■USSオリンピア



さて、その先が例の防護巡洋艦、USSオリンピアに関する展示。

USSオリンピアについては、後でまた説明しますので、
ここではざっと展示を見てしまいましょう。

最初は巨大設計図。
実はこれ、装甲板の箇所までキッチリ入ってる貴重なもので、
キチンと撮影しておけば、それなりにいい資料になったのに…と今さら思ったり。
結局、要所要所だけ撮影しただけでした。
やはりこの段階では多少疲れてたのか、手落ちが多いなあ…。



ちなみに、そんな数少ない撮影写真の一つがこれ。
よく見ると後部甲板の下、スクリューの上に
魚雷があるの、わかるでしょうか。

この時代の巡洋艦に魚雷が積まれていたとは初めて知りましたが、
これがどこから発射していたのかがわからない。
その左にある筒状のものから撃つのか?と思いますが、
後で見るように、現在の艦尾にそんな穴はありません。

まあ、ヘリ空母に艦隊戦に使えるような魚雷発射管を積んでしまう
ソ連海軍よりは常識的なのかもしれませんが、
それでもよくわからない装備ではありますね。

ちなみに、その魚雷の下にある機械室は舵を動かす動力室なんですが、
思った以上に大掛かりな装置となっています。
右端の管からエンジンの蒸気をもらって
筒内のピストンを動かしてたはずなんですが、
弾み車らしきものまで付いて、思った以上に凝った装置です。

ちなみにUSSオリンピアは蒸気エンジンですが
さすがにまだタービンではなく、
蒸気ピストンエンジンとなっています。



こちらには模型がありました。
この時代らしいどっちが前なのかよくわからん構造ですが、右が船首部。

模型では艦上の構造物まで白く塗られていますが、現在の展示では、
この辺りは肌色に塗られています。

どちらが正しいのかはよくわかりませんが、いずれにせよ、
そんな細かいとこは気にしてもあまり意味が無い、というのを後で説明します。



1892年進水のこの艦は、当然、前ドレッドノート級、
すなわちド級戦艦以前の世代なんですが、
(そもそも戦艦ではないが…)
主砲とその砲台座部の装甲に加えて
、既に装甲司令塔に近い構造が見えてます。

濃い線で描かれた部分が装甲板で、
砲塔側面で4インチ(約102mm)あったようです。
(ただし一度改修されており、それ以前はもう少し薄かった可能性あり)

とはいえ司令塔下部の細い装甲構造は
人間が通りぬけるのも困難なサイズに見えますから
おそらく舵の操作を使えるケーブルなどのみが入ってたのでしょう。
(装甲内に見えてるのは操舵輪で、ここから人の大きさが想像できる)

よってまだまだ装甲司令塔、と呼べる規模の構造ではなく、
ただの司令塔(Conning tower)といった感じではあります。

ついでにその左で、マストが意外に
艦の深いところまでへ入り込んでるのにも注目。
さらにこれ、斜めに取り付けられてるんですね。



後で説明しますが、USSオリンピアは例のマスコミが引き起こした戦争、
1898年からのスペイン・アメリカ戦争で活躍した軍艦です。
その海戦で最初の決定的な勝利となった
マニラ湾海戦の時、旗艦を勤めていました。

これはその勝利を記念して造られたプレートだそうで、
当初は第一砲塔正面、そのあと司令塔正面にはめてあったとのこと。
それが何で外されてここにあるのか…というのはまた後で。

ちなみに、この女神様、
なんだか秘伝の必殺拳法の構えを取ってるように見えるの、私だけ?



といった感じで博物館内の見学は終了、いよいよ館外の軍艦たちへ。
そこから対岸を見るとこんな感じ。
画面中央付近にUSSニュージャージーが見えてるの、わかります?


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