■夕撃旅団 再びあの丘へ



ここで左は無名戦士の墓、右はケネディの墓の標識が。

無名戦士の墓はまだ見てなかったのですが、
先に書いたように既に見たと勘違いしてましたから、
さて、どっちも既に見てるしなあ、と思ってしまう。




そこから丘の上のアーリントンハウスが見える。

そういえば前回来たときは閉館済みであの中を見てないな、
と思い出し、そちらに向かう事にします。



そこから丘の上までもお墓、お墓、またお墓。
何度も書きますが、最後の審判の日は大渋滞でエライ事になりそうで、
ここには来たくないですね。



こちらは朝鮮戦争の時に捕虜となり、生還できなかった人たちへの慰霊碑。

およそ7000人が捕虜になったと見られる内、生還したのは3545名と
わずかに半分だったようです。

余談ながら、これを設立したのは、その生還した捕虜の皆さんが作った団体ですが、
アメリカの戦争史上、もっとも厄介な問題をはらんでいたのが、
この朝鮮戦争における生還した捕虜の人たちでした。

以前にどこかで書いたように、アメリカ兵にとって、初めて洗脳、
という問題に直面したのがこの朝鮮戦争における捕虜収容所だったのです。

この時の捕虜の多くがソ連の共産党教育を受けさせられた結果、
何人かは完全に共産党のスパイに仕立てられた上で
アメリカに帰国したと見られてます。
この時のスパイ対策に手を焼いたアメリカ軍は、これ以降、
兵の教育に捕虜になった場合の洗脳対策を取り込んで行ったようです。

ちなみに、この辺りの事情は日本も人事じゃないんですが、
どう考えても旅行記の範疇を超えますので、ここでは触れないでおきます。



丘の最上部へ。
いい眺めなのですが、昨日の遠征の後では、結構疲れました…。

前回も指摘したように、ここにもエジプトのオベリスク風の墓石がいくつかあり、
これもフリーメイソン系のものじゃないですかねえ。

ついでに、もう誰も覚えてないでしょうが、
初日のボストンで船の上から見たバンカーヒル モニュメントも
おそらく彼らの仲間によるものじゃないかなあ、と。


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