■再び丘の上へ



その先で岡のような斜面の上に見えたいくつかの墓碑。
よほどエライ人のものでしょうかね。



当たり前ですが、行けども行けどもお墓です。

どんな人間も必ず死ぬのだ、という事実について、
これほどの説得力を持って迫ってくる風景というのも珍しいかもしれません。

奥に見えてるのはワシントンD.C.のワシントン メモリアル。
フリーメイソンリーのロッジを見た今なら、ピンと来た人もいますかね。
そう、これもエジプト式の、そして石造りの、
ワシントンを記念した構造物なんです。
このデザインに、フリーメイソンリーが一枚かんでる可能性は高いでしょう。



そんなとこにもリス。
どう考えても、このエリアは既に連中の手中にあると思われます。



墓地は部隊ごと、あるいは乗船していた艦ごとにまとめられてる場所があり、
これはDE682 USSアンダーヒルの乗組員の墓地。
アンダーヒルというのは地名のようにも聞こえますが、
戦死した海軍パイロットの名前のようです。

それぞれにこういった碑が置かれてるのですが、
これらは意外に新しく、ほとんどが1980年代以降に、
改めて設置されたものでした。

このUSSアンダーヒルは護衛駆逐艦
(Destroyer escort=分類番号はDEで二つの頭文字に意味がある貴重な例)
と呼ばれる小型の戦闘艦でした。

護衛駆逐艦は基準排水量(=重量)1500t前後の小型の船体に
3インチ(7.62cm)砲や20mm機関砲、そして魚雷を搭載したものです。
これは輸送船団の護衛用にアメリカ海軍が開発した艦種で、
第二次大戦時に200隻以上と、これまた大量生産されています。
日本海軍だと海防艦がこれに近いでしょうか。
あれはさらに小さいですけどね。

このアンダーヒルは終戦直前の1945年7月24日にフィリピン近海で撃沈され、
艦長を含む112名が戦死したとされます。
さらにこの撃沈は日本海軍の特攻兵器、
人間魚雷 回天による攻撃と見られてるそうで、
攻撃には2基の回天が使われたとされてますが、詳細は不明。

終戦まであと3週間というタイミング、という事を考えると、
日本の回天に乗っていた若者、この護衛駆逐艦に乗っていた若者、
どちらもなんともやりきれない感じがします。

さらに今さらですが、日本側の記録ではアンダーヒルを駆逐艦撃沈とする事が
多いのですが、残念ながら、駆逐艦ですらない護衛駆逐艦なのです。
どう考えても、そこまでして沈めなきゃならない目標ではありません。

余談ですが、戦後海上自衛隊も
こういった護衛駆逐艦の供与をアメリカ海軍から受けており、
護衛艦の名のルーツはおそらくこれじゃないかと。

ただし、なぜかは知りませんが(笑)海上自衛隊では護衛艦の艦番号を
単純に駆逐艦を意味するDDにしておりますが。



こちらは第二次大戦時、ヨーロッパ戦線で戦略爆撃をおこなっていた
あの第8航空軍に属する第93爆撃群の隊員のお墓。

やや不謹慎ではありますが、この手の碑には
なかなか見る事が出来ない貴重な情報が詰まっていたりもします。

例えばこの碑の場合、所属飛行中隊(Squadorons )が
第328、第329、第330そして第409となっており、
おそらく損耗が激しく、後から中隊が一つ追加されたらしい事が伺えます。
さらに1943年8月のプロエステ油田への低空爆撃にも参加、
その時、名誉勲章(Medal of honor)を
2名のパイロットが授章した事が書かれてます。

その後、最終的には戦闘任務出撃が396回 総戦死者670名 
参加した航空作戦は前部で18になった、
といった情報が書き連ねられており、
ここから当時の部隊の損耗状況や出撃頻度が逆算できるのです。

が、どう考えても旅行記でやる話ではないので、
ここは彼らの冥福を祈って次に行きましょう。


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