■Paradise of Warbirds



さて、お次はそのF4Uコルセアに競作で負けたグラマン社が、
コルセアの開発トラブルに乗じて急遽開発、
海軍に大量採用される事になるF6Fヘルキャット。
この展示機はF6F-3型だそうな。
コルセアがそのトラブルのため、陸上基地からの運用が主となった結果、
事実上、F4Fの後を継ぐ艦載戦闘機となった機体ですね。

ちなみにF6Fにおけるアメリカ側主張の撃墜損害比は19.1:1だそうな。
純粋に戦闘機としてのみ使われた、という事もあって、
F4Uよりさらに高い数字となってますね。
まあ、何度も書くように、どこまであてに出来るか微妙ですが(笑)。

ちなみに、これの前任者F4Fも、
本来は主力戦闘機として計画されたものではありませんでした。
当時、主力戦闘機となるべく開発された
ブリュースター社のF2Aバッファローがあまりにショボかったので、
急遽ピンチヒッターとして開発された機体なのです。
よって、2代続けて他社の失敗で大型受注を果たしている、
という強運メーカーとなりますね、グラマン社。

これで海軍は学習したのか、以後、F8F、F7Fと、グラマンは海軍艦載戦闘機を
連続受注するのですが、残念、戦争が終わった結果、
共に少数の生産に終わります。

この展示の機体は来歴のはっきりしたものなんですが、
原型の維持、という点では少々残念、という機体だったりします。
それでも世界でもっともコンディションのいいF6Fでしょうけども。
ホントに海軍機の現存機は恵まれませんねえ…。

とりあえず、この機体は1944年に製造され、
まずはハワイに送り込まれ、現地で終戦を迎えたようです。

その後、すでにF8Fが登場、引退が進んでいたF6Fの不要な機体、
という事で無人操縦機に改造され、
(アメリカの無人操縦機の歴史は第二次大戦前に遡る。詳しくは次々回)
1946年にビキニ環礁で行なわれた一連の原爆実験(Operation Crossroads)で、
空中の放射性物質の粉塵データ採集用に飛ばされていたのだとか。

ちなみにビキニ環礁は有名な水爆実験以前から核爆弾の実験場でした。
1946年のクロスロード作戦は、空中、水中の両核爆発で
どれだけ軍用艦船が耐えうるか、を見るための実験で、空軍が主導してます。
海軍の艦船が空軍の原子力爆弾に対していかに無力か、を証明できれば、
戦後の予算縮小の中で、空軍の優位が確立できるわけですから。

よく知られるように日本の戦艦長門、軽巡 酒匂が沈められたのもこの実験です。
他にもアメリカの空母サラトガ、ドイツのプリンツ・オイゲンなど、
なんてことすんのよ、という感じの艦船がこの実験に投入されてます。

ついにで世界の傑作機No.71 F6F本のP8にあるオレンジの機体写真が
そういった無人改造F6Fなんですが、作戦には複数の機体が投入されてたため、
この写真の機体がスミソニアンの機体かは断言できません。

とりあえず、なんちゅー機体を展示してるんだ、という感じですが(笑)、
説明によると、ほとんど放射性物質の付着は無かったから
安心してちょうだい、との事。
まあ信じるしかないですが、これのレストアをやった
皆さんの健康が少々気になります…。

逆に言えば、アメリカ本国でも、まともなF6Fの機体は
そんなのしか残ってなかったわけで、むくわれませんねえ、海軍機。



ちなみにデブな機体、という印象があるF6Fですが、
正面から見ると、意外にスマートです。
後で見るP-47もそうなのですが、F4U以外のR2800空冷エンジン搭載機は、
大型燃料タンク(F6F)や排気タービンダクト(P47)の搭載で
背の高い縦長の胴体となっており、
横から見るとなんだかデブっぽいのですが、横方向には意外に幅がなく、
正面、上下から見ると意外にスマートな機体だったりします。

ついでに正面から見ると笑ってるように見える、といわれるF6Fのアゴ部分、
チャシャ猫かトトロの猫バスのような口は、
中央がオイルクーラーの空気取り入れ口、左右はエンジン用の吸気口で、
これまたエンジン後ろに付いてるスーパーチャージャーへと繋がってます。

ついでに主翼の上半角(上向きの傾き)が主翼の途中から始まる、
というちょっと変わったデザインにも注目。
この上向きに角度がついた部分から外側は回転させ、胴体に平行な状態に
折り畳めるようになっており、艦載機ならではの設計となってます。

さらについでに、ネコ大好きと言う点では、
フリスキーに対して一歩も引けを取らぬことで私に知られるグラマン社、
よって、この機体もキャット系の名前なんですが、歴代グラマンの機体の中でも、
アグキャットと並んで意味がわからんのが、このヘルキャットだったりします。

後で登場するアグキャット(Agcat)は農作業用の民間機なので、
農家のネコ、すなわちAgricultual catの略、
すなわち造語だろう、と検討がつくのですが、
このヘルキャットは、全く意味がわかりまぬ。

