■ジョン・R・ボイド



ジョン・R・ボイド 

大佐 
アメリカ空軍
朝鮮(戦争に従軍)
ヴェトナム(戦争に従軍)
(アメリカ軍がよく使う東南アジア紛争ではなく、
ヴェトナムという表記になってるのがちょっと意外)

1927年1月23日〜1997年3月9日

ちなみにボイドはギリギリ第二次大戦終結直前に
アメリカ陸軍に入ってるんですが、
戦地には出てないので、それは軍歴に入ってませんね。
が、終戦後、一時期彼は駐留軍の一員として
日本に来ていた事があいます。

今回、当サイトでやっていたF-22の道という連載の中で、
後半の主人公を勤めていただいた
ボイド閣下にお礼を言いに来たわけですが、
なんの飾り気もない地味なお墓は彼らしいな、と思ったり。

1970年代以降の空軍の戦闘用機、
対空戦のF-15、対空、対地用のF-16、対地用のA-10といった
20世紀後半の航空戦を決定付けた機体を
生み出すのに大きな影響を与えた男が彼でした。

ボイドが居なければ、戦闘機の進化は全く異なる方向に向っていたでしょう。
この影響はロシアとヨーロッパの機体などはより強く
ボイドのエネルギー機動理論の影響を受けてるように見えますから、
まさに世界中の戦闘機の基礎を一人で作り出してしまったのがボイドなのです。
(ゆがんだ型にはなったがF/A-18も彼の生み出した機体の一つ)

そして空軍から身を引いた後には
OODAループ理論を唱えて陸軍と海兵隊の戦術に強烈な影響を残し、
1991年の湾岸戦争の大勝利の基礎を造った男がこの下に眠ってるわけです。

幸か不幸か、彼の理論はやや難解な部分があり、
さらに本人が著述の形でそれらを残さなかったため、
現在のアメリカ軍はその遺産を高速で忘却しつつあります。

…やりようによっては、圧勝できますぜ、今の連中相手なら。
その時はぜひ呼んでください(笑)。



裏面にはこのお墓の住所である60番地の3660の数字と、
奥さんの名前が。
奥さんも2010年に亡くなられていたんですね。

最後にご夫婦の冥福を祈らせていただいて、
地球の裏側からの墓参りは終了です。



さて、これでワシントンD.C.に来た目的のほとんどを達成しました。
(海軍工廠と工事中のアメリカ史博物館を除く…)

この後どうしよう、というところですが、天気もよく、かなり気持ちがいいので、
少し墓地の中を散策して、後は例のペンタゴンの南側、
私に内緒でみんなが人生を謳歌していた商業地区を見てこの旅を終わりにしましょうか。




なんとも美しい時間と空間が広がる墓地でした。



前回見た戦艦メインのマストや野外劇場など、
ここは墓地内にいろんな構造物があって興味深いのですが、
今回、ボイドの墓の近くで見かけたのが、このマクレラン(mcclellan)門。

マクレランは南北戦争時の北軍の将軍の名で、
1871年に彼を記念して建てられたものだとか。
かつてはここがアーリントン墓地の正門であり、左右に伸びてるような
レンガの壁が墓地全体を囲っていたようです。
(ただし1879年には早くも別の場所に正門が造られ、ここは正門から外れたらしい)

後で見る、元からこの地にあったリー将軍の家を別にすると、
アーリントン墓地設立直後から現在まで残ってる唯一の構造物なのだとか。

とりあえず現在ではこの門や壁の外まで墓地は広がってしまっており、
墓地内にポツンとこの門だけが取り残されています。


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