■我に明かりを
その先で、突然開けた空間に出る。
おそらく艦の中央辺りだと思われます。
で、なんだこれ、と思ったら…
機関室の真上でした。
ただし、上から見るだけで、中には入れません。
手前に見えてるレールはおそらく整備用のクレーンですかね。
蒸気式ピストンエンジンですが、ここで見えてる円形のフタはシリンダーの頂部です。
いろんな直径のシリンダーが見えてるのは、
高圧から低圧になって行く蒸気を効率よく利用する複式蒸気機関だからです。
真ん中あたりの一番小さいシリンダーに高圧蒸気を入れて、
以後、少しずつ圧力が下がってゆく度に、
より大きなシリンダーに流して行きます。
こうして蒸気の持つ熱エネルギー(膨張力)を
可能な限り回収して運動に変換したら、
最後は復水器に戻されて水となり、再度ボイラーで蒸気にされるわけです。
その上は甲板上の金網の窓になってました。
先にも書いたように、
電球本格普及前世代の艦ですから(エジソンは特許取得済みだが)
こういった明り取り窓がないと、機関室は真っ暗闇になってしまうのです。
他にも、熱対策といった意味もあったかもしれません。
ただし、繰り返しになりますが、この艦は電球時代ギリギリの世代なので、
もしかしたら、最初の儀装段階で白熱灯の設備が間に合って、
取り入れられていた可能性もあります。
とりあえず、ここに砲弾が一発でも飛び込んできたらオシマイですから、
戦闘中には何らかの防護板をつけた可能性もありますが、
ここら辺りも資料がなく、詳細不明。
USSオリンピアの断面図。
太い黒線の部分が装甲板で、艦上の主砲砲塔とその砲台座部、
そして矢印で示した心臓部、弾薬庫や機関室の上にも装甲があったのがわかります。
が、こんな感じで明り取りの窓があっては、
この装甲も、どこまで意味があったのか、という気もしますね(笑)。
ついでに魚雷が登場して実戦に投入され始めたばかりの時代の艦なので、
そういった方面への防御は、ほとんど考えられてませんね。
さらに余談ながら魚雷が大量に、そして本格的に投入された最初の戦争は、
私の知る限りでは、日露戦争だったりします。
実は日本海海戦は、第一次大戦のユトランド沖海戦なみに、
欧米各国の艦船開発に大きな影響を与えてます。
あの日本海軍が、なんで40年後にあんなになっちゃったやら。
ちなみに、弾薬庫にはさすがに明り取りの窓は無いのですが、
そうなると、電球普及前は、火薬庫の中で
ランプを燃やして作業してたんでしょうか。
それも怖い話だなあ…。
エジソンが普及させた(繰り返すが発明した、ではない)白熱電球と発電機は、
軍艦の心臓部を分厚い装甲で囲んでも艦内に光源を確保できる、
という点で軍事的に見ても、極めて重大な発明だったんですよ(笑)。
砲弾や装甲だけが軍事的に重要な進化というわけではないのです。
もし電球がないまま戦艦の主砲射程距離が10qを超える時代を迎えていたら、
つまり放物線を描いて砲弾が空から降ってくる時代になっていたら、
軍艦の装甲の進化は、灯りの確保との両立が求められ、
かなり面倒な問題を抱え込んだでしょう。
で、下に見えてるプレートはこの艦を建造した造船所のものなんですが、
1893年というのは進水した翌年のはずで、
なんでこの年の表記なのかは謎です。
ここで窓にも注目しておきましょう。
ガラス窓が多くて、戦闘になったら破片が飛んで危ないだろう、
と思ってしまうところですが、ご覧のように2重構造にになってまして、
通常はガラスの窓を閉めてますが、戦闘時には上の鉄板のフタをします。
さらに左右のボルトで固定できるのです。
当然、電気の無い当時の艦内は閉めた後は真っ暗闇になる可能性が高く、
何らかの対策があったはずです。
が、これもそういった資料を見た事がなく、ランプがあったのか、
天井の明かり窓だけでなんとかなったのか、よく判りません。
ただしこれ、直撃弾とかを食らった場合、ボルトとフタが高速で飛び散って、
より危険な気がしなくもないですが…。
その先の通路も、デラックスでしてよ、ウフフ…。
しかしこれ、何も言わずに人に見せたら、軍艦の艦内とは
絶対にわからんだろうなあ…。
左側、廊下にまでオイルヒーターのものらしき配管が見えてますが、
これは船内のあちこちで見かけたので、
当時の標準的な装備だったみたいです。
ひょっとして機関室の蒸気の一部を回していたのかな。
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