■20世紀の帆船とか
で、先に見た帆船レストラン、モシュルー(Moshulu)号はこんな感じ。
ちなみに、これも例によって(笑)映画ロッキーに登場してました、
もはやお馴染みのトレーニングシーンのクライマックス、
ロッキーが延々と朝焼けの中のデラウェア川岸を走ってるとき、
奥に見えてるのがこれです。
現在とは逆向きに、この向こうの防波堤側に係留され、
しかもレストア前らしく、ほとんどの部品が外されてますが、
一目でこの船とわかるはずです。
でもってその映像から、現在の姿は1980年代にレストアされたもので、
艦上構造のほとんどはオリジナルでないとわかります。
ついでに、この船、司馬遼太郎さんのアメリカ素描にも登場します。
司馬さんも博物館を訪問した後にここに来たのだと思いますが、
USSオリンピアと潜水艦USSベキューナがここに来たのは1996年、
司馬さんの1985年訪問時にはここにあったのはこの船だけでした。
日露戦争時代のUSSオリンピアを司馬さんが見たら、
どのような感想を持ったか、個人的には興味があるところですが…。
そのためか、当時は酒場だったらしいこの船に司馬さんは乗り込んでおり、
船内に居たバニーガールを冷静に受け流すと共に(笑)、
どうも少しオカシイという感じの、ドイツ系アメリカ人オーナーから
いろんなヨタ話を聞かされて終わったようです。
モシュルー、いかにも風格がある帆船に見えますが、
実際はすでに20世紀になってから、日露戦争中でもあった1904年に
イギリス(スコットランド)で建造された鋼鉄製の帆船です。
つまり、となりで展示されてるUSSオリンピアより年下の若造です(笑)。
蒸気船の時代が来てから50年近くたった時期ですが、
実は燃費ゼロの帆船の需要は意外に高く、
このフィラデルフィア周辺でも、1900年ごろまで帆船を造ってました。
これらは純粋に風任せの帆船で、予備の蒸気機関なんて持ってませんから、
本気の帆船だったと見ていいでしょう(笑)。
帆船というジャンルの進化は20世紀に入っても
しばらくは続いていたわけで、そういう面での貴重な生き残りではありますね。
逆に言えば、日露戦争のころまでは、世界中に帆船を扱える船乗りが
まだまだいくらでも居た、という事になります。
この船、元々はドイツ人の会社に籍を置いていた貨物船なんですが、
第一次大戦時にアメリカに居たため、徴用されてしまい、
ここでモシュルーという名になったようです。
ちなみにこれはセネカインディアンの言葉で
Dreadnought
、何も恐れない者、という意味だそうで、
すなわちこれもドレッドノート級とも言えます(笑)。
となると、第一次大戦時まで、純粋帆船の需要はあったとなりますが、
それどころかこの船、戦後に民間に払い下げられた後、さらに1928年まで
アメリカ〜オーストラリア間の現役輸送船として働いてます。
その後もオーナーを転々としながら、1939年ごろまで、
普通に遠洋航海を行なっていたようです。
どうも意外に鋼鉄帆船は近代まで生き延びていた感じですね。
燃費ゼロは予想以上に魅力だったのか…。
その後、第二次大戦を経て、いろいろオーナーが変わって行きます。
一時、フィンランド籍の船になったりするのですが、
1970年にレストランに改造するためアメリカ人に買い取られ、
フィラデルフィアに持ち込まれ、現在に至るようです。
ついでに、当初はニューヨークで営業しようとしたとか、
ディズニーがアトラクション用に買い取ったのを転売したとか、
いろんな話があるようですが、確認のしようがないのでパス。
ちなみにイギリスの旅行作家、エリック ニュービイ(Eric
Newby)が
この船の最後の遠洋航海となった1938年の
アイルランド〜オーストラリアの航海に船員として乗り込んでおり、
これを題材にしたThe
Last Grain Race という本があるそうですが、
残念、この作家さんも本も、私は全く知りませぬ。
そこから振り返るとこんな感じ。
この時代の軍艦の船首は独特のものがありますねえ…。
さて、では早速見学ですが、
最初は潜水艦のUSSベキューナから行きましょう…
という感じで、今回の本編はここまで。
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