■ここにも操舵輪
そこから艦橋中心部を見る。
この木の小屋が操舵室で、その前に見えてるのが前部マストの基部。
基本的にここがこの艦の頭脳であり、航海から戦闘まで、
全ての指揮をここで行なってます。
あっけないほど地味でして、こんなので戦争になったんだなあ、と変に感動したり。
ちなみにこの時代の戦闘指揮所がどこにあったのかはよくわかりません。
主砲や5インチ砲はそれぞれ独自に照準して自分で判断、射撃していたようですが、
さすがにどの敵を狙え、ぐらいの指示はしていたはずなのですが。
ただ、先に見た5インチ砲でも、特に指令を伝える装置は見当たらず
(戦闘中は騒音で伝声管は使えないだろう)
それぞれ勝手に目標を選んで撃ってた可能性も否定できず…
その中央部にきました。
右でカバーが掛けられてるモノは、正体不明、
左に見えてるのはロボットみたなのは、磁気コンパス。
あの窓から覗くと、中に羅針盤が入ってます。
いかにも19世紀のコンパスっぽいデザインですが、
これもオリジナルかどうかは怪しいところ。
ちなみにUSSニュージャージーのチケット売り場や、
トマホーク広場にあったのと似てますから、
ひょっとしてアメリカ海軍の磁気コンパスって、
50年以上、同じものを使ってたんですかね。
で、右下に見えてるのが例の司令塔の屋根で、
本来はこの上に見晴らし台の櫓が組まれており、
もともとは、その上にこのコンパスは置かれていたはずです。
航海士などは、通常の航海中はそっちに居たのかもしれません。
ついでに、左右に見えてる棹は、おそらく
停泊時に日除けのテントを張るためのもの。
そこから見た艦首方面。
それほどの高さはないハスですが、それでも結構、ながめは良かったです。
手前に見えてるのが司令塔の屋根で、その向こうが前部主砲。
ついでに主砲の前で左右で飛び出してる潜望鏡みたいなというか、
キセルの先みたいなモノは艦内換気用の通風口です。
なぜか右側のはあさっての方を向いてしまってますが。
余談ですが、例の映画ロッキーのトレーニングシーンのラスト一歩手前、
有名な階段登りシーンのひとつ前のカット、
ロッキーが朝日の中、川辺を走る場面が撮影されたのがここです。
当時は何もない河岸だった右側の岸辺を画面奥から手前に向けて走ってます。
左奥、白いボートの後ろにある建物と、
当時は、ちょうどそのボートの位置にあった
黒い帆船モシュルーが画面で確認できるでしょう。
で、その艦橋最前部にあった謎の足跡。
なんだこれ、と思ったら、この艦が大活躍した
1898年5月のマニラ湾海戦で、艦隊司令官だったデューイ(George
Dewey)が
戦闘指揮をとった場所なんだとか。
さすがにあと3歩前後は前後左右に動いたんじゃないかと思いますが(笑)…。
ちなみに砲撃開始にあたって彼が出した指令、
You
may fire when ready,
Gridley
準備が出来たら撃ってよしだ、グリッドリー(USSオリンピアの艦長の名前)は
アメリカではカッコイイセリフの一つとして、有名なんだそうな。
そういや、日本の記念艦 三笠にも東郷さん立ち位置の表示があって、
見てきたような事をおっしゃりますなあ、と思った記憶がありにけり(笑)。
ちょっと脱線。
先に見たように、スペイン・アメリカ戦争は本来、キューバの独立を助けるため、
正義の味方、アメリカ軍がスペイン相手に参戦だ、
という戦争だったはずでした。
ところが開戦直後からアメリカはスペインの植民地、
フィリピンへの進出を狙った行動に出ます。
宣戦布告後にすぐさま香港に居たアジア艦隊(Asiatic
Squadron)が、
フィリピンに向け出撃、そこにいたスペイン太平洋艦隊の殲滅を目指すのです。
この当時のアメリカの主力艦隊は大西洋岸にあり、
それらのほとんどがキューバに向ってしまってました。
よってアメリカの太平洋岸がフィリピンに居たスペイン太平洋艦隊の脅威に
さらされる恐れがある、という大義名分があったのは事実です。
が、当時のスペイン太平洋艦隊は防護巡洋艦が2隻居たほかは、
4隻前後(5隻かも)の旧式巡洋艦があったくらいで、
さらに常に船員不足に悩んでる状況でした。
それがわざわざアメリカの西海岸をあらしに来るとは考えにくく、
アメリカのフィリピンへの領土的野心が根底にある行動、
と考えるのが合理的でしょう。
まあ、スペイン相手に宣戦布告を出してるので、理屈は通るのですが、
遅ればせながら帝国主義に乗り出したアメリカの野心が伺える行動です。
アメリカがこの戦争でフィリピンに足場を築き、
その利権の保護のため、やがて日本と太平洋で激突する事になるわけですから、
この戦争、意外に日本と関係が深いとも言えます。
ちなみに海戦は防護巡洋艦4隻を用意して、
訓練も十分だったアメリカが一方的とも言えるほど、優勢に進めてしまいます。
最終的に2隻の防護巡洋艦を含む、スペイン艦隊の巡洋艦全てを沈めながら、
アメリカ側は装甲巡洋艦1隻が損傷しただけでした。
完勝、でしょうね。
操舵室の内部に入って見ます。
これもなんか、妙に豪勢だなあ(笑)。
まあ、艦のお偉いさんの仕事場だからでしょうか。
通常、船長やら航海長やらはここに居たはずで、
先に見たように、戦闘時は艦隊指令もこの辺りをウロウロしてたわけです。
つまり、この辺りに一発、敵の主砲段を食らったらこの艦も艦隊も、
それでオシマイであり、どうも海戦というのはギャンブル性が高い気がしますねえ…。
ちなみに操舵輪は司令塔にもありましたが、通常は視界の効くこちらで、
戦闘中は装甲のある司令塔で、それぞれ操舵したのだと思います。
その後ろには革張りの素敵なイスが(笑)。
おそらく艦長か艦隊指令用で、水兵さんが座らせてもらえたとは思えませんね。
その横のタンスは、さすがに艦長のオシャレファッション用ではなく、
航海用の地図を入れた地図入れだと思われます。
その上の部分を机にして地図に航路とかを書き入れる作業をしたのでしょう。
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