Oxfordの辞書を引くと俗語で
底意地の悪い女性のこと、魔女のような性悪な老婆、と出てたりしますが、
私の知る限り、この使用例はあのリンカーン大統領の悪妻として知られる、
(最後は精神病院送りとなってる…)
メアリー・リンカーンが、ホワイトハウス関係者の間で
その名で呼ばれていた、というくらいです。

よって、どうもあまり一般的な用例とは思えず、
単純に地獄から来た猫だから、
山から来たヤマネコ(Wildcat)より強いんだぜ、
といったレベルの名前でしょうかねえ…。



さて、お次は陸軍の機体、カーチスP40。
サブタイプが異常に多いP-40ですが、展示の機体は
P40E キティーホークとされてましたので、カナダ軍に貸与されたP40らしいです。

しかし、何度見ても、シャークマウスと呼ばれる機首部の口の絵が
世界一似合う機体だと思います(笑)。

ちなみに、本館の展示にあった、アメリカ義勇兵による中国空軍部隊、
フライングタイガースの使用機でありました。
でもって、あの部隊のシャークマウス塗装が有名ですが、
あれはP40の貸与を受けていたイギリスの機体のマネでして、
最初にこの塗装をP40の機体に行なったのはイギリス空軍だったりします。

じゃあ、世界初のシャークマウスはイギリスの発明か、と言われるとよくわからず。
当時、ドイツのBf-110などにもシャークマウス塗装があったので、
まあ、どっちかがマネしたんだと思いますが…。

この機体はカナダ空軍への供与ではなく、貸与だったため、
戦後の1946年(!)に運用が終わるとアメリカに返還されたようです。
その後、どういう経路をたどったか不明ながら
ワシントンD.C.の近郊にあるアンドリュー空軍基地に置かれ、
そこで有志の隊員たちによって、1975年にレストアされたものだとか。

よって、スミソニアンに展示されてますが、レストアは別のチームとなります。
オリジナリティはともかく、そうなると復元の精度もなんとも言えません。
ぶら下げ展示の結果、近くで見れないので、細かい部分はよくわからないですが…。

余談ながら、この機体はもともとニューヨークにあったカーチス工場製だとか。
実は当時グラマンもニューヨークに工場を持っており、
今では想像できませんが、ニューヨーク周辺は航空産業の土地だったようです。



下から見ると、陸上機で主翼に折りたたみ機構が無いにもかかわらず、
主脚が後ろに畳まれてるのがわかりますね。
その横に開いてる細かい黒い穴は機銃の薬莢と、弾を繋いでいたリンクの排出口。
こうして見ると、機関銃の位置の関係で脚を横に畳めなかったのか、と思ってしまいますが、
機関銃を積んでない、P-36の試作機の段階でこの構造でしたから、
主翼の桁の問題か、何かの設計ミスか(笑)、どちらかじゃないかなあ、と。

でもって、P40に関してはあまり詳しく調べたことがなく、よって特に書くこともないのですが、
そもそもは1935年に初飛行した空冷エンジンの戦闘機、P35のエンジンを
液冷エンジン(アリソンV1710)に換装したのが、この機体です。
まあ、1935年初飛行ならドイツのMe109と同じ世代ですが、
それでも基本設計の古さは否めない感じがありますね。

ただし、そこまで性能が悪いか、というと意外にパイロットの評判は悪くなく、
13000機も造られた結果、世界中にばら撒かれて、あちこちで活躍してます。
ただし、ドイツ相手にこの機体ではキツイ、と思ったらしいアメリカ陸軍は、
主に日本相手のみに使用しており、ヨーロッパでは開戦直後、
新型機が間に合わなかった北アフリカ〜地中海戦線でのみ、
本格的な運用を行なっただけのようです。



お次はイギリスの機体、ウェストランド ライサンダー。
サブタイプはIII Aだそうな。

正直言って世界人民の120%がよう知らんわ、という機体だと思います(笑)。
ウドヴァー・ハジーのイギリス軍用機は2機だけなんんですが、
その内一機がこれで、正直言ってなんでまた、という気はします…。

とりあえず、頑丈な脚、下方視界がいい上翼構造などから、
不整地でも運用できる前線偵察、連絡機だ、というのは簡単に想像がつくでしょう。

ただしそこはイギリス機、同じようなドイツのシュトルヒや
アメリカのグラスホッパーとは違い、かなり特殊な運用をやってました。
主にヨーロッパ本土、ナチスドイツの占領下にあったオランダやフランスへの
スパイの搬送&回収、さらにはレジスタンスへの資金、武器といった
支援物資の運搬に使ってたようです。
この機体のイギリス空軍(RAF)塗装も、明らかに夜間任務を前提とした
黒っぽいものですから、そういったものなのでしょう。

ただし、展示の機体は、カナダでライセンス生産されたもので、
1942年に造られた後、主な経歴は不明ながら、
とりあえずヨーロッパ戦線に渡った事はないみたいです。



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