1929年から(大恐慌の年…)模型などで
全翼機のテストを開始していたそうで、ここが一つのゴールだったのかも知れません。

ちなみに、よく見るとコクピットの上に、変な帽子のようなパーツが載ってます。
ここはまさに人が座るところで、なんだこりゃ、という感じですが、可能性としては

1. コクピットの日除け

2. キャノピー(天蓋)を造ってから人を乗せてみたら、
頭がつかえちゃったので、あわててくりぬいて凸型のフタをした(笑)

といったとこですが、1940年当時の写真を見る限り、
どうも2.の可能性が高いような…。

ついでに、胴体後部下に星マーク付きの(自社開発のはずだが…)
小さな出っ張りがあります。
直進安定用のフィンにも見えますが、
おそらく離着陸時のシリモチ防止用じゃないでしょうかね。


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